死後の世界は存在するのか
K.S.R.C ResearchReport FileNo.010021
オリジナル公開日 1999/11/3 報告
報告者:KS
人は死んだらどうなるのか。天国や地獄は本当に存在するのであろうか。
それにはまず死というものから考えていかなければならないだろう。
死を考える前に、生きている状態とはどういう状態かを考えてみよう。
生きている状態。それは、自発的にエネルギー変換を行っている状態と言えるのではないであろうか。
多くの生物の場合、酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出すというガス交換と、食物を消化する事から得るエネルギー交換を行っている。
言い換えるならば、熱エネルギーをある状態からある状態へと変換している状態。これが生きている状態である。もちろん、物理法則である質量・エネルギー保存の法則にも反していない状態である。
では、死んでいる状態とはどういう状態か。
それは、生きている状態の反対の状態、すなわち、エネルギー交換を行っていない状態と言えるであろう。
この状態では、外部とのあらゆるエネルギーの遷移が発生せず、故に、自発的な活動ができない。これも、質量・エネルギー保存の法則にも反していない。
さて、そこで死後の世界を仮定してみよう。
死後の世界には魂が行くのが一般的である。では、魂とは何か。もし、魂が物理的に存在すると仮定した場合、死亡した後にその肉体から魂の分の質量あるいはエネルギーが消失し、死後の世界へと行くことになる。
死後の世界は、我々の存在している世界には存在しないため、この世界からその魂分の質量・エネルギーが消失してしまうことになり、質量・エネルギー保存の法則に反してしまう。
したがって、物理法則から考えた場合、死後の世界の存在は疑わしいのである。
しかし、質量・エネルギー保存の法則に反するのは、死後の世界と我々の世界が全く別の世界であった場合の話である。
もし、死後の世界と我々の世界が何らかの物理的な繋がりを持っていると仮定した場合は、話が変わってくるのだ。
我々のいるこの世界は4次元時空と呼ばれている。4次元時空とは、縦・横・高さの3次元世界に一方方向の時間軸を加えた世界のことである。
もし、死後の世界が4次元時空以外の世界、例えば5次元時空のような世界に存在した場合、我々にはそれを認知することはできないが、物理的な繋がりが全く存在し得ないとは言い切れないのである。
一般的に、物理法則は4次元時空以外では成り立たないといわれているが、それを証明する術はない。したがって、先の質量・エネルギー保存の法則も4次元時空と死後の世界との間で成立する可能性も否定できないのだ。
では、死後の世界の存在は、証明するのが難しいだけで、理論上は肯定できるのではないか、と言えば、そうではない。
いくつかある問題点を考察してみよう。
1.人口問題
人間が地球上に現れて400万年と言われているが、今までに死んでいった人間の数は、一体何人いるのであろうか。その全てが死後の世界にいるとすると、死後の世界は死者で溢れてしまうのではないか。
だが、これは心配しなくていい。死後の世界は4次元時空ではないため、我々が想像するような物理的な空間の広がりとは別の広がりを持っているのだ。したがって、どんなにたくさんの死者が訪れようとも、人口過密になることはないのだ。
2.存在状態
若くして死ぬ人もあれば、天寿を全うして死ぬ人もいる。
では、死後の世界では一体どんな姿をしているのであろうか。若くして死んだ人は死後の世界ではずっと若い姿のままなのか。もし、死後の世界でも成長するならば、年老いて死んだ人はどうなるのか。
これは、いくつか説があるが、以下の2つを紹介することに留めよう。
①その人の望む姿(年齢)で存在することができる。
②死後の世界でも、成長し、やがて死(!)を迎える。死後の世界で死んだ魂は、再び我々の世界へと戻ってくるのである。
くしくも②の考え方は、死後の世界と我々の世界での質量・エネルギー保存の法則を成立させるではないか。
が、実は、ここに挙げたような点は、問題ではない。
死後の世界を考える上で問題となるのは、死後の世界の住人は誰か、ということなのだ。
「そんなの死んだ人に決まっているではないか」と言う方もいるかもしれない。が、そうであろうか。事はそんな単純ではない。
この世界で死ぬのは何も人だけではない。ありとあらゆる生物は死を迎える。では、そういった人間以外の生物は、死後の世界にいないのか。
もし、人間だけが死後の世界に行くのであれば、ネアンデルタール人やクロマニヨン人も死後の世界にいるのか。あるいは、人と類人猿の中間生物はどうなのか。一番最初に死後の世界に行ったのは誰なのか。
別の見方をすれば、人間だけを特別視するのは、それこそ人間の傲慢さが成せる技なのではないだろうか。宇宙を見渡した時、そんなに人間が特別な存在とは考えにくいのではないか。
もし、人間以外の生物も死後の世界に行くのであるとすれば、一番最初の生物、すなわち無機物と有機物の境界線上の生物も死後の世界に行ったのか。植物も死後の世界に行くのか。そもそも、植物と動物という分類自体が人間が勝手に分類しているに過ぎないのではないか。
また、地球外生物はどうなるのか。地球外生物は我々の想像を超えた生物も存在しているのではないか。例えば、プラズマ状生物や岩石状生物などは、地球の常識では生物とは言えないのではないか。それらも死後の世界に行くのか。
と、いった様々な疑問が生じるのである。
したがって、現段階では、死後の世界の存在は残念ながら否定せざるを得ない。
<解説>
生きている状態
酸素を吸い、炭酸ガスを吐き出す・・・自動車はどうだろう。
エンジンは酸素を取り込みガソリン(食物)を燃焼させ、エネルギーを得、炭酸ガスNOxを排出している。これは、生物の定義に当てはまらないだろうか。
もし、宇宙人が自動車を見たとき、生物と判断しても不思議ではない。
魂の質量
まさに死んでいく人の体重を計測した結果、死亡と同時に約30g体重が軽くなったことが測定されている。
それ以外の可能性
超宇宙の考え方を導入すれば死後の世界の存在は可能だ。
超宇宙(スーパーヴァース)とは、異次元、我々の宇宙の過去と未来、我々の宇宙とほぼ同等な平行宇宙、分岐宇宙などをすべて含んだ世界の考え方のことだ。
要するに、我々の想像を遙かに越えた世界にならば、死後の世界は存在できるのだ。
しかし、これでは何も解決しないのは明らかだろう。
もう一つの可能性は、精神世界に求めるしかない。
死を認識できるのは、人間のみである。また、亡くなった人の記憶や想い出を持ち続けることができるのも人間の特権である。
したがって、死後の世界は、我々の心にのみ存在しうるのではないだろうか。
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