アメリカに一人で自分探し

 大学に入ってから人生楽しく生きたいと強く思うようなりました。それは当時の生活が不幸であり、生きにくいと強く思っていたことの裏返しで、いつも心のどこかで何やっても面白くないとか刺激がないとか、この飲み会に参加したところで何を得られるのか?とか、この美味しいものを食べてもそこで得た満足感は一瞬のものだから食べなくてもいいとか、友達がインスタで華やかに楽しんでいる写真を見ては、くだらないと思い陰でディスる。そんな不幸な気持ちを抱いては人生の成功者の自己啓発本を漁るように読み、薄っぺらい人生観がちょっと変わっては数日したらまたインスタの投稿を鬼のようにチェックし、楽しそうな充実した投稿に毎回イライラすると同時にくだらないと拒絶し、人生を楽しんでいる人に嫉妬し、イライラし、馬鹿にし、こんな奴らにはなりたくないと勝手に下に見ていた。人のことをディスらないと存在意義を保てない。口が悪いキャラ。プライドだけは一丁前に高く、センスのある人に思われたい。とか、クールなキャラを演じておきながら本当は周りの動きや人の意見に流されやすく世間体をものすごく気にして、インスタやTwitterなどに番人のように張り付いている。そんな虚しい自分が本当に嫌いだった。
 昔から僕は何も長続きしない自分。サッカーも野球も勉強も筋トレも、最近自分の生活の軸のテニスでさえ退屈に思ってしまうときがある。「自分は何なら夢中になれるのか?」とか「自分にとって何が幸せなのか?」そんな事を考えているうちに、本当の自分を見失っているような気がした。この春休みに2か月という自由な時間を見つけ、生き悩んでいる自分に人生の活路を見出したいと思い、一か月アメリカに一人旅することにしました。今回アメリカで起きた事件や驚いたこと、そして人生について思った正直なことをつづりたいと思いエッセイ風に書いてみました。もともと旅をして紀行文を書くのが夢だったし、松尾芭蕉が俳句を詠んで東北を巡った奥の細道にすごく憧れていたのもありますが(笑)それと、いろんな人にアメリカはどうだった?という、答えるのに6時間くらいかかるような無責任で安易な質問を毎回されて、いつも複雑な気持ちになるので、ここに感じたことを書いて「これを見ろ!」と即答できるようにしたいというのもこれをかいた動機です。少々きつい表現や不快なワードがあるかもしれませんので、片手間程度にインキャラがなんかほざいているなと思いながら読んでいただけると幸いです。


①ホームレスと無数のカモメ

アメリカ旅で最初の一週間はロサンゼルス・サンタモニカに滞在しました。日本では何も考えずにアメリカに来たので、一週間後はどこに行くか?そもそも明日どこ行こうか?ということを考えていました。アメリカに到着したその日は日も暮れかけていたのでホテルの近くのマックでテイクアウトし、側のビーチで夕日を眺めながら食べようと思いつきダブルチーズバーガーとコーラを購入。600円くらいだった。そのままサンタモニカピアというビーチへ行き、海風が冷たい中砂浜に直で座り、ハンバーガーを食べていると数十羽のカモメが僕の周りを取り囲んだ。さすがにうっとうしくなったので場所を移動した。そうするとカモメたちがシレっとついてくる。カモメは面白い。僕がカモメに目を向けるとカモメはこっちを見てないふりをする。まるで僕に何の関心もありませんと言っているような雰囲気を出してくる。気づくと20羽くらいのカモメに囲まれていたので、マックの紙袋を閉じてその場をそそくさと退いた。アメリカ初日、本当はポカポカのビーチ沿いで波の音を聞きながら、家族連れが夕日を楽しんでいるのを俯瞰で見ながらビーチでマックを優雅に嗜むイメージを思い描いていたが、実際は肌寒い風を受けカモメから逃げるようにポテトを急いで食べる、そんな初日だった。カモメたちは生きるのに必死だった。帰り際、ずっとついてくるカモメにポテトのかけらを落としてみた。そうするとすぐさまそれを食べる。それを見たほかのカモメがまた僕のそばに集まってきた。またポテトを落とす。そうするとそれを見たカモメ二羽がポテトを争奪して喧嘩をした。まるでベニスビーチでゴミ箱を漁り生きるのに必死なホームレスのようだった。カモメは必死に生きようとしている。僕とカモメは幸せのベースが違う、僕は死なないように生きるのは当たり前で、その上に幸せな生き方を探しにアメリカに来た。しかしカモメは明日の命を求め懸命に生きている。現在20歳実家暮らしで親に学費を払ってもらいながら、ご飯も作ってもらうような温室育ちの自分なんかとは比較にならない、というより比較するのが恐れ多いくらいカモメの方が立派に生きている。アメリカの洗礼をカモメから受けた。そんな渋めな初日だった。

