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1999年7の月に何が起こるのか?
K.S.R.C ResearchReport FileNo.199907
オリジナル公開日 1999/1/4 報告
報告者:KS
<2022/4/某日>
今から20数年前、時代は世紀末を迎えていた。
しかも単なる世紀末ではなく千年紀(ミレニアム)の終わりという滅多に立ち会うことのできない混沌とした時代だった。
メディアは終末論を叫び様々な危機を煽っていた。
その中でも中心となっていたのはノストラダムスであろう。
五島勉氏によるノストラダムスの大予言シリーズは話題となり、また漫画では少年マガジン連載のMMRがその時流に乗っていた。
ノストラダムスの大予言の影響を受け、1999年に世界は滅ぶのではないかとまことしやかに言われていた時代 - 今となってはあの狂乱は何だったのかと思うほど奇妙な空気感が漂っていた。
我がKenSugiリサーチでもノストラダムスは4回取り扱っているが、今回それらのリサーチをここに掲載していく。
当時の雰囲気を知っている人も知らない人も、世紀末に踊らされた世界を垣間見てほしい。
FileNo.199907 1999年7の月に何が起こるのか?(1999/1/4公開)
FileNo.010018 見えてきた恐怖の大王(1999/10/11公開)
FileNo.200101 『1999年7の月』はまだ来ていない?!(2001/1/1公開)
FileNo.200104 ノストラダムスの予言は現実化したのか?(2001/9/26公開)
1999年7の月
恐怖の大王が空から降ってくるだろう
アンゴルモアの大王を蘇らせるために
その前後の期間 マルスは幸福のもとに支配するだろう
<訳:五島 勉>
これは、ノストラダムスが残した数ある予言の中で最も有名な四行詩である。
世界中の”ノストラダムス研究家”がこの詩の解読を必死になって試みている。彼らの解読によると、人類は1999年7月(か8月)に滅亡する・・・らしい。
日本におけるノストラダムス研究家の第一人者は五島勉氏であるということに異議を唱える人は少ないだろう。1973年、その名も「ノストラダムスの大予言」という本を彼は出版した。この本は250万部を超える大ベストセラーになり、その後「Ⅱ」「Ⅲ」「Ⅳ」「Ⅴ」「スペシャル日本編」「中東編」「残された希望編」「地獄編」とシリーズ化され、1998年7月には「最終解答編」というシリーズ最終刊(と思われる・・・)を出版している。
五島氏のこのシリーズにより日本においてノストラダムスの名前は誰しもの知るところとなった。と同時に、冒頭の「1999年7の月」の予言詩も有名となり、誰しもが人類は1999年に滅亡するのではないか?という恐怖を抱くこととなったのである。
以下、この予言詩に基づいて1999年7の月に何が起こるのかを導いていくこととしよう。
<検証1>1999年7の月とはいつのことなのか?
ノストラダムスの予言詩は膨大な数にのぼるが、その予言の中に年号が出てくる詩は極めて少ない。それ故、1999年とは西暦なのかと意義を唱える研究家も若干ではあるがいるようだ。しかし、彼ほどの予言者がこれほど世界規模で彼の予言を取り上げられる時代を予感出来なかったとは考えづらい。詳しくは五島勉氏他の研究本等を見ていただくこととして、結論から言えば、1999年は紛れもなく西暦1999年のことである。
1999年が西暦であることは大方の研究者の間でも一致した見解なのだが、「7の月」に関してはいくつかの解釈があるようだ。代表的な2つの説を紹介しよう。
①7月説
文字通り、7月のことであるという説。
②8月説
ノストラダムスは太陰暦でこの予言を書いており、したがって太陽暦に直せば7月は8月のことだと言う説。この説は意外と人気がある。そのわけは、8月19日にグランドクロスと呼ばれる太陽系の惑星が地球を中心に十字形に並ぶという宇宙規模の自然現象が起こる。このグランドクロスによって重力異変が起こり天変地異が起きるのではという説のためである。また最近では、NASAの打ち上げた土星探査機カッシーニがフライバイ航法(惑星の重力を利用し加速度をつける方法)で8月16日に地球に最接近することが注目され、その際にカッシーニが地球に落ちてくるのだという説からも「7の月=8月」説は支持されている。
といったところなのだが、いずれも間違っている。
1999年まではっきり言いきっているノストラダムスがなぜ月は「7の月」と言うのだろうか。「7の月」が7月や8月のことならばはっきりと「1999年7月」や「1999年8月」と言えばいいのに「7の月」と言っているのには訳がある。それは、何月とは言い切ることができないからに他ならない。が、彼は決して予言の幅を持たそうとしているわけではない。「7の月」には以下の意味があるためなのだ。
①7つの月
恐怖の大王が降ってくるのはある特定の一つの月ではなく、7つの月(1999年の1月から12月までの間の7つの月)である。
②不吉な月
ノストラダムスはキリスト教徒だった可能性が非常に高い。意外と知られていないのだが、キリスト教において7という数字は不吉な数字である。従って、「7の月」とは不吉なことの起きる月の象徴である。
以上のことから明らかなように、「7の月」を7月や8月だと思いのんびりしていてはいけない。もしかしたら1月も「7の月」なのかもしれないのだ。
<検証2>人類は滅びるのか?
