銀行員3年目を辞めて6年経ちました〜プロローグ(中編)〜【崩れた野球人生。イップスとの戦い〜】
前回までは高校入学までお伝えしました。
ここでは中編として、
高校時代を書いていきます。
順風満帆な野球人生を歩みながら、
大きな挫折を経験する高校時代。
今考えると、
この時の経験は間違いなく
今の仕事でも活きています。
それではプロローグ中編
どうぞ。
真面目な親に育てられながら、
恵まれた体のおかけで天狗になっていき、
夢中になると完璧になるまでやめない性格で、
エリートではないものの、
いよいよ特待生として
甲子園出場経験もある
強豪校に入学しました。
しかし、
一年生の始まりで
あっけなく終わりを迎えました。
入部後すぐに
30名いる一年生の中から
僕を含めて4名、夏の大会に向けて
1軍帯同を言い渡されました。
僕はそこでも思い通りの結果が出ます。
更なる篩にかけられますが生き残ります。
既に一年生は僕含め2名になっていました。
夏の大会直前、遠征帯同が決まります。
ここまで入学後たったの2ヶ月です。
真面目な親の元で育ちながら
自らの努力で辿り着く。
これは一見良さそうに見えますが、
実は諸刃の剣だったのです。
高校野球を想像していただくと
イメージできると思います。
一年生がメンバーに入ったり、
一年生で圧倒的な結果を出すような選手は
努力でそこまで来ることもありますが、
それよりも元々の身体の強さや柔軟性など、
身体能力が圧倒的に高い選手が
ほとんどなのです。
一年生ながら活躍する選手は
皆プレッシャーもさほどない中、
伸び伸びとプレーしている姿が
目に浮かびませんか?
それと比べると僕の身体能力は
既にピークに達していたのかもしれません。
僕には一年生というフレッシュさもなく、
努力をして積み重ねてきた今の状況を
絶対に崩したくないという
大きなプレッシャーになっていました。
そのプレッシャーが
いよいよ爆発してしまいます。
遠征帯同が決まり、
登板が予定されていました。
先輩キャッチャーと
登板に向けてピッチング練習をしていると
カーブを宣言して投げますが、
少し力が入ってしまい、アウトローに
ワンバウンドのボールを放ってしまいます。
先輩キャッチャーは
後輩たちから恐れられるほど
怖い先輩で有名で、そのワンバウンドは
逆鱗に触れるには十分だったようです。
そこで僕はボコボコにされ、万事休します。
その次からの投球が、
思うようにボールが投げられないのです。
勝ち気な性格だったものの、
それは野球と強い身体が
もたらしてくれたもので、
根は公務員の真面目な親に育てられ、
失敗の無い人生を歩んできていたため、
とても臆病な性格でした。
そのためこの時の心境は、
甲子園に出場している憧れの
先輩を怒らせてしまったという
ショックとパニックで
気が動転していました。
しかし、
まだそこでは違和感程度にしか感じておらず、
そのまま試合に登板しました。
登板前、
ベンチ前でキャッチボールをしていると
奥にさっきの怖い先輩が
ネクストバッターズサークルに座っています。
何故か緊張している僕は
怖くてボールが投げられませんでした。
そんな緊張感から投げたボールはすっぽ抜け、
なんとネクストにいる先輩に当ててしまいます。
もう僕の精神状態は普通ではありません。
その後、
案の定登板してみると
思うように投げられず
フォアボールを連発してしまい、
3者連続四球を出した時、
ベンチから監督が交代を告げました。
それをマウンドで見ていた時の光景は
ただの降板ではなく、
野球人生からの降板を告げられた瞬間でした。
この一件以来、
僕は小学生の頃
父親と公園でしていた
キャッチボールのように、
何も考えずにやっていたことが一つ、
できなくなってしまいました。
イップスは完全に発症していました。
それからというもの、
たくさんのコーチや監督が
フォームが悪いからだと
たくさんのことを指導していただきました。
しかし、今思うとそれは根本治療ではなかった。
イップスの克服の指導は一度も受けられませんでした。
高校生の僕はそんなことにも気付かず、
監督やコーチの言うことを全て聞いていました。
僕の真面目な性格が
出てしまったことが仇となったのです。
今度は
自分のフォームまで
ぐちゃぐちゃになっていきました。
鳴り物入りで入部。
一年生とは別メニュー待遇。
そんな天狗だった僕を
暖かく迎え入れてくれるわけもなく
チームメイトともぎくしゃくしていました。
でもその時の僕は
これは俺が弱いからだ。
下手くそだからだ。と言い聞かせ、
練習は誰よりもやりました。
ブルペンでの投球練習は
夜遅くまで毎日200球。
坂道ダッシュにランニング、
下半身強化メニューもこなしました。
しかし、
それでも僕のイップスは
治ることはありませんでした。
イップスの根本治療ができず
フォームを悪くする
身体だけは強くなっていく
もうこうなれば
たった3年しかない
僕の高校野球人生は
すぐに終わりを迎えました。
結局ベンチ入りすることは一度もなく
三年生の夏の大会もスタンド応援でした。
この高校3年間で学んだことは
「努力は報われるは嘘。
正しい努力が報われる。」
「人からのアドバイスは
取捨選択しなくてはならない」
「メンタルは身体に
良くも悪くも影響する」
「周りの人は自分の言動や発言によって
良くも悪くも変化して、
表面だけではなく裏にも顔がある。」
でした。
高校を卒業する頃には自覚できるほど
自分の性格は変わっていました。
常に俯き気味で楽しくない学校生活。
周囲の目や関わりが怖い。
唯一楽しめたのは当時いた彼女との時間。
という野球部員の学校生活とは思えないほど
暗くて辛い三年間だったなという印象でした。
ただ、
この三年間のおかげか
野球はきっぱり諦めがつき、
大学では次なるスポーツ
アメリカンフットボールに出会います。
このスポーツとの出会いが、
とても大きな出会いになります。
ここからはアメリカンフットボールを少しだけ。
それでプロローグを終わりにします。
プロローグが長い?
長くなってしまいました。
すみません。笑
ちなみに、
ここまでどんなキャラクターに
映ったでしょうか?
自分のことなので
他の視点からの見られ方など
参考にできればと思うので
是非コメントなどいただけたら
嬉しいです。
▼BRIAN KENTA プロフィール
1990年生まれ32歳 既婚
東京都東大和市出身
現住所は東京都湾岸エリア
東海大学菅生中学校 野球
東海大学菅生高校 野球
東洋大学 アメリカンフットボール
東日本銀行
外資系金融機関
趣味
ゴルフ、ドライブ(GLC coupé 220d)、
映画鑑賞、動画編集、歴史
人生のモットーは
"絶対負けない。やり続ける。"
"人生ネタ作り"
"良いことと悪いことは同時に起こる"
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