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ぼくのライブエイド研究 1

西寺郷太さんが書いてくれなかった、もうひとつのウィ・アー・ザ・ワールドの呪い

その1

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■ 西寺郷太さん(ノーナ・リーヴス)が、2015年に新書版でリリースされた本「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」は、示唆に富んだ勉強になる本です。アメリカンポップスの歴史から読み解く、白人文化と黒人文化の融合。そして「ウイ・アー・ザ・ワールド」のヒットによって終わらされた、ひとつの時代。。これは読むと賢くなる。英訳してアメリカ人も読んだほうがいいです。しかし、郷太さんはライブエイドの会場で歌われた「ウィ・アー・ザ・ワールド」には一切言及されてないので、これはおれが「西寺郷太さんが書いてくれなかった、もうひとつのウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」を書かないといけない、と思ってキーを叩きました(筆を取りました、の意)。何回かに分けて、7月13日、ライブエイドの日に完結できるようにします。

■ てことで、この文章は「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」をすでに読まれている方、そしてライブエイドとは何か、をある程度ご存知の方限定に向けて書いていますが、いちおう簡単に整理しておきます。

■ まず1984年にイギリスの「ブームタウンラッツ」というバンドのボーカリスト、ボブ・ゲルドフが、アフリカの飢餓に苦しむ人々を救うためのチャリティレコードを発売することを思いつき、イギリスの当時、若手で人気のあったミュージシャンたちを一同に集め「バンドエイド」というユニットで「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」という曲を、11月25日にレコーディング、12月3日にリリースし、世界中で大ヒットしました。

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■ これに刺激を受けたアメリカのスーパースターたちが、自分たちもチャリティレコードを作ろう、と集まったユニット「USAフォー・アフリカ」で「ウィ・アー・ザ・ワールド」という曲を、翌1985年1月28日にレコーディングし、3月8日にリリースしました。これも世界的な大ヒットになりました。

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■ ボブ・ゲルドフはさらにチャリティ資金を集めるため、バンドエイドに参加したメンバーが出演するライブイベントを企画し、アメリカのUSAフォー・アフリカの協力も得て、イギリスとアメリカで同時に行なわれ、その模様が16時間、世界中に衛星中継される巨大なロックフェス「ライブエイド」を、1985年7月13日に行いました。

■ ライブエイドにはイギリス・アメリカともに、レコードに参加したスター以外のさらにスーパースターが大集結していましたが、一方レコードには参加したけど、ライブ出演は辞退します、というアーティストも多かったのです。
それでもイギリス・ステージのフィナーレ「ドゥゼイ」は割とレコードに近い形で歌われましたが、アメリカ・ステージのフィナーレ「ウィア」は、レコードとはかなり違うメンバーで歌われることになってしまいました。

■ では、第1回は「どうしてこうなった」を「ウィア」の中でソロ・パートを担当している人を比較することで解明したいと思います。
「ウィ・アー・ザ・ワールドのオリジナル・レコーディング」を「オレ」
「ウィ・アー・ザ・ワールドがライブエイドで歌われたバージョン」を「ライ」と略して進めさせていただきます。

オレ

ライ

■ 郷太さんがさすがアーティストらしく、本の中で「オレ」の録音がいかに緻密なものだったかを解説されてますが、それに比べて「ライ」のまったく雑な感じがひどいので、触れなかったのがよくわかります。(それも含めて、自分にとっては面白ネタの詰まったコラボなんですが)

■ トリ前であるボブ・ディラン(withキース・リチャーズ&ロン・ウッド)のライブが終わり、ライオネル・リッチーが登場してきます。
後ろの幕が開いて、いよいよ16時間にわたった大コンサートの大団円が始まります。
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■ ライオネル・リッチー
「ウィア」の作曲者はマイケル・ジャクソンとライオネル。特に前半部分はライオネルだけで書いている、と郷太さんも言われてます。
「オレ」もトップはライオネルが自ら歌っていますが、その後はスティーヴィー・ワンダー、ポール・サイモン、と繋ぐ部分までを
「ライ」では最初から一気にひとりで歌っています。自分の曲なので歌いやすいし、みんなも乗っていきやすい信頼感がありますね。
【※1】

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■ ハリー・ベラフォンテ
そもそも「ウィア」の発起人、言い出したのはラテン系のベテラン・シンガーで「バナナボート」のヒットで知られるベラフォンテさんでした。しかし「オレ」では周りを気づかって遠慮したのか、ソロを取っていません。「ライ」では「しょうがない、いっちょ、おれがやるか」みたいな感じで。

「オレ」で、ケニー・ロジャース、ジェームス・イングラム、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエルが歌ってたサビの前までのパートを、
一気に気持ちよく歌います。
ティナはその場にいたのに、逆に遠慮したのか、ここでは出てきません。しかしPAかマイクのせいか、最初声が聴こえにくかったですね。
【※2】

