コラム:特撮モノを考える~2023年総括編①”G-1.0”
将来特撮モノを語るとき、2023年は奇跡的な年だったと言われるような名作が数多く生まれた年であった。
特撮映画、ニチアサ、ウルトラマン、それぞれに特筆すべきものばかりだ。
(なお、海外映画は特撮モノではないので除外する。詳しくはこちらを読んでほしい)
まずは何はなくてもゴジラー1.0から。
映画では他にもシン・仮面ライダーも話題になったがレベルが違う。
シン・仮面ライダーはどうしても庵野監督のファンムービーの域を超えることができず、庵野ファンや庵野テイストが好みの方には良かったかもしれないが、ここで特に語るほどのものではない。
ゴジラー1.0(入力が意外と面倒なので以降マイゴジとさせていただく)はその庵野監督のシン・ゴジラの次のゴジラ作品としてもの凄いプレッシャーがあったことが部外者からも容易に想像できる作品であるが、フタを開けてみれば期待値を大幅に上回る作品だった。
山崎監督はシン・ゴジラの逆を行ったということだが、そのすべてが成功していると言えるだろう。
成功の要因はいろいろあるだろうが、人々が怪獣映画に求めるものをかなりの数取り込んでいる。
怪獣映画に求めるものは何か?
人によってそれぞれだと思うが、それは承知のうえであえて理想の怪獣映画のプロット(ベタな展開といった方がいいか?)を挙げてみる。
物語の出だしは不穏な動きからスタート。何かわからないが巨大な生物にでも襲われたような被害が発生する
オープニングの背景は怪獣の皮膚のドアップにキャストを縦書き
主人公はなぜか事件に巻き込まれがち
ヒロインとはひょんなことから行動を共にする
だんだんわかってくる怪獣の全容
いろいろと説明がちなセリフ
怪獣をやっつけるための○○作戦。その作戦を説明してくれる怪しい学者
作戦には欠点がありそうだが、次の一手も考えている
攻撃して「やったか?」からの、やってない
何とか怪獣を倒してエンドロール、と思ったらエンドロールの最後でまだ生きてる!
「終」の文字がで~んと出て終わり(ガメラ限定)
というのが理想の怪獣映画だ。(異論は認める)
で、マイゴジを見るとほとんど当てはまっている。
2のオープニング以外は理想形だ。
当然こういったベタ展開だけではなく令和時代に耐えうる優れた特撮、VFXや効果的な音楽もマイゴジは見事なまでにすべてクリアしている。
マイゴジではモスラ対ゴジラやキングコング対ゴジラのテーマも使用されている。
それについて批判している意見も目にしたが、すでにそれらを視聴済みの方々はマニアと言って差し支えはなく、最初に使われた映画が何かということはもはや問題ではなく、そのシーンにあった音楽かどうかが問題なのであるが、マイゴジではシーンに合った使い方だったと明言できるだろう。
マイゴジの批評の中には演技が臭い、くどい、感情をいちいち言葉にしすぎといった評価も散見されるが、そういった批判は上記6のわかりやすい説明セリフを否定していることになるのだが、怪獣映画の王道が何たるかを理解していないとしか言いようがない。
また今回はそういった批判的な人の多くがアンチ山崎監督のように感じされる。山崎監督が嫌いという人がいるのは理解するが、そういった人は本当に作品をちゃんと見て評価しているのか?と小一時間問い詰めたい。
「お前が見に来ているのはゴジラ映画であって人間ドラマじゃないんだぞ」と。
いや、人間ドラマであっても気になるレベルではなかったんだが、私がおかしいのか?
ここまでマイゴジの内容に言及してきていないが、内容にも少し触れていこう。
マイゴジは山崎監督自身が語っているがGMKの影響をかなり受けている。
ゴジラの存在自体が戦争に対する被害者の代弁者のようになっている。
GMKでは残留思念体という体を取っていたがマイゴジではゴジラそのものが戦争に対する恨みを人類に向けているように受け取れる。
またマイゴジでは放射熱線を吐くときに背びれが一旦引き出された後に引き金のように一斉に引き戻されると同時に発射されるというシーケンスが原発の制御棒やそれに類似したメカニカルな制御機構を想像させ話題になった。
この一連のシーケンスは放射熱線を吐く事自体に溜めを付け、必殺技のようなある種のカタルシスを与えることに成功している。
また同時に簡単に発射できないということも暗に表現しその後の作戦へと続くことになっている。
放射熱線発射後の描写も原爆そのものをイメージさせる表現を行う事で今まで以上にゴジラと原爆を結びつけている。(初代ゴジラはビキニ環礁の水爆実験により生まれたものだがマイゴジはクロスロード作戦による原爆実験に変更されている)
このゴジラの放射熱線後の原爆を連想される描写もGMKで行われている。
マイゴジではキノコ雲からもう一歩踏み込み、黒い雨まで降らせている。
実際の黒い雨はそんなすぐには降らなかったようだがそんなことはどうでもよく、ここまで原爆や戦争に直結した表現をしたことは素直に評価したい。
前述したベタな展開の10で挙げたエンドロール後のまだ生きているぞという表現もGMKと全くと言っていいほど同じだが、怪獣映画、いやゴジラ映画の場合、そう簡単に終わらねえぞというのは定番と言えるだろう。
読者の中には「定番と言えるほどあったか?」という方もいると思う。その指摘はある意味正しい。明確に死んだと思ったのに生きているという表現はゴジラVSメガギラスとGMKくらいだろう。
しかし初代の最後の山根博士の「最後の一匹とは思えない」というあまりにも有名なセリフは人類への警告ということだけではなく、まだゴジラはいるぞという次回作への伏線でもあるのだ。
そういった意味ではマイゴジはエンドロール後の細胞片だけではなく、爆風で吹き飛ばされたにも関わらず生きていた典子の首筋の黒い影はどう考えてもゴジラ細胞であるし、許されるのであればこのまま直接的な続編を制作してもらいたい。
劇中銀座蹂躙後に破壊された街を調査している人たちはゴジラVSビオランテでのG細胞を採取していたサラジア共和国のエージェントも想像される。
そう、次回作へ繋げるための種まきはいくらでもされているのだ。
ゴジラVSビオランテがゴジラVS沢口靖子と言われたようにゴジラVS浜辺美波になるのか山崎監督が大好きなキングギドラを出すのかどっちでもいいが、同じテイストで作って欲しい。
さて2023年を語る上ではゴジラ以外にもキングオージャーとウルトラマンブレーザーに触れない訳にはいかないが、一旦ここまでとしたい。
2023.12.31
年明けのゴジラ-1.0/Cも見るぞと
心に秘めつつ紅白を見る大晦日
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