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鎮西高校を選んだ理由

要望が多かったので書きます。 

鎮西で沢山の事を経験してきた事が今の自分に生かされているなと自信を持って言えます。

鎮西を選んだ理由をありのままに書きました。
興味がある方は読んでみて下さい。


まず鎮西高校の存在をしったのは小学校3年生

当時、自分の兄(8個上)が熊本の高校でバレーボールをしていました。
鎮西高校でバレーボールをしている訳ではありませんが、春の高校バレー全国大会予選の決勝戦で鎮西高校と試合をした事がきっかけで鎮西高校を初めて知りました。

・当時は現在鎮西高校でコーチをされている宮迫コーチが鎮西高校のキャプテンをされていました
もちろんその頃から宮迫コーチの存在を知り、鎮西高校3年間憧れだった選手からコーチとしてバレーボールを教えてもらっていた事に驚きです。


鎮西高校と言えば黄色ユニフォーム。

当時の自分は鎮西高校の黄色ユニフォームに一瞬で目が止まりました。

熊本県内では黄色ユニフォームを着ている高校は鎮西高校だけだったと思います。他のチームは、赤色、黒色、紺色、青色で重なったりするチームが多かったですが、黄色ユニフォームだけは1番輝くものがありました。

また他の高校に比べると身長の高さが違い、
他のチームでは190cmを超えてるような選手が1人だけいるって感じでしたが、鎮西高校は190cm前後の選手がゾロゾロといました。

当時自分の身長は130cmと小さく、自分からしたら黄色ユニフォームを着た190cmの選手達に目が止まり、王様のようなオーラを感じていました。

その当時は初めて鎮西高校を観ただけだったので、鎮西高校が強いとかそういう考えは全く無かったし、何も知らない状態でした。

ただ王様のようなオーラを放っているという事しか感じていませんでした。

決勝戦では自分の兄のチームと鎮西高校が対戦し、自分の兄のチームが負けましたが、鎮西高校が強いと感じるよりは、兄のチームが負けたという悔しさが勝っていて、鎮西高校に対して悔しいという気持ちが強かったです。

それから鎮西高校が春の高校バレーに出場するという事で、テレビで全国春の高校バレーが放送されるという事を知り、家族で鎮西高校の試合を応援していました。

鎮西高校が全国の舞台で淡々と勝ち上がっていく姿を見て、鎮西高校は全国でも強いチームなんだという事をその時初めて知りました。

それから自分は鎮西高校のバレーボールをもっと生で観てみたいと思うようになり、兄が大会に出る度に鎮西高校の試合に夢中になって観ていました。全国大会で活躍していたあの鎮西高校を生で観戦できる嬉しさとワクワク、ドキドキ、黄色ユニフォームを観れるという事を今でも覚えています。

特に鎮西高校といえばスパイクが強く、フリースパイクの練習では2階席に全員が上げるくらい凄かったので、自分はそれを楽しみに2階席で構えていました。そのボールを触れるだけでも嬉しくて誰よりも早くボールを取りに行っていました。

まわりの観戦されているお客さんの歓声もあった事で、自分も更に興奮が高まり、目を光らせて応援していました。

試合が終わり、選手を観ようと1階に降りるけどオーラが半端なく、話しかけるという事はできずにいました。なので自分は小学生の頃は1回も話しかけることはできなかったし、写真を撮る事もできないくらいオーラが凄くて常に憧れでした。

それから約2年後。

鎮西高校が淡々と全国春の高校バレーで
勝ち進み決勝戦までいきました。

今でも誰しもが憧れるあのセンターコート。

当時の自分もあのオレンジ色のコートでバレーボールをする事に憧れというか、何と言うか、
当時バレーボールをしていた自分からすると、
憧れなどを超えて、言葉にできないような、
テレビでしか観れない、そんなコートでした。