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■ ジョーン・バエズとクリッシー・ハインド(プリテンダーズ)
最初のサビ「オレ」ではマイケルが歌ってた部分を、
当日ライブエイド本編ライブのアメリカのトップ、朝9時に出演して、最後夜10時まで残ってた60年代フォークの女王ジョーン【※3】と、本編中盤に登場し当時連発していたヒット曲を演奏したクリッシー【※4】が肩を組んで歌っています。

シーナうた

■ シーナ・イーストン
そして「オレ」ではダイアナ・ロスが歌った部分を、
担当したのが、80年代イギリスのアイドル、シーナです。いきなり「ここは私よ!」と出てきてドヤ顔で歌ってて、ジョーンが一緒に歌おうとしてもマイクを引き寄せ離さない感じで、もしかして、この部分は早い段階でシーナにオファーされてたのかな? とも思わせます。

彼女は「モダンガール」「9to5」など、たくさんのヒット曲があるけど、本編のライブには出演していません。しかし、テレビ中継のゲスト司会者として画面には頻繁に登場してました。
【※5】

シーナ

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■ ディオンヌ・ワーウィック
2番、ディオンヌです! ついに「オレ」で自分がソロを取った部分を、自分で歌ってくれる人が出ました。
しかし、ここもPAかマイクのせいか、最初声が聴こえにくかったですが、ありがたい感じです。
ディオンヌもまた本編のステージでは自分のソロの出番はなかったですが、ホール&オーツの出番の前説もやってました。

ディオンヌ

テレビ中継のゲスト司会にも何度も登場して「来られてうれしい」と言ってました。いい人です。

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■ メリサ・マンチェスター
「オレ」ではウイリー・ネルソンとアル・ジャロウが担当していたソロを歌ったのが、
最大の謎キャラ、メリサです。彼女もまたテレビ中継のゲスト司会で何度も登場してバックステージの様子など話してました。

メリサ

「あなたしか見えない」など70年代からヒット曲のある人でしたが【※6】本編のライブには出演してません。歌詞カードをがっつり見ながら歌ってるとこ見ると、ほんとにその場で「他に歌える人いなかったら、私でいいのね?」みたいなノリがあったことを想像させます。

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■ ミック・ジャガーとティナ・ターナー
2番のサビは「オレ」ではブルース・スプリングスティーンのソロですが「ライ」では全員コーラスになってます、本編ライブのクライマックスを飾ったミックとティナが並んで歌ってますが、その左ではまだシーナがマイクをひとりじめしていますw たぶん怒ったジョーン・バエズが反対サイドのコーラスに移動してるのも見えます。

■ 「オレ」ではケニー・ロギンス、ジャーニーのスティーヴ・ペリー、ダリル・ホール、とつながる名場面も
「ライ」では全員のコーラスになってます。ケニーもダリルもその場にいるのに、ここでは出しゃばりません。
細かいところは次回で追求します。

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■ 再び、メリサ・マンチェスター■ 
Cメロというかブリッジ部分。「オレ」ではマイケルが歌ってるとこに、
なんとメリサがまた登場します。他に誰かいなかったのか? カメラもあやうくアップで抜きそこねるとこだった。歌はさすがにうまいですけど。

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■ ケニー・ロギンス
「オレ」のヒューイ・ルイス部分を、本来の自分のパートじゃないのにケニーが!
ケニーはライブ本編でもおなじみ「フットルース」を歌っている。1曲しか出番がないのに、ちゃんとバンドで。さらにテレビ中継のゲスト司会者でも登場しました。影で支えた男やね。

ケニー

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■ パティ・ラベル
「オレ」の見せ場である、シンディ・ローパーのパートから、つづくキム・カーンズ部分もそのまま、
本編ライブでも終盤で迫力ある歌声を聴かせて世界を驚かせたパティが、シンディに負けずにすごい声量で歌い上げています。衣装もすごい。

■ みなさんのコーラス
「オレ」の終盤ではボブ・ディラン、レイ・チャールズ、またスティーヴィー・ワンダーとブルース・スプリングスティーンの掛け合い、またジェームス・イングラム、またレイ・チャールズという順番に、ソロが全体コーラスと絡み続けながらエンディングになりますが

「ライ」はもうグチャグチャで、少年コーラス隊なんかも途中からどんどん出てきて、びっしりステージを埋めています。最初は前のほうにいたボブ・ディランも、所在なげに後ろに隠れてしまいました。ケニーやダリルはソロっぽく歌ってる箇所ありそうですが、細かいとこはまた次回に!

■ あらためてソロ部分だけの出演順を表でご覧ください。太字の人が両方に関わってます。少ないね! おそらく本番のバタバタの中で歌う順が決められたんだろうな〜。

比較表

■ しかし、終わった後のライオネルの「なんとか、やり切った〜。自分で最後を締められて、よかった〜」という、心からの達成感と充足感のある表情が印象に残ります。

■ つっても、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の終わりのへんは、当時リアルタイムのフジテレビ放送では途中でカットされてましたので、一番最後のライオネルの笑顔などは、わたしたち日本人は後にイギリスBBC放送の海賊版VHSや公式DVDを見るまでは知らない部分でしたが。ここも次回詳しく書きます。

■ しかし「オレ」も「ライ」も出そうで、やっぱり出なかったプリンスとか、神秘性のあるアーティストになり、ライオネルやディオンヌやケニー・ロギンスみたいな献身性でがんばる人がその後落ち目になるとか、やっぱり郷太さんの言う通り呪われてる感じするね〜。このへん「誰が出るつって、出なかった問題」は諸説ありすぎるので、第5回〜6回めくらいにまとめます。

■ そして最大の謎であったメリサ・マンチェスターの登場は日本のぼくたちには「わからなくもない」状況でしたが、むしろ本国アメリカでの視聴者のほうが理解不能かもしれません。
なぜなら彼女のゲスト司会としての中継部分登場は、アメリカでは放送されてなかった可能性が高いからです! 