②ロサンゼルス郊外のテニス公園で

 ロサンゼルスに1週間滞在し、UCLAやハリウッドなどを巡った。そして最終日は少し離れたところにテニスコートがある公園があることをネットで見つけ、行けばきっと誰かがいてテニスをできるのではないかと思い行ってみた。1.25ドルバスで40分くらいかけて行った。ちなみにロサンゼルス市内を観光するときは基本的にはバスで移動する。1.25ドルか1.75ドルのバスが街中を走っていてそれに乗ると大体どこでも行ける。夜遅くとかだとUberやLyftという配車サービスを使う。僕はお金がなかったので基本はバスと徒歩。アメリカに行って4kmくらいなら平気で歩いて行けるメンタリティを手に入れた。それは置いといて、テニスをしに公園に行くと、自分の思った通りテニスをやっているおじさんがいた。声をかけてみると、こころよく一緒にやってくれた。ラケットも持っていなかったので借りて1時間くらいラリーをした。30歳とのこと、さすがに僕のほうが上手だったので若干手加減をしながらではあったが、ストレスなどが吹っ飛んだいい時間を過ごせた。そして帰り道に同じ公園内でスパニッシュ家族たちがバーベキューをやっていて、楽しそうだな~と思い眺めていると、こっち来いと声をかけられた。近寄るとなんとタコスとソーダを僕に分けてくれた。アメリカでテニスができただけでも相当うれしかったのに、まさかご飯までもらえて幸運が重なった一日だった。確かに日本で大学生をやっている時もたくさん嬉しいことや楽しいことに巡り合う。しかし今回の出来事は、自分が忘れてしまっていた喜びや嬉しさのような気がします。異国で見知らぬ人が異国人である僕に対してフレンドリーに接してくれる。そして自分はその優しさを引くことなく受けいれる。つまり、人が親切を働かせて僕が純粋にそれを受け入れる。ギブ&テイクではない関係性。シンプルだけどこんな幸せを僕は日本にいたときは見失っていたのではないか。普段生活している時はどうしても投資とリターンの観点で物事を考えてしまう。僕にご飯をくれた彼らは僕からのリターンを期待していません。きっと彼らは僕が羨ましそうに見ていたのを感じて善意でご飯をくれたのです。そんな関係性にこそ素敵な出会いがあると実感しました。ギブ&テイクのテイクを考えない行動って、かっこいいですよね(笑)

③いきりキッズ イン ラスベガス

 ロサンゼルスで1週間滞在した後、僕はバスでのアメリカ横断を決めました。一か月という長い時間を有意義に使いたいと考え、飛行機で行くのはベタで面白くないので、どうせならバスで行った方が旅人っぽい感じがしたから。そんなしょうもない理由です。そして思っていたよりロサンゼルスは肌寒く、マイアミは常夏と知ったのでどうしても行きたくなった。なのでバスのルートを調べ、ラスベガスやダラスにも立ち寄ろうと考えた。そしてロサンゼルスからラスベガスまで車で8時間かけて向かった。ラスベガスには2泊し、次の目的地に行こうと考えた。ついたその日はもう遅かったし、疲労もたまっていたので何もせずホテルへ。次の日は朝から市内をウロウロ。今回の旅は総じてお金がなかったので、有名な観光地やショッピングモールに入っては何もお金を落とさずに出る。しかしものすごく楽しいのがラスベガスだった。カジノのイメージが強いラスベガスだが、夜になると各ホテルが無料のショーを開催する。噴水や火山の演出、サーカスやプロジェクションマッピングなど。決してリッチな層でないと楽しめないというわけではない。なので、お金のない僕は無料で楽しめるスポット何件もハシゴした。僕はおととしシンガポールに行った経験があるのだが、シンガポールのエンターテイメントに近いものを感じた。シンガポールは夜になると街中に光のショーをやるし、噴水など無料のエンターテイメントをやっている。人気の観光地である京都やパリなどもともと歴史のある都市と違って、シンガポールもそうだがラスベガスはそもそも砂漠だった土地を開拓して、都市として作られた側面が大きい。しかしそれが都市開発の神髄で、世界のエンターテイメントシティとして外貨を得ている。日本もこんな都市を開拓していかないと、外貨を得られないのではないかと思う。日本にカジノが来るが僕は外貨を得られるだけの魅力がある都市を創らないと成功しないと思うし、シンガポール、マカオ、ラスベガスのようなカジノで成功した都市を日本が創れるかは疑問である。
 楽しかったと述べたが幸運だらけではなかった。初日に宿で知り合った女性グループと二日目にグランドキャニオンへ行く約束をした。当日は4:30集合ね!と楽しみにしていたが、次の日の予報が大雪で車が止まる可能性があるとのことでその計画がオジャン。ロサンゼルスのビーチのカモメといい、思い通りに行かないものだなと思った。またカジノで大金ゲットしてやると意気込んでいたが、カジノは21歳以上からだと行ってから知った。まあそんなこともある(笑)

