自分にしかできない仕事の本質。
最近新卒/中途採用を担当しているのだが、選考の中で「なぜ自分なのか。自分の仕事はなにか。」、その人にしかできない仕事の明文化を求められることが多い。
思考整理のためにも個人と会社の視点から改めてまとめる。
結論、自分にしかできない仕事など無いし誰にでもできる。
いきなりだが、何度考えてもこの結論に行き着いた。極論、自分にしかできない仕事などない / 今自分がやっている仕事は誰にでもできるのである。
「そんなことはない。」と言う意見もあるかもしれないが、「時間の概念を考慮していない」に尽きる。
自身を例にあげたい。採用に関しても、CRMの開発にしても、データ分析にしても、正直やっていることなど一度経験がある人なら誰でもできる。別に自分でなくてもよいのだ。
これがすこし専門的な分野でも時間さえかければできる。
さらに可能性を広げるが、理論的には誰でもプロ野球選手になることもできる。かけなければいけない時間が膨大で限りなく難しいだけで。
自分にしかできない仕事をするには能力が必要だが、能力の取得は以下の通り。時間軸を基本とする。
能力の習得 = 個別の基礎値 + 能力ごとの習得時間 / 習得効率
※個別の基礎値:IQ、身長など、生まれ持っての値
※能力ごとの習得時間:練習、勉強
※習得効率:基礎値、過去の習得経験に比例
となると、時間軸を無視して自分にしかできない仕事とは?の問いを立てたこと自体愚問である。この問いを立てて良いのは、超越した基礎値を持つ天才くらいかもしれない。
その人にしかできない仕事軸の判断は、個人の保身であり、会社の怠慢である
このままでは採用担当としてヤバイやつで終わってしまうので、個人と会社、両視点から対等に話を展開する。
まず個人単位だが、この発言の意図はただ保身したいだけである。
能力ベースの判断は、コンフォートゾーンからは出ない、または出る努力をしないと宣言している様なものだ。
与えられた土壌だけで勝負する、そんな都合の良い仕事があるはずがない。
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会社にとっても都合の良い話である。能力ベースの採用は後先考えなくて良いのでとても簡単だ。能力の使いみちがなくなれば捨てれば良い。(日本は難しいので、配置転換や希望退職で代替している。)
人材を事業のコマとして見てる、ただの怠慢でしか無い。
この論で言うと、採用を担当し始めて1つ失敗談がある。
相手は経験豊富でコミュニケーションも取れる、非常に優秀な方。その方だが、結果的に選考辞退となってしまった。
その原因は、自分たちが能力ベースで会話してしまったことだった。
選考の途中でご飯に行ったのだが、その際に、
「うちに入ったらあれやこれや、幅広くご活躍できると思っていて、任せたいことたくさんあります!」
的な、能力ベースでできることをひたすら伝えてしまったのである。
当時自分たちは「こんなにやれることがあるって明示することが良い!」と思っていたのだが、相手の印象は真逆だった。
「自分たちがやりたいことをやるために採用してる」と捉えられてしまったのだ。
全くそんなつもりはなく後日ミスコミュニケーションは解決できたのだが、事実としてコマとしての採用と見られたことに変わりはない。自分の、会社としての、無意識の怠慢に気づいた出来事だった。
前提を踏まえた上で、自分にしかできない仕事の本質とは
自分にしかできない仕事などない、個人の保身、会社の怠慢、と記してきたが、その前提を踏まえて問いを立て直すとしたら。
冒頭で述べた「時間軸」が考慮されるのではないだろうか。時間軸を考慮することで、時間に紐づく要素が立体的になる。
いま
その一瞬一瞬において
その状況(場所、物、人達)で
何をすべきか
確かに自分だけができる仕事など存在しない。しかし、その瞬間はどうだろうか?その時その状況でその人にしかできないことではないだろうか。
そして次の瞬間、それが誰でもできる仕事になったのであれば、それは任せれば良いし、次何をすべきかを考え、行動すれば良い。瞬間的属人化と体系化を繰り返すのだ。
この繰り返しこそ、能力習得そのものであり、自分にしかできない仕事の本質なのだ。
私が行っている仕事についても。採用、開発、分析業務は誰でもできるが、今この瞬間、この状況できるのは自分しかいない。もし明日にでもできる人が現れたら、また次何をすべきか考えるのみである。
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最後に会社視点でも書いておこう。個人と同じく、その一瞬はその人のその能力が必要かもしれないが、明日には必要ないかもしれない。
そんな中、能力ベースでの判断して良いはずがない。
何をすべきか判断できる様に、現状を的確に伝えることが会社の義務である。