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銀行員3年目を辞めて6年経ちました〜プロローグ(後編)〜【社会には階層が存在していた】


前回までは
高校卒業までをお伝えしてきました。

イップスを発症し、イップスと闘い、
克服することなく高校を卒業。


ただその経験から人の意見やアドバイスを
完全に鵜呑みしてはいけない
ということを学びました。

主に自分の性格はここまでで
作り上がっているような感じがあります。

そのため、
大学では大きな変化はありません。



ただ、
特筆することがあるとしたら


「社会には階層が存在している」


という事実を知ることになった
期間だったと思います。


この社会の階層というもの。

僕はこの経験をするまでは
考えたことがありませんでした。

1人の日本人として、
1人の1990年に生まれた男として。

ある程度用意されたレールの上を
何も考えずに歩み続けていました。

自分には敷かれたレールがあると
思っていたんだと思います。


後に
これは資本主義というものを
理解する上でとても
大切な考えだったと思います。



もちろん、
社会に階層があることくらいは
誰でも漠然と理解はしていると思います。

ですが、
自分の生きる階層というものは
自分の行動次第で変えられ、
それをコントロールするために
客観的に階層を見ようとした経験が
ある方は意外に少ないかもしれません。



もし、
今の人生において、
社会の階層というものを
客観的に考えた経験が無かったり、
その階層をコントロールしようと
思った経験が無い方には
少しばかりヒントになるかもしれません。



それではプロローグ(後編)
どうぞ。




社会の階層知るきっかけになったのは

①アメリカンフットボール
②就職活動


これら2つが

「この世界には階層というものが存在するんだ」

ということを客観的に
理解したきっかけでした。



①アメフト


高校まで別競技をしていても
1年生から試合に出れてしまうスポーツでした。



というと少し語弊がありますが、
アメフトというスポーツが
簡単で楽だというわけではなく、

どちらかというと競技人口が少ないため、
ある程度身体が出来ていれば
試合に出ざるを得ない
と言った方がいいかもしれません。

僕も例外ではなく、
試合に出場していました。

しかも、
野球やってたから肩良いでしょ?
じゃあクォーターバックだね。

で、クォーターバックという
ボールを投げるをポジション
をやってました。

ちなみに
今でも仲良くさせてもらっている

山田くん(仮名)
(背が高くて髭面でチーム一番のお笑い担当)

も高校までサッカーでキーパー。


キーパーならキャッチ上手でしょ?
じゃあワイドレシーバーだね。

で、レシーバーという
ボールを捕るポジション
をやっていました。

それが僕にはあまりに
不自然に感じたわけです。



野球一筋で野球で上に行くために
小学生から野球野球野球。

とにかく毎日野球のことだけを
考えてきて高校まで行っても
それでもまだ上には上がいた。

到底プロ野球選手なんて夢のまた夢の世界。

そう実感してきた中で、
アメフトを始めて数ヶ月で試合に出場。
2年目にはレギュラーというのは
本当に違和感でした。



この時に、
一言にスポーツとはいっても
競技人口の違いや人気スポーツかどうか

などによってお金のかかり方や
内情は全く違い、
スポーツの世界には階層が存在する
ということを肌で感じることができました。



②就職活動

就活の写真がありませんでした。笑


プロフィールにもある通り
僕の大学は所謂Fランといわれる大学です。

この現実を突きつけられたのが就職活動です。

僕は学生時代、
特にやりたいことがあったわけでも、
なりたい職業があったわけでもありません。


漠然と
周りが就活の雰囲気だから就活を始める。
そこまで上昇志向も強かった
タイプではありませんでした。

漠然と考えたところ、
自分にはスポーツをやってきたことしか
誇れることがなく、仕事で活かせるのは
体力だけなんじゃ…?

と思い、
営業を志望し、
特に無形商材を扱う金融機関に絞りました。



当時、
アメフト部にコーチで来ていた方が
赤色のメガバンクの行員だったこともあり、
同じ銀行を目指しました。


その方の尽力もあり、
足切りが行われるESは通過。
面接に進みます。

面接回数はなんと5回。

新丸ビルに5日連続で通いました。

通って数時間後に電話が来る。の連続。

5回目の面接を終えて数日。



電話は鳴りませんでした。

コーチがたまたま
5回目の面接の担当者と
知り合いだったらしく
落とした理由を聞いてくれました。


「人としては良いけど学歴がね。」


ということでした。


その後も
たくさんの企業を受けましたが全てダメ。

最終的には銀行という
名前がついていたものを片っ端から
受けてようやく内定が出ました。



この経験から、
出身大学というもので
既にある程度の方向性は
決まってしまっている。


それくらい
出身大学というものは大きい
ということを実感しました。


これら2つのきっかけによって
社会にはとてつもなく
大きなピラミッドが存在していて

それを登っていくためには
何かで秀でていなければ登れない。

生身の自分、
ありのままの自分では登れない
ということに気付きました。


大学によって
就職できる会社や年収に
差が出てしまうのはごもっとも。

Fランの学生よりも勉強したから
早慶上智など高学歴と呼ばれる大学にいける。

そんな人たちが
Fランよりも高年収や良い企業に
入れるのは至極真っ当な事。


と思っています。


勉強してなくても良い大学いけたよ
という人もいるのももちろん。

でも
少なくともそのお陰で
1社目の会社は間違いなく
良い会社に就けることがほぼ確約される。


ただし、1社目というだけです。

社会人になり、
1社目で社会人人生は終わりません。

そこから先、
ピラミッドを登ろうと思うか思わないか。
それは本人の選択に
委ねられているのかなと思います。



以上、大学時代でした。

自分の脳内で、
このピラミッドの前提が後に銀行を辞め、
転職したあとに活きることになります。



これでプロローグもお終いです。


ここからは本編。

いよいよ銀行員1年目が始まります。


ここまでどんなキャラクターだったか
なんとなく伝わったでしょうか?

感想や意見などあれば
是非コメントしていただけたら
励みになります。


本編もお楽しみに!


▼BRIAN KENTA プロフィール

1990年生まれ32歳 既婚
東京都東大和市出身
現住所は東京都湾岸エリア

《経歴》
東海大学菅生中学校 野球
東海大学菅生高校 野球
東洋大学 アメリカンフットボール
東日本銀行 オービックシーガルズ
外資系金融機関 現在

《趣味》
ゴルフ、ドライブ(GLC coupé 220d)、
映画鑑賞、動画編集、歴史、サウナ

《人生のモットー》
"絶対負けない。やり続ける。"
"人生ネタ作り"
"良いことと悪いことは同時に起こる"



BRIAN KENTAのInstagram

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