④大雪でバスが動かない!

 ラスベガスを楽しんだ後、いよいよバス旅を本格的にスタートした。最初の目的地はフェニックスというアリゾナ州の都市。ここはメジャー球団のキャンプ地になっている。エンゼルスのキャンプがやっていたので大谷を見に行こうと意気込んでいた。しかし、バスがグランドキャニオン付近を通るときまさかの大雪に遭遇。途中バスが動かなくなってしまった。そしてやっと動いたと思ったら、前の車がまた止まってしまい、高速は大混乱。挙句の果てに高速は閉鎖されてしまい目的地のフェニックスへは行けないことに。
その時は本当にどうなるのか?と心配していたが、バスの乗客もドライバーも何となく陽気でどこか楽しそうだった。休憩で止まったサービスエリア的なところで黒人の乗客と話をした、「今日はなんてクレイジーなんだろね!」と笑いながら、また「お前は日本人か! 大晦日に天心が試合していたの知ってるか?」 と興味深そうに聞いてきた。
 またドライバーも車が止まったときは「もう帰れないかもな」とにやにやしながら言う。途中で道に迷ったらしく車内マイクで「今どこか分からない!誰かグーグルマップで調べてくれ」と言い出す。乗客からは「その先右だよ! 次は右」といった声が飛び交う。そして途中マックにより休憩した時、約束の時間になっても運転手が帰ってこない。15分経ってやっと帰って来る適当な人だった。だからと言って乗客は怒らないし、「何食ってたんだ(笑)」と明るく接している。もし日本でこんなことをしたらプロ失格と言われるし、クレームが飛び交う。しかしそんなことでストレスを懸けているのはおそらく日本だけで、もっとフランクで楽しく仕事をしてもいいじゃないかとその時は思った。このメンタリティは見習わなければならない。結局高速が閉まってしまい動けないので、バス会社が付近のホテルを無償で用意してくれた。僕はダブルベッドが二つある大きめの部屋にふんぞり返って、エドシーランを大音量で流しながらコーラとドリトスをたしなむ優雅な一夜を過ごした。この旅を通して一番豪華だった。
 翌朝、外を散歩してみると雪が50cmほど積もっていた。気温もマイナス3度。そりゃバスも動けないよね(笑)高速が10時頃再開したので、目的地のフェニックスへ向け出発した。

