次郎くん(from「コジコジ」)に学ぶ、「可愛いは正義☆および建設的演技の体系化について」 〜前編〜
皆さんが1番可愛いと思う生き物はなんですか。
犬ですか。猫ですか。ハムスターですか。
私は他の追随を許さず、ぶっちぎりで「次郎くん」です。
次郎くんをご存知ない方の為に説明しますと、次郎くんは、さくらももこ氏の作品「コジコジ」に登場する半魚鳥です。
半魚鳥とはその名の通り、半分魚で半分鳥の生物な訳ですが、かといって『泳げる+飛べる』といった2つのアドバンテージを兼ね備えているわけではなく、『泳げない魚+飛べない鳥』=半魚鳥なのです。魚にも見えるし鳥にも見えるけど、別にどっちの能力も受け継いでいないという不遇の存在、
それが次郎くんです。
「コジコジ」はメルヘンの国を舞台に、その住人たちが送る日常を描いた漫画作品で、アニメ化もされています。漫画も味わい深いですが、私はアニメから入ったもので、動いて喋ってる次郎くんを観て、そのあまりの愛おしさに一目惚れをしたのです。
メルヘンの国の住人たちは全員頭のネジがぶっ飛んでいるので、常にカオスな雰囲気が漂っているのですが、次郎くんはその中では比較的まともな存在で、自由の極みを謳歌するコジコジに毎回飽きずにツッコミを入れてあげる優しい(ちょっとアホ)な生き物なのです。
とこらで、それは生き物ではなくてキャラクターと呼ぶのではないのかと思われるかもしれませんが、手を尽くして描かれたもの(精)で、さらに声(魂)まで吹き込まれているのであれば、それは精魂すなわち生き物と呼んでもいいだろうというのが持論であります。
というわけで今回は、私の中でもっとも可愛い生き物・次郎くんについて、大いに語っていこうと思います。
というわけで、まずは動いて喋る次郎くんを見ていきましょう。
屈指の名言『コジコジはコジコジだよ』が登場する第1話の抜粋を公式チャンネルより(なんて贅沢なチャンネルなんだ!)。
次郎くんの可愛さについて語る前に、まず「コジコジ」という作品について。
愛らしさの固まりのような風貌のコジコジがとってもキュートな高い声で「盗みや殺しや詐欺」という言葉を曇りなく発するこのインパクト。
このかわいらしい画風で、ブラックユーモアとシュールなギャグと貫徹した哲学が、これでもかというほど画面の中で繰り広げられ『ピュアでも単純ではない』という世界観は子供向けのように見えて、完全に大人向けに作られたものだと感じます。
昨今、堰を切ったように何かと話題にされるLGBTやルッキズムと名付けられた事象についても「コジコジ」はこの時代から丁寧に掬って作品に落とし込んでいます。
このあたりの近現代の作品は問題提起ではなく、問題が起こる基の価値観自体に揺さぶりを与えるアヴァンギャルドなものが多かったなあと思います。
時代は変わったものです。
というわけで、
気になった方は1話も是非始めから観てみてください。公式チャンネルも日々更新中でほぼ全話近く公開されています。(なんて贅沢なチャンネルなんだ!)。
さあ、お待たせしました。(やあ、待った?)
いよいよ本題、私が世界に知らしめたい次郎くんの素晴らしさについての話です。
初めに述べたように、私はアニメを観て次郎くんに惹かれた経緯があります。つまりそれは分解すると「絵」+「声」に惹かれたということです。
大まかにこの2つに分けて語っていきましょう。
「絵」について
ではまず、次郎くんのビジュアルを見ていきましょう。
なんて可愛いんだ。
これ以上あるかというキョトン顔が次郎くんのデフォルトです。
こういうゆで卵断面的な丸目は、大抵の場合話の通じないサイコ感を覚え恐怖を感じるものですが(鮫とか)、どうも次郎くんにはそういった恐怖を感じません。なぜなのでしょう。
試しに顔を上半分と下半分で割ってみましょう。
やっぱり上半分(目だけ)にするとちょっと怖いですね。
ところで下半分はどうでしょうか。
これは...、
あるんだかないんだかよく分からん鼻、とんがるおちょぼ口、なぜか赤らんでる頬、無え首。
そう、人間が無条件に愛らしさを覚える新生児(赤ん坊)の特徴が全て備わっているのです。可愛くない訳がねえだろう。
顔の印象は下半分で決まるといいますが、まさにそれを体を張って立証している次郎くんはマスク社会を生きる現代人への警鐘を鳴らしてくれていますよね。(ね?)
ちなみに次郎くんは常にキョトン顔という訳ではありません。見ての通り次郎くんの口はくちばしです(多分)。つまり口では殆ど表情を表せないわけですから、顔のパーツで豊かに動きを付けられるのは目だけなわけです。怒ったり泣いたり笑ったりする時は上図の様に目の形が変わるのですが、これは徹底して次郎くんが"喋る場合"においてのみです。
その他の人物が喋るのを"聞いている場合"においては、ほぼ同じキョトン目をしています。見てる向きが変わるくらいです。これは一体どういうことなのでしょう。
そう実は、次郎くんは演技行為において最も大事な"聞くこととは何か"を我々に教授してくれていたのです...!
