ぼくのライブエイド研究9
ウィ・アー・ザ・ワールドが生まれる直前!
アメリカン・ミュージック・アワード大特集
AMA1985からスタジオへ!
この連載noteを読んでくださってる方は、すでに西寺郷太さんの名著「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」を熟読してると思うので、経緯はご存知でしょうが、
もう一度おさらいしますと、1984年12月にイギリスで「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」が出たのに刺激を受けたアメリカのアーティストたちが「我々もチャリティレコードを作ろう」と集まったのが、明けて1985年の1月28日で、ロサンゼルスのA&Mスタジオにスーパースターたちが集まって「オレ」(「ウィ・アー・ザ・ワールド」のオリジナル・レコーディング)が行われました。
なぜ、この日になったかというと、それはグラミー賞と並ぶ、アメリカ音楽界のビッグイベント、第13回「アメリカン・ミュージック・アワード」(AMA)授賞式が、同じロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムという会場(フリーメイソン系らしいですw)で行われていたので、その日なら、ほっといてもスターたちが集まっているから都合がいい、ということで、会場からスタジオへ直結という感じにイベント終わりで駆けつけたそうな。
ではその、レコーディング直前のAMA授賞式は、いったいどうなっていたのか?
当日の全編の動画がアガっていました。ありがたいですね。司会はライオネル。
日本で放送されたときのも断片的にアガっていた。字幕はありがたいけど、これはプリンスの受賞シーン(大男も出てくる)だけ編集されたものだね。日本語全編は見つからなかった。↓
ちょっと主な出演者の表を作ってみました。ぼくがよく知らないカントリー系の人や、俳優系の人、あんまし憶えてない人は省略しました。すいません。
■ 「オレ」(「ウィ・アー・ザ・ワールド」のオリジナル・レコーディング)に参加し、ライブエイドにも出演した人。(赤茶色)
■ 「オレ」だけ参加した人。(シアン)
■ 「オレ」に参加してないけど、ライブエイドには出た人。(オレンジ)
■ どっちも関わってない人。(色なし)
で、ちゃんとライブをやった人とか役割のハッキリした人には右の備考欄に色つけて表記しました。色なしの人は、賞のプレゼンターとしてのみ来た人や、プレゼンターかと思ったら自分も賞をもらった人とか、賞にノミネートされて来場しただけの人や、見に来ただけらしい有名人なども出演者としてカウントされてるので、区別が難しい。いちいち役割を入れるのはやめましたよ。
そして、この番組の壮大なエンディング、ライオネル・リッチーがなぜか、最後に「レット・イット・ビー」を歌い出す! しかも、ちょっと歌詞を変えて。複雑な表情のジュリアンをカメラが捉える。やがて、出演者全員がステージに集まりコーラスする。
ポール・マッカートニーが会場にいるわけじゃないのに。これから終わって「ウィ・アー・ザ・ワールド」をレコーディングに行く人たちが、ビートルズナンバーを大合唱している、というのが、ライブエイド、そして来年のAMAに向けての壮大な伏線になっていたんですね〜。
このとき誰が何の賞を取ったかについては、ぼくはあんまし興味ないので、知りたい方はこちらを参考に。
https://nipponkaigi.net/wiki/American_Music_Awards_of_1985
むしろ気になるのは、会場にいたプリンスとマドンナは、なぜ呼ばれてた「オレ」をすっぽかしたのか、いい度胸してんな、てことだよね〜。この時点で気まずさはなかったのかな?