⑤アメリカ横断中、スパニッシュにイライラ

 フェニックスに無事到着。しかし、もともとマイアミまでのチケットを通しでネットで予約していたが大雪による急遽の足止めによってフェニックスからダラスへのバス便がすでに昨晩出発してしまっていたため、再びバスチケットを取ることになった。もちろん無料だが予定到着日が一日遅くなってしまった。フェニックスからダラスまでテキサス州を横断のバスに乗り換えたのだが、車内を見渡すとみんな何を言っているのか分からない。車内はほとんどスパニッシュだった。隣の若い青年と話をしてみると、彼はグアテマラ人だった。彼は英語が全くできなく僕はグーグル翻訳をベースにコミュニケーションした。また車内アナウンスが英語なので、周りのスパニッシュは何を言っているのかを理解できず、アナウンスの度に僕に助けを求めてくる。いやいや俺は東洋人だぞと思いながら、理解したことを頑張って身振りで伝えた。英語がこんなにできないのは日本人だけなのではないかと以前までは思っていたが、スパニッシュの英語力は驚くほど低い。その要因は世界第二言語のスペイン語にあるのではないかと思った。英語を学ばなくてもスペイン語で多くのことが事足りるのである。僕に何言っているのかを聞いてきた時も、僕ができるだけわかりやすい英語で説明する。すると彼らはスペイン語でコミュニケーションをとる。ひどいのがスペイン語で何かを僕に聞いてくる時もある。挙句の果てに彼ら同士で僕を馬鹿にしているかのように笑いながら何かを言っている。ここはアメリカだぞと心の中で思いながら、イライラしていた。スパニッシュはすぐ群れる。僕は彼らから英語で何かを伝えようとする意志を全く感じられなかった。彼らはアメリカ社会に溶け込もうとせず自分たちのコミュニティを作る。それがアメリカで問題になっていてトランプもそこを変えたいと考え、メキシコとの国境に壁を作ると言い移民政策にかじを切る。最初トランプは何馬鹿な事言っているのかと思ったが、実際アメリカで移民の現状を見ると、トランプの気持ちも少しだけ理解できた。そして移民を取り締まる動きを実際に体験した。バスが高速に乗ってすぐ、いきなりパトカーによってバスを停めさせられ、車内に二人の警察が入ってきた。そして彼らは車内の人に「入国の証明書・VISAを提示しろ」と。するとスパニッシュたちがいっせいにカバンの中から3枚ほどの書類を出し、一人一人書類を警察がチェックしていた。そこには入国時の許可が書かれていた。僕は車内唯一の東洋人でパスポートだけでOK。どうも不法移民をこうやって取り締まっているらしい。調べてみるとお金がない不法移民はアメリカに入ってからは、値段の安いバスで国内を移動するからだそうです。なかなか日本にないやり方だなと思いつつ、アメリカ社会のリアルな感じを体験できた。

⑥オークランドのマックで twice paid

 バスはいよいよマイアミへと向かう。途中オークランドに1時間ほど止まったので夜ご飯を食べにマックへ。店内ではタッチパネルで商品を注文できるので、マックシェイクとハンバーガーを頼もうとした。口頭で注文するときはめんどくさいので普通にハンバーガーを頼む僕だが、タッチパネルの時はそれが不要なのでハンバーガーに思いっきり増量する。ピクルス・オニオン・ケチャップ・マスタード。増量の操作をしていたら次に並んでいた現地の人に「見てみろ!チャイニーズがクレイジーな増量してるよ!」とからかわれた。わしはジャパニーズじゃ!と思いながらも、もし中国に増量文化があると誤解されたとしたらすみませんと心の中で考えていた。そしてクレジットカードを通し、レシートと番号が出てくるのを待っていたら、紙が出てこない。その時僕は注文がうまくいかなかったと思い込んでしまい、面倒くさいから口頭で注文しようとレジで同じ注文をした。しかし、ただ単に機械のレシートの紙が切れていただけで、注文はすでに完了していた。レジでの注文を終えて待っていると、店員に「お前もしかしてtwice paidしただろ」と言われた、僕は自分でもうすうすやったなと思っていたので、「パネルで頼んだけど紙が出てこなかったから、レジで注文しなおしたんだ」と伝えると、レジの人が返金の手続きをしてくれた。そして商品を受け取ろうとしたとき、フランクな黒人店員がにやにやしながら渡して来たのだが、中を確認するとチーズバーガーとシェイクが二個ずつ入っている。僕は割と真面目なので、「間違えているよ」と言いかけた瞬間、店員が指を立ててシーっ!!と。店長は気づいていなかったようで彼はサービスをしてくれた。このフランクな感じがうれしい。僕はアメリカの接客が好きです。マニュアル通りの日本とは違い毎回違った接客をしてくれる。もちろんひどい接客もあるがそれはそれで楽しい。日本人でたまに変な接客に対しキレることがあるが、そんなことで怒るような小さい人間には僕はなりたくない。返金の手続きには書類を書く必要があり、名前・住所・返金理由を書く。そこで僕は理由の欄に「twice paid」というどこかバカっぽい英語を書き、その場を去った。アメリカのマックシェイクはSサイズなのに日本のMLくらいある。二つ飲むのは苦行だった。

