植岡喜晴監督のおもいで
映画監督の植岡喜晴さんが2022年4月10日に亡くなられたそうです。
20年くらいごぶさたしていて、最近のご様子は存じ上げなかったのですが、大変お世話になった恩人ですので、やはりさびしいですね。
以下、植岡監督との関わりを記しておきます。
植岡さんは1954年生まれで、ぼくよりは8歳上ですが、お若い頃から細身にダラっとしたファンション、メガネに髭面で、どこか仙人のような飄々とした風貌のまま、ある意味、年齢を感じさせず、年を重ねていきました。
1980年代、関西の自主映画界で「夢で逢いましょう」という、インディーとしては異例な大作を世に出して名を馳せ、東の手塚眞、西の植岡と呼ばれた人でしたが
精霊のささやき
最初で最後のメジャー作品といえたのが、1987年の「精霊のささやき」です。
雪山の洋館で暮らす、社会から孤立した人々を静かにファンタジックに描いた作品。
けっこうオールスターなキャスティングの中に、なぜか、ぼくも加えていただきました。ま、いちおう当時はぼくも注目の若手だったからな。プロデューサーは「夢で逢いましょう」でもコンビを組んでいた、一瀬隆重さんでした。(その後も植岡さんもぼくも一瀬さんとは仕事しました)
ぼくはひたすら雪玉を転がして大きくすることに憑かれた男の役でした。それぞれの登場人物がちょっと病んでる系な設定でした。
予算も大変かかった映画でしたが、それを忘れるくらい、植岡さんが自主映画的な自由な発想で、あれこれ奇抜なアイデアを出しては、手練のスタッフたちを困らせ衝突する様子は楽しくもあり、現場は苦労するだろうな〜と思った。
植岡さんは、常におだやかな、にこやかな口調で、ゆっくり話しながら、でも頭の中ではすごいスピードで変なことに妄想をめぐらせているなろうなあ、と思った。
出演者には植木等さん谷啓さんがおそろいで、元ショコラータの、かの香織さんが女優として出演されているのも貴重といえる作品でしょう。
DVDももう廃盤でプレミアがついてるな。普通の値段で再発してほしい。か、配信に入れてほしい。あまりテレビ放映されてもいないし。
裸でご免なさい
1990年代初頭、関西テレビの深夜枠でかなり実験的な短編ドラマをオンエアする枠があって、数々の有名監督が関わりましたが、植岡さんが撮られた作品もあり、どちらもお色気コメディですが、アクションもの「裸でご免なさい」お寺を舞台にした寓話的な「エロス・なす娘」の2本に出演させてもらいました。
ぼくは「裸でご免なさい」では、悪者アリスセイラーさんの部下で主役の女の子(実は幽霊)をつけ狙っています。常連のひさうちみちおさんが主演で、猟奇漫画家の川崎ゆきおさんなどが出演、美術を松蔭浩之さんが担当してるのも貴重といえる作品でしょう。
エロス・なす娘
「エロス・なす娘」では、いちおうぼくが主役のお坊さん役!で、庭に植えたナスが美女に生まれ変わって結ばれる話。当時人気のセクシー女優、藤本聖名子さんとの全裸のラブシーンもあるよ。アリスセイラーさんも偉い僧侶の役で出てます。
このドラマ2本ではスタッフは自主映画、学生映画出身ながら、すでにプロとして活躍されてたスタッフたちが伸び伸びと、低予算手作り感覚で撮っていて、黒沢清さん、青山真治さん、佐々木浩久さんなどの監督さんもスタッフとして手伝っていた。植岡さんも思い通りの作品作りができてたようで楽しそうだった。連日、撮影後には一杯やってごきげんだった。
これもDVDはもう廃盤なのかな〜。配信でもしてほしいな〜。
月へ行く
2000年代、植岡監督は映画美学校の講師となられているのですが、学校の課題作品としてスタッフに全員生徒を使って、生徒の脚本で「月へ行く」という作品を撮られました。
これから映画のプロになろうという生徒たちが、最初からあんな奇抜なことばかり考える監督についていくのは、いい修行というか、どうだったのかな?と思い出します。
植岡さんは生徒に対しても、まったくフラットに接していたので、上から何かを教えるというより、常に「一緒に考えようや」というスタンスだったと思います。(生徒さんの側からするとわかりませんが)
現場で、生徒と一緒に飯食うのも楽しそうだった。
作品制作過程を詳しく紹介した、にいやなおゆきさんのブログ
ひさうちみちおさんと植岡さんの対談
ここでも、ぼくはいちおう主役!の、豆腐屋のおやじ役をやらせていただいた。相手役は宮田亜紀さんでした。これも日常劇の中に、手作りUFOが登場するファンタジイになっていて不思議な作品だった。植岡監督のご家族、奥様とまだ小さい三人のお子様も出演されていました。
今はどこかで見れるようになってないのかな? 学校内だけで公開されてるんだろうか?
