マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ” 評
「僕はスタイルを作る時は肩と靴から作る。
肩はアティチュードを、靴は動きを決める。」
『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』は、90〜2000年台に活躍し突如引退した伝説的ファッションデザイナー、マルタン・マルジェラのインタビューを初めて撮影したドキュメンタリー映画だ。これまで写真撮影を一切断り、ファッション界を引退後もメディアとの距離を取り続けてきたこともあり、撮影はマルジェラの「手」と「声」のみが許可された。
「反モード」を掲げたコレクションでは、ミリタリーソックスを解体しハイネックニットにしたり、ヴィンテージの手袋をパッチワークでベストに仕上げたり、古着を解体し再構築する「脱構築」的なアプローチがマルジェラの特徴だ。作品の解釈は、観た人間に委ねようとしていた為、本劇中においても具体的な作品のディテールに踏み込んだ発言は少ない。作品について本人の「声」以上に雄弁に“語る”のは、マルジェラの「手」だ。人台(洋裁で使用する人体の模型)に布地を重ねたり、時には直接描き込んだりと、創作過程の一部を解放する。初期マルジェラの代表作の一つ、コルクネックレスを組み上げていく「手」仕事の美しさに見惚れてしまう。対して、「声」が誘うのは子供時代のエピソードだ。実家は父親が理髪店を営んでおり、マルタンはずっと父親の仕事を眺めていた。客が椅子に座り、スタイルを注文すると父親は、客の「肩」から鏡越しに仕上がりをイメージする。はさみを入れ、徐々に床に落ちて溜まる、髪の毛。仕上がり、客が椅子を離れると、落ちた髪の毛は「靴」に払われる。このエピソードは、劇中冒頭でマルジェラが自身のスタイルを作り上げることに繋がったのだろう。理容師である父親の仕事風景を「コラージュ」しているようにも思わせた。
マスコミに口を閉ざし続けてきたマルジェラだが、実は公式コメントが二件ある。
一件はデビュー前の1983年。ベルギーの権威ある賞を獲得した時に尋ねられた際に、作品の「インスピレーションソースは何か?」という質問への回答だ。
「たとえば、1900年代の改革期、労働者の制服、初期の女剣士たちのスタイル。個々の想像上の世界を組み合わせながら、”全体”を創造していくのが、私は好きですね」
マルジェラは過去のアーカイブに自身の創造力をぶつけることで科学変化を起こす。事実、古着をベースにしたアーティザナルラインは、現在でも評価が高く市場では高値で取引きがされている。もう一件は1998年。エルメスのウィメンズラインの「クリエイティブディレクター」に就任時のデビューコレクションに対し、ファックスでのインタビューが行われた。
── 伝統的なブランドのエルメスとは対照的に、あなたは前衛的なデザインで知られます。何故この仕事を引き受けたのですか? その真意を伺いたいです。
「当初はほとんどの人にとって理解しづらいコンセプトだったかも知れない。しかし、コレクションが発表された今、モダンとクラシック、アヴァンギャルトと伝統、といった「対極=合わない」という考えが変わった。対極が共存することによって、新しい視点が導き出された。」
── ファッションビジネスの現状を何か一つ変えれるとしたら?
「コレクションを作る人間への異様な執着。デザイナーのプライベートの生活や意見など、あらゆる観点からブランドの商品価値を見出すという習慣を変えるね。デザイナーたちが実際に作り上げた作品やそのためのアイディアとこだわりが価値を決めるときに考えられていないから。」 US版『VOGUE』1998年7月号
この文面は、2020年に日本語で改めて公開された。その意図は、「今のインターネット時代では、あらゆる人が意見を発信し、不平不満を表すことができる。そんな世の中のノイズに惑わされず、ささやかなニュアンスや美しさを味わう楽しみを、このマルジェラの記録が思い出させてくれた。」と書いてあるが、果たしてどうだろうか。まず二つ目の質問への回答について。当時(1998年)インターネットが世界中に普及し、「クリエイティブディレクター」が作品外の意見や発信をすることで商品に付加価値を与えることは、当たり前になりつつあった。マルジェラもデザイナーとの兼業が求められたが、その葛藤は劇中で本人が述べている。次に、一つ目の質問への回答。マルジェラが成し遂げたモダンとクラシックが共存するスタイルは、成功し過ぎた。なぜなら、多くのブランドがマルジェラのデザインを模倣し始めたからだ。そしてマルジェラ本人は、デザインが模倣されることへの対応として、作品単体よりも「コンセプチュアル」なコレクションであることを重視した。作品のディテールがコピーされたとしても、コンセプトそのものをコピーするのは非常に困難を強いるからだ。それ自体は、ファッション界の表現の拡大に貢献したという点で、マルジェラの評価に繋がる。しかし、徐々にデザイナーとしての「手」仕事の領分を失っていき、2008年に自らの名を冠したブランドを去る。
インターネット以降、ファッション産業では「クリエイティブディレクター」の需要は増すばかりだ。
現代において、「コンセプチュアル」なファッションを体現しているのは、ヴァージル・アブローだろう。原型の3%だけをエディットする「3%アプローチ」は、SNSを前提としたコミュニケーションのサイクルに最適解だ。つまり、サンプリングが自己目的化する背景には、クリエイションの開拓よりもアウトプットの回数が求められる現状がある。この状況は、参照となる古着やヴィンテージが年々枯渇している状況も相まって、当時のレプリカを発表する口実をコレクションブランドに与えるが、かつてマルジェラがアーティザナルラインで発表したようなクリエイションは、そこにはない。
では、この状況の突破口はどこだろうか? 『vanitas 004』の特集「アーカイブの創造性」の京都服飾文化研究財団(KCI)でのインタビューを紹介したい。KCIはファッションを収集保存する数少ない美術館を運営している。これまでKCIは、デザイナーのものを中心に収集をしてきたが、現在はそれが流行をつくっているとはいえない。事実、KCIでは「2000代に入ってファストファッションが流行した」と書かれているが、実際にファストファッションの服の展示はない。だが、それは18-19世紀の展示も同じで、当時の上流階級の流行品しか集められておらず、「一般の人達はなにを着ていたのか」と問われても資料がないのが実情である。つまり、これまでは「共時的で極端」な表現をコレクションにしてきたが、「共時的でありふれた」モノも現在の情報環境においてはファッションの価値基準になり得るのではないだろうか。これは誰の為のファッションなのか。その定義がいよいよ必要とされる。
マルジェラはアーカイブに創造力をぶつけることで「反モード」を成し得たが、それ自体が「新たなモード」となり、インターネット以降の「クリエイティブ」には対応出来ずファッション界を去った。現在の情報環境下では、CtoCの二時流通での価値の付き方が重要だが、ここからヴィンテージとは違う、別軸の価値が出て来ることを期待したい。