お芝居モードに突入すると殆どの役者は、相手役の話を聞きません。なんとも奇妙なことに"聞いているお芝居"をやり始めるのです。
まともな人は普段『聞くぞー私は聞くぞー』みたいな心持ちでそこにいませんし、『うんうん、わかるわかる』とか『それはけったいなことだなぁ』とか、そういったリアクションを顔でとりながら人の話は聞きません。
或いは、相手を心の内でナメている場合においてはそういう表情を作りながら話を聞く人はたまに日常でも目にします。
"あなたを心配している私"を演じたい人とか、今夜あわよくばホテルへレリゴしようとしている人とか、そんな場面に遭遇したことがある方も多いのではないでしょうか。そんな時はぜひ正気を取り戻して相手を観察してみて下さい。ナメてかかられているかもしれません。
本来、そんなことをしたら相手の話は全く入ってこないからです。意図的にそうするケースがあるとしたら、相手をナメている時や茶化す時だけです。
しかし、お芝居だと全く悪気なくそういうことをやり始めてしまいます。相手が喋ることが予め分かっている、ないしは分かっている気になるからです。相手の言葉は音として"聞こえている"だけで、相手が話している間も意識や注意は自分自身に向いており、「聞いてる感出してるけど全然聞いてなくね?」みたいな状態はよくあります。
そんな時は台詞以外の事を適当に喋ってみましょう。『な、何言ってるんだ!そんなこと台詞にないじゃないか!』みたいな驚きの表情リアクションをとる人はまずいません。予想外の展開に絶句して真顔のキョトン目になります。
非常に素直に人の話を聞いてる顔をしてくれるはずです。
人は普段、相手の話す言葉が何を指しているのか、何が言いたいのかを"聞き分けて"います。真剣な会話なら尚の事です。たとえ予め話しかけられる言葉が決まっていても、眼前の相手の言葉やそれが発せられる身体の状態を"聞き分ける"行為をしていれば同じ台詞のやり取りを何百回繰り返しても飽きることはありませんし、と言うよりそこで起こることにリアルに反応する為には、そうするしかありません。
とは言え、その『相手を聞く』行為の難しさたるや。そもそも相手の言葉を入れる為に自分を空っぽにしておく、というのは結構怖しいことですから度胸が無いと出来ません。板の上では悲しいかな自意識という自分可愛がりを発揮してしまうのも無理はないのでしょうか。
しかしですね、よく考えてみてください、ボクシングでカウンターパンチを狙う時に、注意を自分自身に払いながら機を伺っている選手はいません。『うーん合わせにくいなー困ったなぁ』『よーしこのストレートに合わせてやるぞぉ』みたいな表情もしません。バレます。
自分を空っぽにして相手の一挙手一投足に全ての注意を払っているゆえに相手の出方に対して生のリアクションが即物的に出るわけで、それに必要なのは勇気と余計な自意識を生む余地を作らせない為の日々の反復練習しかない訳です。何の話をしているんですか?そう、次郎くんの話です。
次郎くんは、
①自分が喋る→②喋り終わる→③静止する→④静止したまま相手の話を聞く→⑤体勢を整える→①自分が喋る...の繰り返しで相手とやり取りを行います。②〜④まではずっと同じ顔をしています。真顔です。こんなに可愛いのに非常に肚が座っています。とぼけた顔していつも真剣なのです。
「人の話は耳じゃなく肚で聞け」次郎くんのポヨ腹に教えられます。
それはアニメーション(画)なのだから他のキャラも同じじゃないのかと思ったそこのあなた、もう一度相手の話を聞いている次郎くんの表情を見てみてください。『うわ〜めっちゃ話聞いてる〜純然たる空っぽさで相手の言葉を自分に入れてる〜』って思うでしょう(思うでしょう?)。
攻撃前のボクサーのように自分の心情を悟らせない目、かたや攻撃性0の愛おしさを体現する鼻/口/頬、上半分は大人・下半分は子供のアンビバレントがこの深淵さを生み出しているのです。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。すなわち次郎を覗くとき、次郎もまたこちらを覗いているのです。「緊張感のある会話を楽しみたければ、顔と上半身の緊張は抜くんだぜ」と今日も頭の中で次郎くんが囁いております。
そうは言っても、次郎くんは愛嬌の塊ですから、リアクションの際は分かりやすく怒ったり笑ったりとカタチを取ってくれます。
片や、いつ如何なる状況で如何なる相手にも、表情も調子も不変のまま存在する最たる例はコジコジです。
極端に表情を変える時は、表情を作るのではなく違う面に被り変えるのです(コジコジは人の顔をトレース出来る能力を持っています)。
ここまでいくと能です。心に宇宙を飼っているから出来る所業ですのでお手本にするのはやめましょう。人はここまで強くありません。
さあ盛り上がってまいりましたが、盛り上がりゆえにまだ書きたいことの1/3位しか書けていません。
意図せず大長編となってしまったので前後編とさせて頂きます。ご興味のある方はどうぞ後編をお待ち下さい。
後編は次郎くんの「声について」。
次郎くんの喋り方、言葉の『差し出し方』と『語尾の置き方』にポイントを置いて解説していきたいと思います。
もう解説って言っちゃってますが、次郎くんが可愛いという話をのらりくらり語ろうとしていた私が間違っていました。次郎くんへの愛とリスペクトは自分で思っていたより深かった。可愛いだけでなく演技の神髄まで教えてくれていたのですから。その味は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいキャンディーをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。今では私がおじいちゃん。孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら彼もまた特別な存在だからです。
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