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次郎くん(from「コジコジ」)に学ぶ、「可愛いは正義☆および建設的演技の体系化について」 〜後編〜

こんにちは。
個人的世界待望の次郎くん特集・後編でごぜえます。

前編はこちら

前編は「絵」について書いてみましたが、後編は「声」についてです。
次郎くんの喋りについて語っていきます。


「声」について

次郎くんの声を務めていらっしゃる声優さんは高乃麗さんです。

え?”中の人”について言及するのかですって?アニメは声優さんの演技力あって初めて生きた表現として成立します。次郎くん=高野麗さんといっても過言ではありません。高野麗さんの卓越した演技力によって次郎くんは支えられ今日もほっせぇー脚で地面を踏みしめているのです。

そんなわけで、とりあえず次郎くんの喋っている姿を堪能してください。

聞いたら分かる通り、次郎くんはなんかすごい変な喋り方をします。
果たしていざ自分が次郎くんの役を演じるときに次郎くんの姿を見て、この喋り方のイメージが湧くでしょうか。否、湧きません。
「いったい何故こんな喋り方なんだ、どこからこの喋り方は発想されたんだ」と私自身、悩みに悩んで暫く眠れぬ夜を過ごしたものですが、猪木よろしく”迷わず行けよ 行けばわかるさ”の精神で、ある日なにも考えず次郎くんの喋り方を真似てみたわけです。

するとどうでしょう。私の口は自ずとこの形になっていたのです……!

そう、いざ真似てみると分かりますが、口をとんがらせないとこうは喋れないのです。
つまり、これは決して奇を衒ったものではなく、極めて実際的な着手に基づくプラグマティックな喋り方だったのです。
そうだった役作りとはこういうものだったと唸らされます。雰囲気じゃないんだなぁ。

ちなみに私の好きな役作りエピソードはヒース・レジャーが「ダークナイト」でジョーカーを演じた際に『ジョーカーはメイクをした後に手を洗うような人間じゃない』と汚れた手のまま撮影していた話です。言いてぇ~。


それはさておき、そんな次郎くんの話し方においてのポイントは言葉の「差し出し方」と「語尾の置き方」です。

次郎くんは妙にもったりした喋り方をします。そう言ってよければ一音一音延ばしたように喋ります。

普通は、言葉を延ばして喋ると何を言ってるんだかよく分かりません。
しかしお芝居となると、多くの現代人は妙にゆっくり喋ります。例えば「どうしてそう思うの?」という台詞を発する時にいかにも"不思議そうに"ムードを込めて喋ります。
恐らく自分の"気持ち"を言葉に乗せようとしてそうなることが多いのかと思いますが、気持ちを言葉に乗せる代表的な例は「マ〜マ〜あれ買って〜」と駄々をこねる子どものアレです。

『お芝居フィルター』を通すと、やる方も見る方もそういった喋り方を当たり前として受け取ってしまいがちですが、
人は成長するにつれ、気持ちをぶつけるだけでは他者と相互のやり取りが出来ないことを理解し始め、気持ちと言葉を切り離して、何を思っているかではなく何を言いたいかを伝える為に、相手との共有可能なブツ(物)として言葉を扱うようになります。

或いは、大人でもブチ切れた時なりピロートークなりは、気持ちを言葉に乗せてぶつけたり、ムードを込めたりするのかもしれませんが、だとするとやはり、お芝居で"普通に喋る"時にも無意識にそれをやるのはけっこー怖いことな気がします。
洋画でそういった喋り方をしている人はほぼ見かけません。みな早口(普通のスピード)です。果たして外国人が大人に見えて日本人が幼く見えるのは、そんな所にも理由はあるんじゃないかしらと東南アジア顔はホー・チ・ミンに思いを馳せる今日この頃です。

ところで「シン・ゴジラ」の総監督である庵野秀明さんは、通例で考えると4時間相当の台詞量がある脚本を「速く喋れば問題ない」と実際に2時間で収めました。要は人間の通常の速さで喋ると本来はそうなるということですな。That's Cool...。


さて、話題は次郎くんに戻りますが、
先ほど述べたように、次郎くんはもったり喋ります。じゃあ次郎くんも何喋ってるか分かんないじゃんとなりますよね。

それを踏まえて↓を聞いてみましょう。

いや、めっちゃ分かる。なんでやねん。

次郎くんはもったり喋っていても、お気持ちを言葉に乗せて相手にぶつけている訳ではないからです。

しかし何はともあれ、この内容のシャープさよ。
「わかんないの?」「うん、わかんない」「わかんないのか…じゃあしかたないね」
コメディ調に仕立てていますが、非常に真理を突いた洗練された表現だと感じます。
前編でも書きましたが、問題として提起するのではなく、そもそもそれは問題として扱ってはいけないものだった筈だという価値観の揺さぶりをかけることこそ、芸事の使命と感じます。果たしてわざわざ主語を大きくして、さも特別なこととして問題提起をする必要はあるのでしょうか dear 現代。


ところで、目の前に消しゴムがあるとします。

例えばそれがプレゼントだとして、
私達は「はい、これ、プレゼント」と言って相手に消しゴムを渡します。

そしてそれは「こんにちは」と声をかけるときも同じです。
私達は「こんにちは」と言って、
①消しゴムを指し②相手に示す
の手順を踏んで、消しゴムを相手に渡しています。
要は、言葉はただ音としてフラフラ漂う訳ではなく、ブツ(物)として、相手との共有項になる訳です。