多くの研究家は「1999年7の月に人類が滅びる」という解読を行っている。しかし、この詩のどこにも”人類の滅亡”という内容はない。人類滅亡説をとっている研究家の主張する点はこうだ。
①1999年は世紀末である。世紀末には人類は滅亡し、神に選ばれた一握りの人間のみが助かるというのは、キリスト教の世界ではもう決められたことで避けることはできないのだ。
②ノストラダムスがあえて「恐怖の大王」と表現するからには人類が滅亡するほどの世界規模の大災害に違いない。
①に関しては、キリスト教を信じる者にとっては仕方ないことだろう。確かにノストラダムスはキリスト教徒であり、キリスト教系予言者のアンカーの役割も担っている。が、彼は宗教を超えて予言を残している。したがって、①はキリスト教徒による白人至上主義的願望の現れと言えるだろう。
②に関しては、確かに恐ろしい表現ではあるが、それだけである。この詩にはそんなニュアンスはいっさい含まれていない。ただ”恐怖の大王が降ってきてその前後の期間にマルスが支配する”だけである。
結論。人類滅亡はない!
<検証3>恐怖の大王の正体とは?
これにも諸説あるが、代表的なところを紹介すると・・・核ミサイル説、隕石説、人工衛星説、宇宙人襲来説、公害説、環境ホルモン説、コンピュータパニック説など、まだまだたくさんある。
一昔前までは、核ミサイル説が人気だったが時代の流れか、最近では人工衛星説(先述のカッシーニなど)やコンピュータパニック説(2000年問題がらみ)が人気が高いようだ。また、一つの原因ではなく、いろいろな要素が複合されたモノであろうという考えも増えている。
結局のところ、正体はよくわからないのだが、今ここに紹介したいろいろな仮説のどれでもないような気がして仕方ない。おそらく、今の我々には想像のつかない何かであるだろう。
<検証4>何が起きるのか?
では、結局のところ1999年7の月に何が起きるのか。
「マルスは幸福のもとに支配するだろう」の一節からある程度の推測ができそうだ。
まず、「マルス」だが素直に考えればマルスとは火星のことである。これは占星術や天体に詳しい方なら常識と言っても良いだろう。さらに火星は”戦争の神”でもあるのもまた常識の範疇だ。
そう、「マルスは幸福のもとに支配するだろう」とは「戦争は幸福のもとに支配するだろう」と読むことができる。第2次世界大戦中の日本や湾岸戦争でのアメリカをみてもわかることだが、戦争を行う場合、必ずと言ってもいいほどこういったいいわけをする。「この戦争は正義のための戦いなのだ。この戦いは幸せのための戦いなのだ。」と。
したがって、世界が”正義のための戦争”と言いはじめた時は、”7の月”の始まりと考えていいだろう。ただし、その戦争で人類が滅亡することはない。しかも、「恐怖の大王」と戦争は無関係の可能性もある。(恐怖の大王が降ってくる時に、たまたま戦争が起きているだけの可能性は捨てきれない!)
