銀行員3年目を辞めて6年経ちました〜プロローグ(前編)〜【順風満帆の人生スタート】
僕が働く会社では、「給与」
という概念がありません。
自分の実績に応じて「報酬」
という形で支払われます。
なのでマイナスになるリスクもありますが、
その代わりリターンは青天井。
この仕事を6年続けてみて思うことは、
「自分の人生を歩んでいるな〜」
「1日1日を大切に生きてるな〜」
という実感を感じれて、
本当の自分らしさを32歳になっても
なお持ち続けることができてとても幸せです。
もちろん、たくさんの失敗もありましたが。
それも含めて最高の仕事に
出会えた自分の人生
そして関わった全ての周りの人に
感謝しています。
そんな僕がどんな軌跡を歩んで
転職に至ったのか
幼少期から思春期まで
どんなキャラクターだったのか
そんなことをこのプロローグで
お伝えできればと思います。
東京都西部の郊外出身。
妹と弟が1人ずつの長男で
典型的なスポーツ系少年で育ちました。
親は公務員で厳しく育てられ
幼稚園では水泳、サッカーを習い、
小学校からは野球、習字をはじめました。
家に帰れば学研と進研ゼミの課題が山積み。
やっていないと父親からぶん殴られ、
家から放り出されて泣き終わるまで
庭で放置されてました。笑
真面目に育てられるけど、
スポーツをやっているから
ちょっとワルなことをしてしまう。
体も大きくて力も強く、
典型的なヤンチャ坊主でした。
ただ、野球ではそれを活かすことができて
早くからエースで4番でした。
ヤンチャな性格で、力も強く、エースで4番。
小学生にしてはあまりに好条件過ぎたため、
性格がそれを支えきれず、
徐々に身勝手な性格になっていきました。
負けることがとにかく嫌いで
良くない時はマウンドで
一人相撲してしまうタイプです。
そんな幼少期の性格のまま中学は
声をかけていただいた
都内の私立中学に入学しました。
そこでも野球で右に出る者はいない状態で
完全に天狗になり切っていました。
ただ、唯一言えたことは
運動能力が高いから
天狗になっていたというより
それだけの努力をしていて、
それが実ったから天狗になっていた
という感じでした。
この当時から自分の特徴だと思っていたことは
一つのことに夢中になると
完璧になるまで辞められない。
目指すべき選手がいればその全てを
完璧にコピーする。
その能力に関しては高かったように思います。
中学はちょいちょい恋愛というものもしつつ
高校はそのまま内部進学しました。
都内でも屈指の強豪校で
その野球部の監督の目に止まり、
入学金、授業料全て免除の特待性として
入学しました。
所謂鳴り物入りというやつでした。
これで天狗だった僕は
完全無欠の天狗となります。
順風満帆だったはずの高校野球生活も
一年生の始まりで終わりを迎えます。
高校から大学は後編で
お伝えしていこうと思います。
ここまでどんなキャラクターに
映ったでしょうか?
自分のことなので
他の視点からの見られ方など
参考にできればと思うので
是非コメントなどいただけたら
嬉しいです。
▼BRIAN KENTA プロフィール
1990年生まれ32歳 既婚
東京都東大和市出身
現住所は東京都湾岸エリア
東海大学菅生中学校 野球
東海大学菅生高校 野球
東洋大学 アメリカンフットボール
東日本銀行
外資系金融機関
趣味
ゴルフ、ドライブ(GLC coupé 220d)、
映画鑑賞、動画編集、歴史
人生のモットーは
"絶対負けない。やり続ける。"
"人生ネタ作り"
"良いことと悪いことは同時に起こる"
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