フィリピンは『貧困国』ではなく、極端な『格差社会』である、と思う
こんにちは、ケンシロウでっす。最近は何かと仕事も忙しくなってきたが、頑張っちゃってやす。寒冷なバギオは朝は冷えるから、指がかじかんでいるような・・誤字があったらごめんね。
さて、本題だが、フィリピンについて自分の周りの人間の認識が少し違う気がしたんで、それについて綴っていこうと思う。
私がフィリピンに滞在するというと、お決まりで『貧困で苦しんでいる国』というイメージを持っている人がいる。みんな基本的に貧困で、その日暮らしの人がほとんどである、といった認識だろうか。例えると、平等の賃金だが国民揃って貧困な傾向にある社会主義国、キューバのようなイメージだと思う。確かに、過去フィリピンは東南アジアの中でも貧しく、遅れた国であった。日本のメディアもフィリピンで貧困に苦しむ人の映像をよく放映しているイメージがある。
しかし、私の中のフィリピンのイメージは、『超格差社会』である。世界の中にある貧困国とはまた違ったイメージが私の中にはある。
まず、フィリピンは圧倒的な学歴社会。小学校から学ぶ英語が話せなければ、待遇のよい職を見つけることは難しい。そして、フィリピンの貧困層は日雇い労働や劣悪な条件の中で働く。さらに、フィリピンでは避妊は宗教上あまり好まれず、子供ができてしまう人も多いのだとか。そして、そのような家庭環境で育った子供たちは、勉学に励む暇もなく働いて家計を助ける。こうして貧困は親から子へ連鎖していく。
逆に富裕層は、その真逆で豊かな暮らしを送り、整った教育環境によってその子供は高学歴でよい職を見つけやすい。また、フィリピン人は英語ができる人が多いためか、海外に出稼ぎに行く人も多い。物価の高い欧米で働けば、フィリピン国内で働くよりも圧倒的に稼げる。実際に私の知り合いで、叔母がカナダで働いている人がいるが、その人の家は門構えの豪邸である。
つまり全員が等しく貧困な傾向にあるのではなく、貧しい人々はずっと貧しく、金持ちはずっと金持ちであるということである。この格差が埋まらない限り、経済成長を遂げながら貧困層はその日暮らしの生活を送っているという訳だ。
日本には生活保護といった制度があるが、ここフィリピンではそのような制度も整っているとはいいがたい。保険にも加入できていない人が大勢存在し、病気でもまともな治療が受けられない人がたくさんいる。そう考えると、貧困家庭に育ちボクシングで成り上がった英雄・マニーパッキャオ氏は偉大である。このような事例を除いて、貧困層が成り上がるということはこの国ではなかなか大変なことである。
一方で、日本は貧困でも生活保護や奨学金制度、保険も充実し、貧困家庭からであってもフィリピンよりは成り上がりやすいと思う。つまり、日本で挑戦するリスクを避けて、無難な安定を選ぶのは少し勿体ない。なぜなら、失敗したとしても、適切な行動をすればまず死ぬことはないからだ。
日本もいつまでも先進国の座にいられるかはわからない。少子化も進行し、経済は停滞したまま。数十年後には、経済成長続ける他国に追い抜かれていくかもしれない。今の常識は明日、非常識になっている可能性がある。
しかし、少なくとも今の日本は恵まれた部類で、どんなに失敗しても死ぬことは稀。日本が豊かで救済制度が整っている今現代に生きる私たちは、ある程度失敗しても生きていける。その環境に、私たちは感謝すべきだ。