⑦マイアミにて、飲酒のルールを知る

 バスで夜中24:00にマイアミのバスターミナルに到着。しかしバスの遅延でホテルに入れず、仕方がなかったので野宿を決行。と覚悟をしていたが、バスターミナルのすぐそばに空港が隣接されていたので、空港に侵入して一日を過ごした。しかし空港内より外の方があったかい。マイアミは常夏でいわゆるアメリカの避寒地である。夜なのに気温は20度を超えていた。シンガポールやグアムも行ったことある僕ですが、こういう避寒地に共通して、店とか室内が異常に寒い。自分で空港で一夜を過ごすと決めときながら寒さにイライラ。子供だなと思いながら朝5:00に起床。起きてから謎の無駄な時間を持て余し6:00に外に出た。そこからバスでホテルに向かい、ようやくチェックインそこでフロントの黒人女性が宿のルールや特典などの説明をしてくれたのだが、今回の旅で出会った人の中で最もリアクションのいい人だった。何か質問をされて答えると、「Alright!」「Perfect!」と引くほど目を開いてレスポンスする。日本で僕はやる気ないキャラで通っているので、僕がそれをやったら引かれてしまう。アメリカの接客を僕が好きな理由はホテルでも感じた。日本でホテル業の接客というと、礼儀正しく失礼の無いようにきっちりやる。しかしアメリカは比較的フランクなことが多く、まるで友達が家に遊びに来たかのような雰囲気でもてなす。僕は日本とアメリカとでどちらかと言えばアメリカの方がおもてなしの精神にあっていると思う。客と従業員との信頼も僕は気づけると思うし、困ったらなんでも聞きたいなと思ったのが事実です。日本でホテルに泊まると謎の緊張感があってあまり好きではないです。民泊サービスAirbnbはまさにアメリカのおもてなし文化に合っている。そう思った。そして日本であまり流行らないのもよくわかる。文化の違いを実感した。
 マイアミは暖かいのでショートステイの旅行には最適だと思う。しかし、僕は二日で飽きてしまった。海はきれいであるがめちゃくちゃキレイかと言われれば、もっと他にあるだろうと思ってしまうし、物価は決して安いとは言えない。定住する人は少ない。
 フロントの人から説明を受ける中で、宿泊客はホテル内のバーにて一日一回無料でお酒が飲めるという話を聞いた。僕はお酒を飲むのが嫌いです。その大きな理由は高いからである。そしてあまり飲んでも気分もそこまで変わらないので居酒屋に行っても飲まない主義。そもそも水が蛇口からタダで出てくるのにコーラとかジュースに100円をかけるのは冷静に考えて大赤字だなと思い立って以来、僕は外でジュースを買うことが劇的に減った。しかし今回はタダだったので、新宿でのボーラー打ち上げ以来だなと思いながらバーに並んでいた。自分の番になるとバーテンダーが怪しい形相で僕を見つめる。「お前何歳だ?」言われて僕は堂々と「20だ」と返したら、バーテンダーが首を横に振った。そこで初めて自分は酒が飲めない年齢だと知った。アメリカに来てすでに2週間以上たっていたが僕はそんな基本的なルールも知らなかったのである。その時ばかりは自分が恥ずかしかった。アメリカ社会に溶け込もうとしないスパニッシュをディスる僕自身が、アメリカ社会の常識を理解していなかった。その時アメリカに来ていた日本の友達に「アメリカって21からなんだね~」とこのことを話すと、「外でばれたら捕まるけんよ」と言われ、僕はポジティブに、ここで知れてよかったと。そんな酒飲めない年齢のいきりキッズは再びロサンゼルスへ。