プリンスに関しては、2018年に放送されたNHKのドキュメント「アナザーストーリーズ」て番組で「We Are The World 奇跡の一夜 10時間の真実」として、取り上げられた内容で詳しく触れられてましたが、その番組内容を詳しくブログに再録してる方がいらしたので貼っておきますね。
マドンナもそうだし、ジャクソンファミリーの女子はラトーヤだけで、なんでジャネットや長姉のリビーなどは参加しなかったのか? などについては郷太さんの本を読むと、なんとなくわかるよ。
そして郷太さんの本でも、それぞれ1章を費やして書かれてるウェイロン・ジェニングス、と、ポインター・シスターズですが、AMAを見てたら、どちらも、ちゃんとステージでピンで歌う出番があったんだね〜。その直後だから「オレ」でも自分のピンの出番があるかと思ったら、無くてガッカリしたのが、途中離脱につながったのか〜、と想像させますね。
しかし、大物のビーチボーイズとかもいたのに、どうなんかな? 「オレ」に声はかけなかったのか? 当時は時代遅れ感、タイミングとしてまだレジェンドでもない感じだったのか。
ちなみに2010年にリメイクされた「ウィ・アー・ザ・ワールド・フォー・ハイチ」にはビーチ・ボーイズも参加してますね。ジャネットも前年に亡くなったマイケルの代役として参加してた。ぼくはリメイク版は、もうそんな興味ないので研究しませんが。
アース・ウインド&ファイアーのフィリップ・ベイリーとかもね~。呼んでもイイくらいネームヴァリューあったと思うけど。ライブエイドでもフィル・コリンズと「イージー・ラヴァー」歌ってくれたらよかったのに。。ジュリアン・レノンもな、そこそこ親の名前関係なく売れてたし、入れてあげてればな。。STYXのトミー・ショウもいた。「ミスター・ロボット」も、ライブエイドで見たかった気がする。「オレ」に入るには、ちょっと弱いか。。
そういえば、この曲のキーボードは、TOTOのリーダー&ヴォーカルのデヴィッド・ペイチが、普通にスタジオ・ミュージシャンとして弾いてるんだけど、TOTOって名前でクレジットしてもよかったんじゃないか。てか、なぜライブエイドにTOTOをオファーした形跡もないのか。「アフリカ」という最大のヒット曲があるし、アフリカをテーマにしたイベントだったのに!
考えてみると、この日、AMAに来たついでに、て気分で参加した人は多いけど、マイケルをはじめ、AMAのほうにノミネートされてたにも関わらず、そっちは欠席しても「オレ」だけに参加しに来た人も多い、というのは感心ですね! スプリングスティーンや、ディラン、ポール・サイモンや、ビリー・ジョエルとか。まあセレモニー系が苦手な人もいたんでしょうが~。
といった、様々な疑問もはらみつつ「オレ」録音は行われ、レコードは1985年3月28日にリリースされました。
↑ 「ウィ・アー・ザ・ワールド」オリジナルレコーデイングのメイキング映像、パッケージでもリリースされてるものですね。
↑ なんかスペイン語字幕バージョン? こっちのほうが長いね。後半30分はDVDには入ってなかったよね? レーザーディスクには入ってたんだっけ? すいません。誰か教えてください。
↑ こっちのは小林克也さんによる日本語ナレーションつきバージョン。
ライブエイドの1ヶ月半後、1985年8月24日の深夜、日テレの第7回「24時間テレビ・愛は地球を救う」でオンエアされたもの。若干、カットされてますね。
日テレ対フジ チャリティ戦争
フジテレビのライブエイドに対抗して「チャリティといえばこっちだろ!」と言わんばかりで。このときは日テレも「アフリカの飢餓を救おう」がテーマだった。いつもは日本国内の福祉だったのに。しかし、そもそも「24時間テレビ」も、先にフジ系のラジオ、ニッポン放送が「チャリティミュージックソン」として、24時間ラジオのチャリティ番組をやってたのをパクったようなものなので(これも司会は萩本欽一だった)取ったり取られたりだよね〜。フジのその後の27時間テレビはチャリティでもなんでもないですけどね!