この作品では戸田昌宏さんとも共演した。ぼくが俳優としての仕事のオファーがなくなった時期でしたが、戸田さんは当時、80年代にぼくを育ててくださった黒沢清監督の映画や、宮沢章夫さんの舞台によく出演されていて、ポジションを奪った憎いやつ、と思ってたんだけど、これを機会に仲良くなって一時は下北沢でよく飲んだな。しばらく会ってないですが、今もご健在でなによりです。
その後は、不義理をしていたというか、植岡さんから特にご連絡いただく機会もなくなり、ぼくも今回、訃報をお聞きするまでは消息を知る機会はなかったのですが、ぼくも関わってない、知らない作品も当然、たくさんあるようでした。
2018年に行われた植岡監督特集上映の予告編
モノクロの異様な(植岡作品らしい)観念的幻想短編「ヤクザと地底人間」
福生にて、お別れのあいさつ
4月14日、植岡監督が最期を迎えられた、お住まいだったアパートを訪ねてきました。以前作品に出られていた三男の息子さんの案内で。ちびっこだったのが立派な青年になられていた。
最期はご家族と離れて一人暮らしだったと聞きましたが、想像より広い部屋で、闘病中も息子さんに看病してもらいながら、看取られたということで、孤独ではなかったと知り、安心しました。
部屋に残された遺品の中から、どれでも形見としてお持ちください、と言ってくださったので、パッと目についた「ロシュフォールの恋人たち」のCDと「精霊のささやき・監督用」と書かれたカセットテープをいただいてきました。おそらく、つみきみほさんの歌のデモが入っているのだと思います。これも貴重なものですね。
葬儀所に安置されている植岡さんにもお声かけさせていただき、お線香あげてきました。入院中もトレードマークのヒゲは剃られなかったようで、眠りについてもなお、ヒゲが生き生きと伸びてるように見えた。
肺が悪いのに、病院でも隠れてタバコを吸っていたようだ、などとお聞きして、25年前に亡くなった私自身の父親と同じだなあ、と不謹慎ながら少し微笑ましくも思いました。
4本の作品に出演させていただき、うち2本で主役を務めさせていただいた割に役者として長続きできずに申し訳ない気持ちもありますが、よい思い出をいただいて本当に感謝します。また、そのうち、あちらのほうでお会いする機会にでもゆっくり。
心より、植岡監督のご冥福をお祈りいたします。
2022年4月14日 加藤賢崇
(2024年2月15日・追記)
2023年10月には「精霊のささやき」がデジタル修復され、国立映画アーカイブにて上映されました。
そして2024年、アテネ・フランセ文化センターにて、2月16日と17日「植岡喜晴レトロスペクティヴ」と題された、上記の作品のほか、自主映画などを含め、ほぼすべてに近い作品の上映が行われました。
2023年には様々な関係者が寄稿され、生涯の活動をまとめたハードカバーの大著「植岡喜晴の見た夢」が出版されています。クラウドファンディングの寄附者に提供された限定版でしたが、再販され、6000円で入手できるようです。