結局、1999年7の月に何が起きるのか。
それはまず、世界のどこかで戦争が起きる。(または起きている状態になる)
それから、前述の恐怖の大王が降ってくるのである。恐怖の大王の正体は分からないが、何をするかはわかっている。アンゴルモアの大王を蘇らそうとするのだ。ただし、アンゴルモアの大王の正体もはっきりしないし、蘇るとも限らない。はっきりしているのは恐怖の大王が降ってくるということだけなのだ。
いずれにせよ、世界のどこかで戦争が起きている状態になるわけなので、平和な状態とは言い切れない時である。日本はその戦争の最前線に出ることは無いとは思うが、後方支援にまわる可能性は十分にある。その時、日本国民一人一人は戦争に荷担している認識は無いと思うが、戦地から離れていても戦争に荷担していることには違いないのだ。そんな戦争に荷担しないためにも、また21世紀には戦争そのものが無くなるような世界を築いていくためにも、我々一人一人の認識を変えなければならない時にきているのは確実である。世界を変えていくのは、個人だということを忘れずにいてもらいたい。
世紀末を迎え、いろいろなメディアでノストラダムスの特集が組まれるようになってきているようだが、その扱い方には問題があるようだ。
最後に、メディアでのノストラダムスの扱い方について触れることにしよう。
ノストラダムスに限らず現在の科学では解明できていない現象を扱う場合、肯定派と否定派に分かれて議論する場合がある。(特によく”朝まで討論”する番組を製作しているTV局に多いようだ)
この場合の肯定派・否定派と称される人々の人選に問題がある(特に肯定派)。否定派にプラズマの研究で有名な教授を呼ぶのは仕方がないとしても、肯定派の人選はどう考えてもおかしい。まるで視聴者に肯定派を信じさせなくするための人選と言わざるを得ない。肯定派と呼ばれる人の中にそういった人が混ざっていると言う程度なら問題はない(むしろそういう人が全くいないという場合の方が問題である)。しかし、全員がそういった人というのはあまりにも偏っている。
そういった人とはどういう人かと言えば、以下のような人達だ。
・本気で自分はノストラダムスの生まれ変わりだと信じている人。
・自分で喋っている話の内容が矛盾してるのに自分自身で気づきながら、すべて事実だと言い張る人。
・すべてのことを自分の得意な分野に結びつける人。(例えば火山に詳しい人ならばすべて火山に結びつけるような人やすべてプラズマのせいにしてしまう人・・・?・・・これは否定派の人か・・・)
結局、まじめに研究している人は呼ばれずに、TV的におもしろい言動の人しか呼ばれない。TV的におもしろい人は肯定派の方に多いため、TVを見ている人は否定派をすべてにおいて正しいことを言う人という間違った印象を受けてしまう。
そもそも科学というのは、すでに解っていることの説明でしかない。未知なことを説明するためには既存の科学(知識)では説明できないのは当たり前のことなのである。しかし、既存の科学以外のことを研究対象にしたとたん、変人扱いされてしまうのが現状なのである。この傾向は日本では特に強い。だから日本では超常現象や超自然現象と呼ばれる分野の研究が世界に比べて遅れてしまっているのだ。
ほんの半世紀前までは音速を超えることは不可能だというのが科学の常識だったし、ましてや人類が月に行くとは誰も予想していなかったことなのだ(SF作家は別だが)。今、科学の常識と思われていることも、数年後には変わっていることも十分あり得るのだ。
ノストラダムスの予言が非科学的だと言うのは簡単だ。しかし、科学的・非科学的ということと、何が正しいことかということはまったく別次元の問題なのである。
いつの日にか予言のメカニズムも解明される日が来るかもしれない。
その日まで、人類が滅亡しないでいることを祈っている。
<解説>
不吉な数字 ”7”
聖書によれば、神は6日間でこの世界を創りあげ、7日目を休息の日とした。これが1週間(日曜日)の基になっているわけだが、よく考えてみてほしい。7日目に休息しているのは誰かを。そう、神が休息しているのだ。7日目は神の力の及ばない世界となっている。そこから、”7”と言う数字は神の力の及ばない=悪魔の支配する数字ということになるのだ。
1999年7月に起きること
①ノストラダムスの特別番組が企画される。
②各地で真夏日を記録する。
③各地で海開きがされる。
④各地で1学期の終業式が行われる。