ただのゲームじゃない マインクラフト
皆さんは「マインクラフト」をご存じだろうか。
今や世界的に大人気のサンドボックスビデオゲームだ。
このゲームには決まった遊び方などはなく、資材を集めてサバイバルするのも、実際にあるものをブロックを積み上げて再現するのも、はたまた友達と集まりミニゲームを楽しむのも、全部自由なのである。
最近はマインクラフトの実況動画もよく見かけ、まさにマイクラの楽しみ方は無限大なんだなぁと感じる。
そんなマイクラだが、ただ単に楽しいだけのゲームなのだろうか。
マイクラをプレイしている人の年齢は様々だが、やっぱり子供が一番多いだろう。多分その人たちは、マイクラをしていたら「またゲームして!ゲームしてもいいことはないんだから、そんなのはやめて勉強しなさい!」と言われた経験が多々あるだろう。
保護者の言い分もわかる。確かに何も知らない人から見れば勉強せずにゲームをやっている子供、としか見えないだろう。
だが、「ゲーム」をして本当にいい影響がないといえるのだろうか。
私は、生まれてから一度も自分のゲーム機というのを持ったことがなかった。
小学校の友達はみんな、妖怪ウォッチやらポケモンやらの話に夢中だった。
幸いにもコロコロは読んでいたので、どんなものか全くわからないわけではなかったが、それでもただ、ゲームの話をしている子がうらやましかった。
学童に行っていたため、放課後友達とゲームをすることもしたことがなく、ゲームに触れる機会なんてほとんどなかった。
話すのは得意で頭の回転も速い子だったので友達はたくさんいたがゲームの話になるととたんについていけなくなった。
学年が上がっていくにつれ、友達も増え、勉強も頑張ってテストでも毎回いい点を取った。苦手だったスポーツもサッカークラブに通って体力を付けた。
だけど、まだ「ゲーム」はあこがれていた。
みんなの話からは、輝かしいゲームのエピソードが次々と出てきて、一層その思いを強くした。
そんな生活を送っていた小学校6年生のある日、一冊の新聞が学校で配られた。みんながそれをカバンに突っ込んでゲームの話をしている間、私はそれを読んだ。そこにはSOZOWの広告が載っていた。さほど気にせず私はカバンに新聞を突っ込んだ。
帰ってきて親がそれを発見し、「面白そう」といって私に詳細を伝えた。体験だけでも受けてみるか程度で、SOZOWの最初期の授業を受けた。
そこには学校とは違う雰囲気の、習い事とも言い難い空間が広がっていた。私はあっという間に魅了され、「入りたい」と思った。
プログラムにあるから、という理由でマイクラも購入してもらえた。
その何でもできてしまう「ゲーム」に私ははまってしまい、中2となった今でももちろんやり続けている。
マイクラを通して私は晴れてゲームの話をできるようになった。
それどころか、「今まではゲームしないイメージだったけどするんだね!」と周りからのイメージも変わり、学童を卒業した私は周りと積極的に遊ぶようになった。
マイクラは、私の生活に多大な影響を及ぼしてくれた。むろんいい影響である。
それでもまだ、やる意味なんてないのであろうか?
マイクラの可能性は無限大である。ぜひ一度、プレイしてみてほしい。
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