克也さんは当時、テレ朝「ベストヒットUSA」をやりつつ、フジのライブエイドにもゲストで出てて、日テレ「24時間テレビ」でも洋楽ネタのときは顔を出し、3局制覇だ。TBSは? 役者としてドラマには出てたね。あとスネークマンのラジオもTBSか。
日本版「ウィ・アー・ザ・ワールド」表記揺れの謎
ついでに1985年3月、最初に出たレコードのカタカナ表記は「ウイ・アー・ザ・ワールド」で「イが大きい」んですけど、その後CD再発のものは「ウィー・アー・ザ・ワールド」で「ィが小さく、しかもー(伸ばし音)が入ってる」のもあるんです。でも「ィが小さく伸ばし音なし」バージョンも「イが大きいまま」のバージョンもある。 呪われてる。
この表記揺れに関しては、wikiにも解説されてないんですが、郷太さんもwikiも「ウィ・アー・ザ・ワールド」で「イが小さく、伸ばし音なし」を表題にしてますので、それにならってます!
ちなみに「ボヘミアン・ラプソディ」も中黒ありなしとか、ィーで伸ばしてるのと、伸ばしてない、表記揺れがかなりある。(余談の余談)
AMA1986はライブエイドの延長戦だ!
そして、結局1985年7月13日のライブエイドでの「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、レコード版とは大幅に違うモノになってしまったことは、この連載の1回〜2回でご説明しましたね。なんでこうなった? の理由も5回〜6回を読むと、だいたいわかります。
しかし、本当にライブエイドで実現するべき「ウィ・アー・ザ・ワールド」が翌年、実現したのが、やっぱりAMAだったのです。
明けて1986年の1月27日、第14回・アメリカン・ミュージック・アワード。フルで見れる動画はこちらなんですが
これ、なんか最初の1時間くらい音声が切れてるんだよね。せっかくアゲてくれた方には悪いけど、ひどい! 全体の様子をザッと見るにはこれでもよいですけど残念。
と、思ってたら、困ったときのインターネット・アーカイブ。なんとこれも、日本で放送されたときのバージョンを全編アゲてくれてる人がいた! 字幕がわかりやすい。当時のCMもそのまま入ってる。これは必見。ぜひ見てください。
司会は山本コータローとセーラ。テレ東でやってたんですね。まあカットされてる部分もけっこうある(フィル・コリンズのしゃべりとか)ので、気になる人はyouubeのほうのオリジナルと見比べてもよし。編集されてるほうが見やすいかな?
↑ こっちは、youtubeで、ライブシーンなどを1シークエンスずつ、分けられたプレイリストで、こっちのは画も音も良い感じじゃよ。(サムネイルひどいw)トーク部分などはあまり入ってないね。
では、こちらも出演者一覧表を作ってみました。色分けなどは上の1985と同じ仕組みです。大幅に人が増えてるのは、VTRコメントだけの人もカウントされてるから。何度見返しても、この人見ないけど出てた? て人までクレジットされてた。謎です。
やっぱりぼくがよく知らないカントリー系の人や、俳優系の人、あんまし憶えてない人は省略しました。すいません。
この年は番組の作りが、完全にロンドンとの2元中継な感じで、正にライブエイド的。ロンドン側の中継スタジオに、アメリカからのアーティストもたくさん参加している。前年とはまったく様相が違う、チャリティ関連の総まとめ的な感じになってました。
やっぱり、このとき誰が何の賞を取ったかについては、ぼくはあんまし興味ないので、知りたい方はこちらを参考に。スプリングスティーンとか、会場に来てない人も賞をあげるのが、日本の音楽賞なんかとは違うとこだね。(ブルースはグラミーやMTVにも出てなかった)
https://nipponkaigi.net/wiki/American_Music_Awards_of_1986
にしても、最優秀ビデオ賞にスティーヴィーの「パート・タイム・ラバー」PVが選ばれ「ぼくにもビデオをよく見せてくれよ」という危ないジョークを自分から言ってたのに笑わせてもらったw
