*これは執筆中の記事です
性蔑信仰(性忌信仰)に対する各思想家の理論的見解を記載していく。
ジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)
ルソーは『エミール』(1762)で、男性が欲望を抱いた際、これを滅法示せば「男性は女性に抑圧され犠牲となり、死に追い込まれるような目に合いながら、決して抵抗することが出来ない」と述べ、男性抑圧的という見解を示した。しかし、同時にこれを「不変の自然法」だと説き、「自然は女性には容易に欲望を刺激する力を与え、男性には容易に欲望を満足させる力を与えず」これによって「男性はいやおうなしに女性の気分へ依存させられ、女性を喜ばせようと努めることを強制される」と述べた。さらに、「たとえ女性がこの支配権を悪用したとしても女性からそれを剝奪することは出来ない。仮に女性がそれを失うものであればとうの昔に失っていたに違いない」と論じ、女性が男性を支配していることを示した。
ジョレミ・ベンサム(1748~1832)
ベンサムは『道徳および立法の諸原理序説』(1789)で、色欲に無性に避難の印をつけることを「陳腐な道徳観」だと批判し、それは「物事に適用されたときはあやまり、名称に適用されたときは真実ではあるが無意味」だと述べた。また、「人類に真の奉仕をしたいのであれば、性的欲望が色欲という名称に値する事情を示さなければならない」と述べた。