■ という話題は、第4回で、イギリス、アメリカ、日本、その他の国での「ライブエイド」当日の衛星中継放送体制の違いについて判明している限りの情報をお伝えします!

■ では第2回は「西寺郷太さんが書いてくれなかった、もうひとつのウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」その2 で、ソロ部分以外でステージにいた人をがんばって探す編です! みなさんもご一緒に!

2021年2月12日 かとうけんそう

■ ぼくより詳しい方がいらっしゃったら、間違いの訂正、情報提供、あらたな補足ください! いつでもフィードバックして、また文章を修正・追記します!

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【※1】
郷太さんの本では「マイケルは断る人で、ライオネルは引き受ける人」と名付けられ、前年のロサンゼルス五輪のセレモニー出演をマイケルが断り、ライオネルが引き受けた一件を紹介しています。
このときもそうだったのでしょう。マイケルがいなくて心細かったろうに、いい人すぎるね。

そしてライブエイドのスポンサー企業は、アメリカ最大の電話会社AT&Tと並んで、ペプシコーラでした。映画「ボヘミアン・ラプソディ」で、ライブエイドのステージ、フレディが向かうピアノの上にもペプシの紙コップがたくさんあるのが印象的でしたが、

pepciフレディ

実はこの年、ペプシのCMキャラクターはライオネルで、ライブエイドの中継でもずっと何度も、ライオネルの出てるペプシのCMが流れていました。

なので「出ざるをえない」「出ないとカッコがつかない」状況でもあったろうな〜と思います。でも自分のヒット曲を歌うステージまではやらなかったのは残念だよね。
当日、サプライズ的に登場しましたが、ほんとは1週間前くらいから出演は決まったのに発表せず「ほんとに盛り上がってるか、様子を見てから「やあやあ」て出てきたかったんだろう」とゲルドフは語ってました。

【※2】
ハリー・ベラフォンテさんは、その年の11月末にアメリカCBSのドキュメント番組「We Are The World - A Year Of Giving」で司会をします。責任者っぽい感じ。(ライブエイドの中継はABC系列だったけど)その番組はバンドエイド、USAフォー・アフリカ、ライブエイド、そして同年の9月22日に行なわれた「ファーム・エイド」の4つを4等分にバランスよく紹介した内容でした

ベラフォンテ

(ライブエイドのステージでボブ・ディランが「アフリカだけでなく、アメリカ国内にも困ってる農民がいるのでチャリティできたら」と発言したことで、ファーム・エイドが生まれ、以後毎年続いています。ボブ・ゲルドフは、最初は「アフリカの飢餓とアメリカの貧困ではレベルが違う話なので、それを一緒にされても」と困惑していましたが、その後は「あれも後につながってよかったのではないか」と態度を軟化しました)

【※3】
この日、アメリカ側のステージは基本的にアコースティックの人は幕前で歌い、その間、幕の後ろでバンドがセッティングしてる感じでした。幕前にギターも持たずに立ったジョーン・バエズはなぜか自分のオリジナル持ち歌は歌わず、アカペラで、有名なゴスペルソング「アメージング・グレイス」を歌い「ウィ・アー・ザ・ワールド」も先にひとりで軽く短く歌っておりました。

楽屋では、ジューダス・プリーストがいつもステージで、ジョーンのヒット曲である「ダイアモンド・アンド・ラスト」をカバーしてくれてることに感謝をし「うちの息子はヘビメタ好きで、あなたたちのこともファンなのよ」と言ってたそうです。だったらジョーンもジューダスも、その曲をこの日に歌えばよかったじゃん! と思ってしまいますね。

【※4】
クリッシー・ハインドはこの当時、シンプル・マインズのボーカリスト、ジム・カーと結婚していましたが(後に離婚)、ライブエイドのアメリカ・ステージでも仲良く、シンプル・マインズの次がプリテンダーズ、という出順でした。どちらもイギリスのバンドですが、アメリカ側に押し込んだようです。ま、アメリカでも売れてたしね。

【※5】
フジテレビ版でも同時通訳の吹替音声で「うーん、ほんとはステージも出たかったんですけど、今はレコーディングもやってまして〜」とか、男性司会者との掛け合いで、たくさんしゃべってました。一人でしゃべる部分もあった。

【※6】
「あなたしか見えない」は伊東ゆかりが日本語カバーでヒットさせたときのタイトルで、最初は「悲しみは心に秘めて」という邦題でした。


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