夏の短夜に一滴の雫を
7月の体をチクチク刺すような暑さは体中の水分を奪っていくようで
体の渇きと同時に心の渇きも促進していく。
でも季節もそれを理解しているようで、定期的にイベントを提供してくれる。
宵の空に打ち上げられた花火はまるで黒のキャンバスに色とりどりの絵の具をまぶしたように綺麗で心は踊るし
空と同じ海の色は透き通っていて、汚れてしまった自分を綺麗に洗い流してしまうような無垢さがある。
水を得た魚のように一滴ずつ疲弊した心に幸せの雫を与えてくれるそんな夏が好きだ。
でも同時に永遠がないことを教えてくれるのも夏で、幸せな時間が過ぎたら切なさが訪れるという教訓めいた事実も突きつけてくる。
永遠がないことを知りながら、一瞬の幸せのために足掻き藻掻くのが常習化してしまうことが大人になっていくということなのかもしれない。
子供の頃は全てに夢中で見るもの全てが新鮮そのものだった景色も、大人になると、そこに辿り着くまでの過程を考えて、より自分が幸せな瞬間を独り占めできるように打算的に計算をし始める。
きっと時の流れに身を任せるしかないであろう事象にいつまでも頭を悩ませたりする。
人間はそうして成長をしていくのだけれど、童心を忘れずに生きて、直感で動くことも時には大事だと感じている。
自分が好きなことをして、自分が好きなものを食べ、自分が好きな人と性懲りも無くいて
そんな我儘な自分を愛す力こそ大人に一番必要なものなのではないだろうか。
今年も夏は終わりに向かってカウントダウンが始まっている。
7日間しか生きれない蝉は7日間必死に鳴いて呆気なく死んでいく。
それまでに何年も土の中で力を蓄えながら。
人もいつか死にゆく。
幸せな一瞬を噛み締めるためにこの一瞬の人生我儘になってもいいんじゃないかな。
幸いなる秋の夜長はこころもとなし。夏の短夜にひとりかもねむ。