国語力と感受性は相関関係にある説
シンガーソングライターのケティです。
私は感受性と国語力は相関関係にあると思っています。
例えば松任谷由実さんのやさしさに包まれたならを聴いて、
「いい曲だね。」で終わってしまう人と、
「この曲は凄く哲学的。目に見える全てのことはメッセージと言っているけど、そのメッセージは本当は目に見えるものではない。この曲の真意は実は大切なものは目に見えないということを言いたいんだと思う。そしてイントロの小さい頃は神様がいてって部分。この神様も目に見えないもの。実はおとなになると目に見えない大切なものを見落としがちになるという一種の社会風刺も含まれているのでは?」と言語化できる人、
どちらが感受性豊かだと思いますか?
感性が豊かだから言語化ができるという意見もあるかもしれませんが、実はその人が持っている語彙力であったり、言語化能力が感受性そのものに影響を与えるのではないかと思っています。
より多くのものを感受するためには、実はその分野に対しての専門的な知識が必要であり、それだけではなく国語力の高さが間接的に関わってくるのではないでしょうか。
恐らくを語彙力のない人、言語化能力のない人は感じたものを言葉として概念に落とし込む力が足りず、結果として感受性も乏しいのではないかと思います。
言葉は概念を生むのです。
私はシンガーソングライターとしてだけでなく、ボイストレーナーとしても活動しています。
私はおそらく一般の方よりも音楽に関しての感受性は非常に豊かだと思っていまが、それは職業柄音楽に対する知識であったり、言葉を多く知っているから、そして本を沢山読んで間接的に国語力が身についたからということも関係しているのではないかと思っています。(受験勉強でも国語はかなり勉強しました。)
専門的な知識は、勉強しなければ手に入れることは難しいし、本当に興味があることでしか中々勉強する気は起きづらいかもしれません。
なので最低でもたくさん本を読んだり、気になった単語を調べるという習慣をこれからも続け、言葉に対してもっともっと詳しくなり、国語力に磨きをかけ続けたいと思います。
異論は認めます!(笑)