⑧旅行者から移住者へ

 マイアミではビーチで寝たり、ヒートとウォリアーズの試合をテレビで観戦して盛り上がったり、バーガーに食らいついたりと楽しんだ。そして飛行機で再びロサンゼルスへ。さすがに何日もかけてバスで戻るという選択肢はなかった。大体こういう旅は帰りがだるい。この前日本でヒッチハイクをした時も、行きはやってやるぞと意気込んで臨むが帰りにはもうその気力がなく、高速バスにヒッチハイクしてもらうというオチに落ち着く。なぜまたロサンゼルスか?もちろんニューヨークに行くということもよぎったがあまり興味が沸き上がってこなかったので、ロサンゼルスにベースをもう一度置いて、サンフランシスコかサンディエゴにでも行こうかなと思った。さすがに歩き回って疲労が溜まっていたのか、空の旅は寝て起きたらロサンゼルスだった。空港に着いてそうそうにホテル探しのためマクドナルドへ向かう。Airbnbで探しているとドジャースタジアムの近くに安い家を発見し、バスを乗り継ぎたどり着いた。しかしバスを降りるとあたりはゴミがたくさん落ちていて、人がほとんど歩いていない。アメリカの治安が悪い地域の有名な特徴としてゴミがよく落ちている。ホームレスが多い。窓に鉄格子がついている。という特徴がある。その地域はホームレスこそいなかったがどの家にも窓に鉄格子がついていた。いよいよやばいとこ来たのではないかと少しビビりながら家の外にある鍵を言われた暗証番号で取り出し家の中にはいった。しかし家の中はいたって普通の家でとてもきれい、現地の人も優しかった。3日間滞在することに決まり自由に使えるキッチンがあったので僕は徒歩3分の地元のスーパーへ行って自炊するための何かを買いに行った。そしてそのスーパーに行って気が付いた。スーパーの客も道行く人もほとんどがスパニッシュだった。どうやらこの地区はスパニッシュが多く住む地区らしい。人種のるつぼアメリカ。確かに言われてみれば街の雰囲気がどこかメキシカンな感じがする。僕はスーパーでタマゴとホットドッグ用のパンを400円くらいで購入。これで3日間の朝食は問題ない。自炊すればこんなに安いのかと驚いた。家に帰ってさっそく買ってきたパンでサンドウィッチを作ってみた。サブウェイでバイト経験がある僕は何の躊躇もなく作りきった。サブウェイで働いていたことが初めて活きた瞬間だった。次の日はバスに乗ってファーマーズマーケットに行き、その後大きめのスーパーで果物を買い、自炊のためのものを探した。まさに移住者のような生活を送った3日間。ここで確信したが、物価が高いアメリカでも全然暮らしていける。自炊すればレストランで3000円するようなステーキも800円くらいで食べれるし、量が多いパンを一回買えば1週間くらいはそれで行ける。アメリカあるあるだが商品の量が多ければ多いほど一個あたりがメチャメチャ安くなる。その最たる例が水だ。日本にはなじみのない単位でガロンという単位がある。1ガロン3,8キログラムくらいで水が売っているのだが、500ミリの水が2ドルくらいするのに対して、1ガロンの水は1.7ドルで売っているのを見た。もちろん同じ店だし、同じクリスタルガイザーで。ガロンの方の水は質が悪いのだろうか?(笑)そんなアメリカンマジックにかけられたいきりキッズはシリコンバレーへ行くことを決めた。

⑨サンノゼ巡り 世界を支配するシリコンバレー

 ロサンゼルスからバスで8時間かけサンノゼへ。途中シックスフラッグという絶叫遊園地が窓から見えて大興奮。バスの値段は2000円くらいだった。サンノゼに行く道中にカリフォルニア州はでかいなとベタだが思った。あまり知られていないが実は日本とカリフォルニア州とではカリフォルニア州の方が大きい。国と州のひとつで国が負けるという。これがアメリカの広大さを物語っている。僕はそんな地に一人で来ているのかと、さっきのシックスフラッグもそうだが行きの車内ですごくいきり立っていた。つくとそこにはショッピングモールがあったので滞在期間二日分の1ガロンの水と明日の朝食のパンを買った。そしてモールの中を歩くと、驚いたことにラウンドワンがあった。本当に驚いた。中に入るともろ日本語のゲームセンターの機械がずらっと並んでいる。僕は一時期音ゲーに傾倒していたので、知っている音ゲーを現地の人が白熱しているのを見て嬉しさがこみ上げた。また店内には1ドルアイスが人気で、安くて量もサーティーワンのレギュラーの1.5倍くらいのアイスを食べられる。僕はバニラのアイスが大好きで、サーティーワンに行ってもバニラのアイスを食べる人間なので、迷うことなくバニラを購入。店の外の柔らかいソファーに座り込んで気が付くと30分くらいボーっと落ち着いていた。そんな到着初日はあっという間で、次の日はいよいよメインのサンノゼ市内をめぐる。最初にアップルの本社。次にグーグルの本社。最後にスタンフォード大学。朝8:00から夜22:00までずっとバスに乗っては歩きを繰り返した。アップル本社、俗にいう円盤を初めて生で見たとき、すげー。と思った。グーグルを見たときも、すげー。と思った。結論から言うとあまり面白くなかった(笑) 大学は行った時からどうしても行ってみたい場所だったので、自分の中のハードルあり得ないくらい高かったのだろう。アップル本社周りにもたくさんオフィスがあり、サクラメントという街自体が会社のようだった。グーグルのビジターセンターで買ったボールペンがまだ余っているので、欲しい方は連絡ください(笑)。

