『1999年7の月』はまだ来ていない?!
K.S.R.C ResearchReport FileNo.200101
オリジナル公開日 2001/1/1 報告
報告者:KS
<2022/4/某日>
今から20数年前、時代は世紀末を迎えていた。
しかも単なる世紀末ではなく千年紀(ミレニアム)の終わりという滅多に立ち会うことのできない混沌とした時代だった。
メディアは終末論を叫び様々な危機を煽っていた。
その中でも中心となっていたのはノストラダムスであろう。
五島勉氏によるノストラダムスの大予言シリーズは話題となり、また漫画では少年マガジン連載のMMRがその時流に乗っていた。
ノストラダムスの大予言の影響を受け、1999年に世界は滅ぶのではないかとまことしやかに言われていた時代 - 今となってはあの狂乱は何だったのかと思うほど奇妙な空気感が漂っていた。
我がKenSugiリサーチでもノストラダムスは4回取り扱っているが、今回それらのリサーチをここに掲載していく。
当時の雰囲気を知っている人も知らない人も、世紀末に踊らされた世界を垣間見てほしい。
20世紀という科学の世紀の終焉において、世界中を恐怖に駆り立てた一遍の詩。
それこそが、ノストラダムスの有名な4行詩である。
1999年7の月
恐怖の大王が空から降ってくるだろう
アンゴルモアの大王を蘇らせるために
その前後の期間 マルスは幸福のもとに支配するだろう
この詩についてK.S.R.Cでは、過去2回リサーチを行っている。
そのリサーチにおいて、7の月は象徴であり特定の月ではないという結論を導き出している。
しかし、我々はとんでもない過ちを犯していた可能性があるのだ。
それは、誰しもが疑わなかった『1999年は西暦1999年である』ということなのである。
我々は、無意識のうちに、1999年という年は西暦1999年であると決め付けていた。
いや、正確には幾つかの解釈の中から西暦説を選択したのである。
しかしながら、ノストラダムスはキリスト教系予言者のアンカーであり、またキリスト教との決別という意識下で予言していたはずであるとの見解から、西暦説を採用したのである。
だが、我々はここでひとつ重大な見落としがあることに気付いたのだ。
その答えはやはり”西暦”にあったのだ。
過去のリサーチにおいて西暦というのはキリスト誕生から何年という意味を持っていることは報告したが、実はこのキリスト誕生の年と西暦のスタートは一致していないのである。
実は、キリスト誕生は現在の西暦でいうと西暦7年の出来事かもしれないのだ。
これは一体どういうことなのか。
ノストラダムスがキリスト教を強く意識していることは再三述べているが、ということは『1999年』という年も、キリスト誕生後1999年と考えるのが妥当なのではないだろうか。
とすると、ノストラダムスの言うところの『1999年』は西暦で言いかえるならば、1999+7=2006年ということになる。
そう、もう過ぎ去ったと思っていた『1999年7の月』は、実はまだ訪れていなかったのである。
しかもこの2006年という年の前後の期間には、ある計画が推し進められようとしているのだ。
それは、火星探査計画である。
<火星探査計画1:マース・サーベイヤ2001計画>
マース・サーベイヤ2001計画は、火星の周りを回る周回機と、着陸して調査を行う着陸機の2機からなる計画である。周回衛星と着陸機は別々に打ち上げら、周回衛星は2001年3月、着陸機は2001年4月に地球を出発する予定となっている。
<火星探査計画2: マース・サーベイヤ2003/2005>
マース・サーベイヤ2003/2005は、マースグローバルサーベイヤから続く米国の火星探査シリーズの計画である。2003年に周回及び着陸観測、2005年にサンプルリターンが計画されている。
<火星探査計画3:Mars Express>
Mars Expressは、ESA(欧州宇宙機関)が2003年の打上を目指して検討している火星探査機である。
