カンボジアの闇を垣間見てきた キリングフィールド
はい、こんにちはケンシロウです。この度、成人の日を迎え、世間的には成人扱いされる立場となったわけですが、、まだ誕生日じゃないし実感湧かないんすよね笑。時が経つのは早いんで1日1日を大切に生きようと痛感した日でもあった。
※今回の記事は多少残酷、グロテスクな写真記述があります。自己責任で読んでください。
さて、前回はカンボジアの首都、プノンペンに到着。飯を食い、ゲストハウスにチェックインし、一通りの最低限の事はこなせた。バスでアンコールワットの街、シェムリアップは向かう予定だが、まだまだ時間がある。せっかくなんで、カンボジアという国の闇を見に行くことにした。
俺もよく知らないが、カンボジアの歴史は悲惨だったらしい。ポルポト派と呼ばれる独裁政党がカンボジアの実権を握り、国を滅茶苦茶に崩壊させてしまった。ここまでの基礎的な情報は知っていたが、これ以上のことは知らなかった。プノンペン近くに、ポルポト派によって作られた負の遺産がある。これは見に行かないわけにはいかない、とプノンペンからトゥクトゥクをチャーター。10キロ程行ったところにチュンエクという村がある。そこを目指した。 バスや電車はないので、トゥクトゥクやタクシーで交渉して向かうのが妥当だろう。カンボジアでヒッチハイクする強者はそれでもいいと思うけど笑(自己責任でよろしこ)。
チュンエク村到着。周りは荒屋の家が多く、経済的に厳しい様子がうかがえる。プノンペンのちょっと郊外に出るとまだまだ進んでない地域が多々ある。噂ではエイズ村とかいう、エイズ患者が集まる村もあるとか、、こわっ。ともかくここの村はそう危険な匂いはしなかった。
ここが、ポルポト派の負の遺産、キリングフィールド。門の外からして明らかに空気が違った。この時の俺は中で何があったか全く知らない。ただ、確かに違った空気を感じたような気がした。
中に入るとチケットと音声ガイドがついてくる。日本語のガイドもきちんと用意されているのでご安心を!
このような露出の激しい格好は好ましくない。そのくらい、ここの場所が重いということだろう。
中に入ると、早速大きな塔が見える。
絵を凝らすと、、
大量の髑髏!恐ろしい。
ポルポト派はこの場所で、政治に対する反逆者、犯罪者とみなしたものを皆殺しにしていたそうだ。しかも、それらの人々は現代で言う、犯罪者ではない。
ポルポトはクメールルージュという政党のトップで、原始共産主義者だった。これは簡単に言えば社会主義の強化版といったところか。全ての人間が私有財産を持たず、ただ国のために働く。しかもポルポトはこの思想がかなり過激だった。国民は黒い服を着せられ、朝から晩まで農業を強制された。勿論それに逆らったり、反逆を起こしそうな知識人は皆殺された。。この話を聞くだけでもかなりの狂気がうかがえる、、これからどんなものを見せられるのか、と少し引き気味の自分がいた。
キリングフィールドを回る。一つ一つ説明すると長いので省くが、どれも想像を絶する狂気。薬物を混ぜた食料を与えたり、ヤシ科の植物の葉で人の喉を掻き切ったり、、想像の一つ、二つ上をいく恐ろしさだ。
この凸凹は、大量に埋まっていた骨を掘り返したあとらしい。人々ほとんどは刃物や鈍器を使用されて殺されていたらしい。弾丸を使うと費用が嵩むからだそうだ。殺す時の断末魔をポルポトの革命歌を流しかき消していた、、、音声ガイドの声がかなり重くのしかかってくる。ちなみにポルポトの革命歌なるものはかなり不気味で、今でも頭から離れない。
この池には今でも多くの骨が埋まったままだそうだ。キリングフィールドでは、未だ歯が転がっていたり、骨が地表に見えていたりする。たかだか40年前の話だもんな。俺の親が既に生まれていた時代に起こったことと考えると、変な気持ちになってきた。
この木では、赤ん坊が叩きつけられて殺されたらしい。大人の都合に全く関係のない赤子ですらポルポト派は殺していたのか、、、ポルポトは赤ん坊を生かしておくと、いつか復讐されると信じていたらしい。この虐殺を、ポルポトに洗脳された子供たちが行っていたというのがまた大きな衝撃。
本当に今打っていてもかなり鬱な気分になる程、ここの雰囲気は重かった。自分の喜び、楽しみが一気に吸い取られたような、そんな感覚。もう出たいけど、学びとして目に焼き付けておくことにした。
施設をぐるっと一周して、当時のビデオなぞを鑑賞して、後にした。大変憂鬱な時間であったが、この国の歴史的経緯を嫌というほど知ることができた。カンボジアはまだまだ後進国という立場ではあるが、近年は経済成長の伸びがきているらしい。悲しい歴史を乗り越えて、今があることを実感した。キリングフィールドに入る前と、後にした自分の感覚は大きく変わった。
昼食はキリングフィールド近くのレストランで。高い割に大変不味かった、、嫌なものを見たあとだったから尚更そう感じていたのかもしれない。夜飯はうまいもんを切実に食いたい。
プノンペンへの帰路の途中で、そういえばクメール人(カンボジア人)の老人をあまり見かけない、ということを実感した。ポルポト時代に多くの大人が殺され、生き残った多くが未成年だった、ということだ。これらの歴史を知るだけでも、カンボジアという国を見る視点が大きく変わってしまった。これを知ることができただけでも、今回のカンボジア紀行はかなりの意味があるだろう。カンボジアに観光に行った際は、こういう悲しい側面を見ることも大切だと思う。是非足を運んで欲しい。まぁ、嫌なものを見てどっと疲れてしまった。。かなり鬱な気分だが旅はまだまだ続く!!、、
※グロテスクに耐性のない方、気分が落ち込みやすい方は行くことを控えた方が無難かもしれない