勿論、日常の中では実際に有機的なブツを介さずにやり取りを進めるわけですが、言葉はそうして『指し/示され』相手に渡されて、相手はそれが何を指し示しているのかを『聞き/分けて』相手にまた言葉を渡し返すわけです。
普段はそれを無意識下にやっており、演技ではこれを意識的にやるわけですが、なまじ日本語で書かれていれば文字の意味自体は分かってしまうがゆえに『とりあえずそれを音にして発すれば相手に伝わるはずだ』と錯覚してしまい、言葉への意識が疎かになると、予め用意されている文字(台詞)を喋るときに『指せていない』『示せていない』ことは実に多くあります。
自分で「自分が何を言っているのか=何を相手に指し示しているのか」を把握していないと、言葉を話せないわけです。

また、実際にブツを指差したり手渡したりして相手に示してみると分かりますが、基本的には言葉は早く喋った方が指し示し易いので、次郎くんの喋り方でそれをやるのは実は高度なテクニックなのです。


コジコジの登場人物(声優さん)達は、それはそれは言葉の指し示し・聞き分け・受け渡しが巧みで、綺麗に成立している会話に毎話心癒されるのですが、
その中でも次郎くん主義者の私が、個人的にツボな1つ目のポイントは、次郎くんの言葉の『差し出し方』です。

次郎くんは何と言うか、
自分しか知らない秘密の場所にある水たまりの中から死にかけの小さな生き物を丁寧にすくう様な手つき
で言葉を差し出します。

常に囁いているかのような息の多い声遣いが内密感を、特有のもったりした調子が水の抵抗感を、口がとんがってるゆえに拗ねてるみたいに聞こえてしまう口調が悲壮感を、どうでもいいことを妙に大事そうに喋る語気が丁重感をもたらして、そうしたイメージを想起するのは私だけではないはずです(私だけではないはずです)。

そして2つ目のポイントは、
その拾い上げた言葉を相手に渡す際の『語尾の置き方』です。

どれだけ丁寧に言葉を指しても、最終的にそれを相手に示すことが出来なければ伝わることはありません。
言葉をいかに相手に渡すかは、語尾をどう相手に掛けるかという部分に大きく拠ってきます。
キャッチボールを想像すると分かり易いですが、言葉を球とした時に、相手が取りやすいところに投げるのか、少し意地悪して取りづらいところに投げるのか、投げ付けるのか、転がすのか、バウンドさせるのか...。多種多様な投げ方があり、それによって会話をどうやって組み立ていくかプランニングするわけですが、
さて、ここでもう一度キャッチボールを想像して先の動画を見てみて下さい。特に「君、どっち?」のたまらない渡し方を。

次郎くんは、一体どうやって球を投げているというんだ...!




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置いた。反戦万歳。

そう、次郎くん特有の喋りは「語尾を置く」ことによって完成されているのです。しかもそっと。驚こうが怒ろうが泣こうが、いつだってそっと(何故なんだ)語尾を置くことで、「うーん、たまらん、もう一杯!」と叫びたくなるようなクセがあってクセになる喋り方が生まれるのです。

勿論、ただ置きゃあ良いというものではありません。自分の目の前に落として相手に届かなければ只のボークで、わがままに放り投げれば只の暴投です。
まるで将棋の駒を盤に置くように「自分と相手の間に言葉を置く」ことは、ベーシックな会話の手本です。私はこう指した。君はどう指す。嗚呼、何だか次郎くんが羽生名人に見えてきました。
いざお芝居をしようとすると、言葉を抱え込んだまま手離せず気持ちだけ飛ばそうとしがちですが、それでは相手は打つ手無し、自分も詰むわけです。

"喋るときに乗せるのは気持ちじゃなくて体重だよ"

次郎くんが今日も頭の中でもったり囁いています。ありがとう次郎くん。


悪役さえ世の中の役に立っているのに、
自分が何の役にも立っていないことに気付いた次郎くん、会心の一撃

さて、
こんな文章を書き始めてしまったがゆえに、ここ1週間あまりは恐らく世界で最も次郎くんのことを考えていた人間なのではないかと自負しています。
いつかこの想いが何らかの形で実ることは有るんだろうか。


最後にもっともお薦めするコジコジの第5話を載せておきます。

普段は自由奔放に周りを振り回しているコジコジの出生の秘密が明かされ、少しシリアスな部分を担当している貴重な回で、私は見るたびに泣いてしまいます。

そしてこの回、コジコジには珍しくジ~ンとくる雰囲気を全力でぶち壊す担当が次郎くんです
オチの子供ウケ全力無視感がたまりません。
しかしこの、「客に合わせるのではなく、客はこちらが創る」という姿勢に私は最もプロフェッショナルを感じます。


この間、海に行きました。このnoteの売りは唐突さです。

はてさて、前・後編に渡って次郎くんや諸々について思いつくままに述べてみました。読んでくれた人ありがとう。今日から次郎くん仲間として歩んでいきましょう。
涙ぐましい努力と裏打ちする実力によって成り立っている次郎くん。しかしその存在が最終的には「可愛い」ということに集約されてしまう儚さ、そんなもののあはれ、嫌いじゃありません。
「見た目は柔く、中身は固い」
これがシュークリームならクレームものでしょうが、立ち方としては理想のひとつです。
次郎くんの正義を受け継いでいきましょう。

それでは、さようなら。

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