打上げ後6ヶ月後火星に到着、生命と水分の痕跡探査を開始する予定である。
<火星探査計画4:有人火星探査計画>
米国は2009年以降、火星の有人探査を検討している。
このように、火星というひとつの惑星に対し、短期間にこれほどまでの探査計画が進められているのは、あの月面探査以上と言えるだろう。
こういった計画の集中は、まさに例の詩の『その前後の期間、マルスは幸福のもとに支配する』の通りではないだろうか。
マルス=火星ということは以前のリサーチでも述べているし、こういった探査計画が行われるということは、世界が緊張状態ではなく、平和な状態=幸福に支配されている状態だからこそと言えるのではないだろうか。
こういったことからも、1999年=西暦2006年という年号が表れてくるのである。
人類は20世紀という時代を超え、21世紀に突入した。
しかし、それは”現在用いている西暦”2001年を迎えたに過ぎないのだ。
真の意味の”西暦”を考えたとき、まだ我々は20世紀を過ごしているのである。
果たして、本当の21世紀は来るのであろうか。
その結論は、6年後に分かるはずである・・・。
<解説>
過去2回のリサーチ
1999/1/4報告:FileNo.199907「1999年7の月に何が起こるのか?」
1999/10/11報告:FileNo.010018「見えてきた恐怖の大王」
キリスト誕生
正確なキリスト誕生年月日を求める最大の根拠は新約聖書である。
新約聖書によると、キリストはヘロデ王の時代に生まれているのだ。
逆に言えば、ヘロデ王の死んだ年月が分かれば、ある程度推測できるのだ。
では、ヘロデ王はいつ死んだのであろうか。
ローマの年代学者ヨセウス・フラウィウス(紀元37~95年)によれば、『月食とそのあとの"過ぎ越しの祭"の間』にヘロデ王は死んだらしいのだ。
また、新約聖書によると、その『月食とそのあとの"過ぎ越しの祭"の間』にヘロデは療養の旅に出ている。
実は、従来の説では、それは紀元前4年なのだ。
過ぎ越しの祭りとは、現在の復活祭のもとになったユダヤ教の祭(今のイースター)であり、ローマ時代は重要な祭りだった。
時期は、春分の日のあとの、最初の満月の次の日曜日である。
そして、当時起こった月食と過ぎ越しの祭は以下の通りである。
月食発生日月食のタイプ次の”過ぎ越しの祭”紀元前5年9月15日皆既紀元前4年4月11日紀元前4年3月13日部分紀元前4年4月11日紀元前1年1月9日皆既紀元前1年4月8日紀元前1年12月29日部分紀元後1年3月29日
上記のように紀元前5~1年まで4回月食がある。
紀元前4年説だと、過ぎ越しの祭までの間に療養の旅に出る時間が短い、いや1ヶ月で十分だ、と否定説と肯定説が様々あるのだ。
このように、イエスが生まれたのは紀元前6~1年の間のいつともとれるのである。
しかし、これらは全て推測でしかない。
そういった曖昧な年代をノストラダムスが指定するであろうか。
ノストラダムスが『1999年』と明記した年は、何らかで確定できる年と考える方が自然である。
そこで、浮かび上がってくるのが”エチオピア暦”なのである。
エチオピア暦とは、熱心なキリスト教徒であるエチオピア人が用いている暦である。
彼らはアレクサンドリアから継承した独自の暦を用いているのだ。
エチオピア暦は太陰太陽暦であり、月の区分は太陰暦によるが、太陽暦とのズレを補正するために、9月末に数日付け加えるのである。
しかし、もっとも特徴的なのは西暦より7年遅く始まっている点であろう。
それはなぜか。
答えは簡単だ。
エチオピア人はキリスト生誕が西暦が想定するより7年後のことであると想定したためである。
前述のように、西暦のキリスト誕生年は正しくないことが判明している。
西暦よりエチオピア暦の方が正しい可能性は十分あるのだ。
このように、現在においても実際に使用されている年号である”エチオピア暦”をベースにノストラダムスが予言を残した可能性は否定できない。