⑨中央大学生協。スタンフォードに負けてるぞ(笑)

 サンノゼ市内をウロウロしていると最終目的地のスタンフォード大学についたのが17:30。もう空は薄暗くなっている。早歩きでキャンパス内を回ったのだが、ここは大学なのか?というくらい広大で、日本にはない感覚になる。敷地内にショッピングモールがあり一般客がたくさんいる。またキャンパス内に無料バスが何本も走っていて、学生だけでなく僕のような観光客も地元の人もみんな使える。なのでキャンパスの入り口から大学図書館までバスで移動。中に入ってみると大学のグッズがずらりと並んでいる。ロサンゼルスのUCLAに行った時もそうだったのだが、アメリカは大学スポーツが異常に盛り上がるので、大学スポーツグッズが各競技並んでいる。アメフト、野球、バスケなどのチーム応援シャツがたくさん並び、それだけでなくエンジニアのシャツや大学のマグカップやグラス、財布やスマホケースなど。ブランドが成立しているのだ。なので学生はみなスタンフォード大学のロゴ入りパーカーを着て学校に来る、これはロサンゼルスもそうだった。大学のオフィシャルグッズが観光客から売れるという文化は日本にはない。中央大学生協の大学グッズは父母などには人気だが、観光客はおろか学生ですら手に取られない。経営難な大学が多い日本はもっと大学自体にブランド力をつけていくべきなのではないか?まあ僕がもし中央大学パーカーをタダでもらったとしても確実に着ないでそのままメルカリ先生にお預けしちゃいますが(笑)
 たくさん歩いた。歩いているとき僕はいつも考え事をしている。こばヘンのしょうもないギャグ(通称コジャレ)を思い出して笑ったり、ふと小学生のころにやった反省をぶり返したり。日本では思っていることを心の中で話しているが、アメリカでは周りに日本語が理解できる人がいないであろうから心の声をそのまましゃべりながら歩いていた。そこで気付いたが僕はいつも心の中で何か考えて煮詰まっていたのではないかと。確かにお前は細かいとか、考えすぎだね。とか言われることが多かったなと気づいた。それを喋りながら歩くと本当に気持ちよかった。心がスッキリした。

 サンノゼは総じて過ごしやすかった。アメリカに来て最初にロサンゼルスに行ったせいなのか、各都市を回った時にはロサンゼルスの治安が自分の中で基準になっている。サンノゼはロサンゼルスに比べエンターテイメント性や賑やかさはないが、山と海に囲まれた田舎っぽさがあり、そして世界のIT企業がそろっている。ホームレスもいなく空気がおいしい。アメリカで一番過ごしやすいんじゃないかと思った。

⑩ホームレス街スキッドロウにて、やばい奴らに絡まれる。

 サンノゼから再びロサンゼルスへ。アメリカ滞在は残り5日間となった。さすがに旅も終盤になり、お金が本当になくなってきた。インスタのストーリーに誰かが金欠アピールをし出したら、手が出てしまうくらい金欠になった。クレジットカード二枚のうち一枚は上限到達。残りのカードもあとちょっとで上限に行ってしまう。そして手持ちの現金は30ドル。今まで宿を取る際は危険地域を排除していたが、仕方なく危ない地域に残りの生活機関は身を置くことにした。僕が泊まった宿はスキッドロウという地区の側で、このスキッドロウはロサンゼルスの治安悪いランキング三位の地区。ちなみに一位のコンプトンという地区は年間の殺人件数がその区画内だけで100件を超えて、街を歩くと銃声が響くらしい。ネット情報だが。そういう危険地域には立ち入らないと決めていたが、今回は危険度三位のスキッドロウを少し歩いてみるとホームレステントは300メートルほど道沿いに広がっている。バス停の側にもテントがあり、乗車待ちしているとホームレスのおじさんが「へい!」と絡んでくる。テニスの試合を見に行った帰り、夜遅くにホームレステントを歩いたとき、何度も声をかけられた。道端には注射器も落ちていた。本当に怖かった。しまいには10メートルくらい追いかけられた。僕はお化け屋敷や絶叫など全く怖くない。昔は怖かったが高校生くらいの時、どんなものを食べても、どんなものを体験しても、“死なないければ問題ない”という謎の価値観を身につけ嫌いな食べ物も、不可解な現象も全く怖くなくなった。そんな僕でも怖いと思ってしまった。死を意識したからだ。何されるかわからない不安は怖かった。最後のロサンゼルスは日本人街に顔を出しに行き、再びハリウッドに行って街を観光し、ホットドッグを最後の晩餐として翌日、日本へ帰った。機内では映画三本、ジュースのおかわり6回。出発前の自分と今の自分。成長できただろうかと自問自答をし、今回アメリカに行けて本当によかったなと感傷に浸りながら旅を終えた。