■ これがロンドンからの衛星中継で、ザ・フーのロジャー・ダルトリーがプレゼンターとして、ボブ・ゲルドフにライブエイドの貢献に対する賞が授与されるところ。↓
全編のほうを見たらわかりますが、授与に至るまでに、たっぷり尺を取って、まずジョージ・マイケルからゲルドフが紹介され、ライブエイドに出演したアメリカ・イギリス両方のアーティストたちがゲルドフの功績を讃えるコメントを次々と出し、ライブエイドのハイライトシーンが流れる。それでもゲルドフが「今も飢餓に苦しんでる人はいるのに賞をもらって喜ぶのも・・」みたいなクールな感じがカッコいいね。
■ さらにロンドンから、特別功労賞みたいなのをイギリス人として初めて、ポール・マッカートニーが受賞する、というのもフィル・コリンズがプレゼンターでやってた。↓
これも全編のほうを見ると、その前にライオネル・リッチーからの愛をこめた振りがあって、様々な英米のアーティストからの祝福コメントがあって、俳優のチェビー・チェイス(ライブエイドでも会場の前説をやってた。主演映画「スパイ・ライク・アス」の音楽がポール)のコメントが「解散したときは残念だったな。もう「明日に架ける橋」が聴けないとは・・え、ポールって、サイモンじゃなくて?」というベタなボケがけっこう笑える。
ザ・フーのピート・タウンゼントが「ゲルドフに付き合ってやってくれてありがとう、アイツはむずかしいヤツだから・・」みたいなのをピートの立場から言うのも面白かったね。
これで昨年のAMAのエンディングからの、壮大な伏線が回収された。とにかくアメリカ側がイギリスに配慮した進行をしてる、黒人がメインで白人を尊重してる番組、という印象。
■ そして「USAフォー・アフリカ」の最初の提唱者であるハリー・ベラフォンテにも賞が。若き日に社会運動に向かった白人フォークシンガーたちとの交流などの話も語られる。そして「オレ」に向かう経緯が。↓
(ちなみに、ここでベラフォンテが語る映像なども収録された、フォーク歌手のハリー・チェイピンのドキュメント映画が2020年に公開されたらしいです。
ほんとはコレがライブエイドで見たかった
■ いよいよ番組の大トリ、前も紹介しました正調「ウィ・アー・ザ・ワールド」です。↓
これも先に、ダイアナが前年のAMAを振り返って「あのときは最後にみんなで「レット・イット・ビー」を歌ったのよね〜。その後で、みんなでスタジオに集まって」なんて「オレ」の風景を振り返る映像も混じえながら「去年来てた人は全員ステージに上って!」つって、マイケルがセンターに入って、ライオネルや、スティーヴィーや、スモーキー・ロビンソンや、ヒューイ・ルイスも入って、みんなで歌い始める。エリザベス・テーラーまで。ジュリアンも。
まあアドリブっぽいので、ただサビを繰り返すばかりで、AメロBメロやブリッジ部分は省略されてますが、やっぱり「本物感」がある! しかし最初のほうでプレゼンターで出てたプリンスは、この期に及んでも参加してないね。やっぱ途中で帰ったんだろうな〜。
各地の中継場所でも一緒になって「ウィ・アー・ザ・ワールド」をみんな楽しそうに合唱している。ロンドンでも、ロジャー、ポール、ゲルドフが並んで歌っている。しかし一瞬、ゲルドフは顔を伏せてしまうのだ。ここに彼の心情が現れている!
「ちぇっ。だったら、みんな去年ライブエイドに来てくれれば、よかったじゃないか! マイケルも、ダイアナも、スティーヴィーも、ヒューイ・ルイスも! てか、ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマスも、おれたちに歌わせろよ!」
と思っているに違いない!(と、勝手におれが思って泣いてしまう。
しかしまあ、ここまで見て、ようやくひと区切りというか、エピローグというか、スピンオフというか、ライブエイドの足りなかった部分も上手に埋めて、いったん完結したな〜感がありますね。(あくまで、ぼくにとってはAMAがライブエイドのサブだった、という位置づけ ←失礼)
では、グラミーはどうだったのか?
AMAの1ヶ月後、1986年2月25日に、もうひとつの祭典、第28回グラミー賞授賞式が行われてますが、こちらはどうだったのでしょうか? 授賞式は、AMAと同じロサンゼルスのシュライン・オーディトリアム(フリーメイソン系w)で行われてます。ちょっとフルでは見れてないんですが。↓
■ 「ウィ・アー・ザ・ワールド」がソング・オブ・ジ・イヤーを受け、プレゼンターのシーナ・イーストンとニック・ローズ(デュランデュラン)から、マイケルやライオネルがトロフィーを受け取る。
■ さらにレコード・オブ・ジ・イヤーも受賞し、プレゼンターのスティングとフィル・コリンズから、クインシー・ジョーンズがトロフィーを受け取り、マイケルやライオネル、スティーヴィー・ワンダーやディオンヌなどにも祝福される。
いちおう「ライブエイドに参加したイギリス組白人のプレゼンター」から、なんだけど「ドゥゼイ」や、ライブエイドには一切触れてない、完全スルーしちゃった感じ。いちおうクインシーは一言、ボブ・ゲルドフにも感謝、とは言ってますが。。「ウィアー」の生歌唱もないしな。。残念です。
では、MTVアワードはどうだったけ?
MTVは年の中間、9月くらいにアワードやるので、ちょっと時期が中途半端なんだよね〜。で、時を戻そう。AMA1986の半年前、MTVでは、もう前年の1985年9月13日(ライブエイドのちょうど2ヶ月後)に授賞式があって、ボブ・ゲルドフが特別賞を受賞していました! まだ歴史も浅かった頃なので、アワードも第2回ですよ。会場はニューヨーク・ロックフェラービル、ラジオシティ・ミュージックホール。こちらはフル動画がアガっていました。1時間20分のへんから。
(2022年2月・追記)と、最初にこの原稿を書いた2021年の夏にはYoutubeに全編動画があってリンクを貼っていたんですけど、削除されちゃってました。すいません。代わりにインターネット・アーカイブにアップされてた場所にリンクを貼ります。4パートに分かれている。めんどくさいけど、こっちで見てください。できればダウンロードして!
ジョーン・バエズがプレゼンターとして立ち、気合十分でライブエイドについて話し始めます。まず映像で3分くらいライブエイドの様子が紹介され「プロデューサーのビル・グレアム(アメリカ側)、ハーヴェイ・ゴールドスミス(イギリス側)、ケン・クレイガン(ライオネルのマネージャーでもある)は立って!」3人は客席で立ち上がって挨拶。
「そして会場にいる、ライブエイドに関わったスタッフ、演奏したアーティストは全員立って! 恥ずかしがらないで!」つうと、スティングや、ジム・カー(シンプル・マインズ)やクリッシー(プリテンダーズ)、ホール・アンド・オーツなど、たくさんの人たちが「なんだかな」て感じに、バラバラと立ち上がる。
「とにかく当日、ライブエイドを、テレビで見てた人たちは全員立って!」つうと、ついに会場の全員がスタンダップしますw 強引オバサン。で、最後に「ボブ・ゲルドフ!」と紹介されて、そこまでずーっと座ってたゲルドフが「ドゥゼイ」が鳴り響く中、おもむろに立ち上がる、という演出。
当然、全員スタンディングオベーションですが、みんな着席した後はゲルドフの大演説。まだまだアフリカの問題は解決してないんです、というシリアスな表情のコメントを、カーズのメンバーとか、シンディ・ローパーなども神妙な顔で聴いております。話し終わると再びスタンディングオベーションですけど。
まあ、ちょっと会場の雰囲気を重たくしちゃったかな〜て感じで、総合司会のエディ・マーフィ(本来「オレ」にも呼ばれてたけど不参加)も大変そうですが、CM明けですかさず客席に降りて、並ぶセレブたちを「あんた誰だっけ?」とかイジりながら盛り上げる。前半で女子トイレまで勝手に入ってくシーンもあったけど、現代だったらコンプライアンスで炎上するかもな〜。
あと、前半39分くらいにドレスアップしたマーサ・クインが出てきたときに、あまりの可愛さにエディも照れてしまう萌えポイントもあります。番組の最後のほうで、授賞式後に会場を出てきたスターにマーサがインタビューするボーナス映像も入ってますね。
しかし結局、こっちの授賞式には、マイケルとかライオネルとかスティーヴィーとか、黒人組は一人も来てなかったんですよ。「ウィ・アー・ザ・ワールド」がベストグループ賞を取っても、代表で壇上でトロフィー受け取るのはケン・クレイガンとシンディだし。ビューワーズチョイス賞も、CBSレコードの人が受け取る感じ。まだ、ここでは根深いものを感じるね〜。少しの雪解けにも、半年後のAMAまで待たないといけなかったのかね〜。
いちおうブリット・アワードも見ておこう!