最後に。

 大学入ってからの一年がサークルなどに入らず、友達が誰もいなく、いつも浪人生と会っては浪人生に「お前みたいにはなりたくない」と言われ、自分は何をしているんだと悲しくなってばかりだった。周りの楽しんでいる人たちが羨ましかったが、自分はそこに踏み出そうとすると、大きなプライドが重りとなっていたし、飲み会などで騒いだり何の生産性もないノリを見ているのが苦痛で仕方なかった。まあそれは今でも変わらないが(笑)でもアメリカで出会った人たち、朝食を共に食べたフランス人家族やバスで長時間隣だったグアテマラ人、ラスベガスのハンバーガで相席となったアメリカ人、宿で仲良くなった韓国人の若者二人。ルームメイトになったハンガリーのボクサー、バスでパールハーバーについて語り明かしたニューヨークのお兄さん。いろいろな人と話をしてみて、僕は今までにはなかった純粋さを取り戻せた気がした。日本で友達と話したり遊ぶときはいつも細かい部分にフォーカスし、まるで自分の眼にはその人のいい部分をシャットアウトし、悪い部分をよく見えてしまうようなフィルターがあるのではないかと思うような見え方だった。そんなよごれたフィルターがいろんな人と過ごす時間の中で徐々にキレイになった。そんな気がした。その人のことがもっと知りたい、もっと話したい。とずっと会う人会う人に思っていた。僕はあんがい人に興味がある人間だったのか、と気づいた。その最たる例が読書で、昔から国語が大っ嫌いで、中高の朝読書の時間は本を開いて、読んでるふりしていたし、現代文で作者の意図をつかんだり、センター試験に出てくる文章も、何で無名の奴の文章を読んで、そいつの考えをくみ取んなきゃいけないんだといつもイライラしていた。そんな自分が本を読んでその人の考えや書き方に触れ、なぜこの人はこんなことを考えるのだろうかと自分で考えるのが大好きになった。また日本に帰ってからも色んな人に会ったが、今思うと以前のような人の悪い部分に敏感な目は鈍くなって、話してくれる人たちのいい部分が良く見えるようになった。嫌いで絶交してた人とも、会って話してみたいなと思えるようになった。人は十人十色。いい部分もあれば悪い部分もある。僕はそれを受け入れるようになったのかな。どうだろう? 

 そして自分が勝手にさんざん馬鹿にしていた、成功者たち。大学で大人数で群れて楽しそうに話をしている集団にいつも不満を抱いて、吐き気がしていたが新学期が始まると、それもあまり気にならなかった。彼らはおのおのの楽しいと思っていることをやっているだけで、それが正解なのである。自分は自分、他人は他人。世間体を気にして何もできなかった自分だったが、半年ぶりに所属しているサークルの練習に行ったし、ダレトクなパーマもかけるほどになった。そして自分の体験を記事にすることも。大学一年の時無駄だと思っていた負の一年も今では無駄じゃなかったと解決できた。

 やりたいことをやる、という言葉は素直に受け入れられなかった。どうしても客観の目が入るからだ。でも今はそれを脱却できただけ大成長したのかなと思っています。これからは自分に素直にいろいろなことにチャレンジしたい。その一歩として、似合わないパーマをかけ、今回の記事を偉そうに書いてみました。20歳を迎え大人の仲間入りした自分だが、そんなことはあまり気にせずに逆に子供に戻って自分のありのままに生きていきたいです。しょうもねえなと思って最後まで読んでくれた人などいないとわかっていますが、もしそんな優しい友達がいましたら本当に嬉しいです。これで締めさせていただきます。   (4月13日 夜の吉祥寺北口マクドナルドより)






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