英国にとっての、グラミーに匹敵する、日本でいうレコード大賞にあたる、ブリット・アワードでは、どうだったのでしょうか?
こちらでは、ボブ・ゲルドフが1985年(2月11日)はバンドエイドで、1986年(2月10日)はライブエイドで、特別賞を受賞していたようです。本国じゃからな。しかし、当時のブリット・アワードの映像は掘ってみたけど、確認できませんでした! すいません。また出てきたら追記します。
しかしライブエイドから11年後の1996年(2月19日)のアワードで、マイケル・ジャクソンが功労賞みたいなの受賞するときのプレゼンターを、ゲルドフがつとめる映像があったよ! 2人がハグする感じが美しいよ!
なんだか「恩讐の彼方に」って感じで感慨深いね〜。いや、憎み合ってたワケではないんですが。。英と米、黒人と白人の微妙な文化の違いによる衝突と融合の面白さが、この研究のポイントだなぁ〜。郷太さんの本もそうだった。
2005年(2月9日)になって、ライブエイド20周年で、今度はゲルドフが功労賞みたいなのもらう様子もあります。やっぱり、いろんな人が讃えるコメントしてる。プレゼンターはずっと音楽番組の司会をやってるピアニスト、ジュールス・ホランド(ex.スクイーズ)。
この日は、歌手として唯一のヒット曲「哀しみのマンディ」も歌わせてもらってたよ。よかったね!
しかし、この文章を書いてるぼく自身は、ほんとに、そういう時代背景や音楽シーン状況を調べるのが楽しいだけでやってて、正直、ゲルドフさんの信念とかチャリティというもの自体に、まったく興味がないのは申し訳ない気持ちでいっぱいです。。
さらにおまけ、正調「ウィ・アー・ザ・ワールド」
これは1993年1月の第42代アメリカ合衆国大統領、ビル・クリントンの就任式で、ホワイトハウス前で歌われたと思われる「ウィ・アー・ザ・ワールド」の動画です。あんまし画質よくない。タイトルは1992年になってる。
これはフルサイズで歌われているし、ちゃんとクインシー・ジョーンズの指揮によって、スティーヴィー・ワンダー、ケニー・ロジャース、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ジェームス・イングラム、ハリー・ベラフォンテ、レイ・チャールズと、かなり「オレ」に近いメンバーが揃っている! それ以外にもアレサ・フランクリン、ボーイズIIメン、マイケル・ボルトンなどもいる。なぜかライオネルが見当たらない。
しかし、現場のマイクやPAが悪いのか、あまり声が拾えてない。カメラもソロを取ってる人を追いきれなくて引きの画になってりして、途中から誰が歌ってるかわからなくなってるよ! 大事なブリッジ部分も声が抜けてしまってるし。パフォーマンスとしては低調ですが、これも記念のひとつということで! このとき誰がステージにいたか正確に把握してる方がいたら教えてください。
■ では、ここまで大ネタを消化しきった感のある連載も、次回は軽い小ネタ特集で行こうと思ってます。引き続きよろしくです。
2021年6月10日 かとうけんそう
■ ぼくより詳しい方がいらっしゃったら、間違いの訂正、情報提供、あらたな補足ください! いつでもフィードバックして、また文章を修正・追記します!
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