そんなコートに鎮西高校が立って決勝で戦うなんて、そりゃもうテレビの前で正座でしたね。

本当に瞬きは許せないくらい、どの番組よりも1番楽しみにして座って観ていました。

その時の決勝戦の相手は東京都代表の東洋高校。

そこには柳田将洋選手がいました。

鎮西高校対東洋高校の試合が始まりました。

黄色ユニフォームと紫色ユニフォームの戦い。

本当にドキドキワクワクの気持ちでテンションぶち上がりでしたね。

どっちのチームにも大黒柱のエースが居て、
エースでの打ち合いが繰り広げられていました。


これがチームのエースか………。

目は輝かせ、口はポカンと空いて観ていました。

もうどっちが勝って欲しいとかではなく、エースの打ち合いに見惚れて言葉にできませんでした。

結果は東洋高校が勝ち、その頃に柳田将洋選手の存在を知りました。

バレーボール界のスーパースターという印象があったことを覚えていますし、今も同じ気持ちです

そんなテレビで観ていた柳田さんとサントリーサンバーズで一緒にプレーができた事。
今振り返ると本当に凄い事だなと心から思います

(将さん一緒にプレーして過ごしてきた事はまたいつかnoteにして書きたいなと思います。)



そんな決勝戦をテレビの前で観戦し、、、
試合が終わってテレビを消した時から、、

「鎮西高校でバレーボールがしたい」
「黄色ユニフォームを着たい」
「あのコートでバレーボールがしたい」
「全国春の高校バレーで優勝したい」

という夢を持った事は今でも忘れません。

それから鎮西高校でバレーボールをしたいと思うようになりました。
当時鎮西高校が決勝戦で負けた時、憧れているチームが決勝戦で負けた悔しさを自分も同じように悔しがり、悔しすぎて
鎮西高校で優勝したい

という気持ちになっていました。

これが自分が鎮西高校を選んだ理由です。

もう自分はその夢を叶える為だけにバレーボールを始めたと言っても間違えではありません。

鎮西高校で優勝するというマインドに変わり、自分の人生でその先の事を考えた事は本当になかったです。それくらい鎮西高校で優勝するという事しか頭にありませんでした。

当時はまだ小学4年生。

鎮西高校で優勝するという夢はありましたが、

「何をしたらあんな所まで辿り着けるの…」

「どうやったらあんな身長伸びるの…」

「どうやったらあんなスパイクが打てるの…」

何も分からない事だらけでした。

でも何も分からない。そんなの無理だ。

なんて思うのは当然でしたが、自分は

「絶対にやってやる」

不安よりも鎮西高校で優勝するという気持ちが勝っていました。

よく

「夢はでっかく」

なんて言葉を耳にすると思います。

その言葉に対して色んな意見があると思います。

自分は大きい夢、小さい夢、で考えた時、小さい夢を持ったとしても心が動かないなと。

ほんとうにその夢を叶えたいという気持ちでいれば勝手に心が動くと思います。

でも必ずそれが叶うという訳ではないけど、本当に叶えたいと思って行動に移すことが大切だなと

自分は鎮西高校で優勝する。という夢を持ち、

まずは身長を190cmまで伸ばすという目標を立てました。
身長を伸ばす為に色んな人に聞き、色んな事を試し、辿り着いた結果がこれです。↓

読んでない人はもし良かったら読んでみて下さい



身長の次はバレーボールを上手くなりたい。
もうそれだけでした。

学校で友達と遊ぶだったり、ゲームするだったり、勉強するだったり、小学生なら色んな誘惑に振り回されると思います。
でも自分はバレーボールが上手くなりたい、なぜなら鎮西高校で優勝したいという気持ちがあったからです。
誰かと遊ぶ、ゲームする、勉強するなどもちろん
多少はしていましたが、バレーボールを触って1人で練習したり、友達と練習したり、家族と練習することばかりしていました。
何もかもを捨ててバレーボールをするという頭しか無かったです。本当にアホが付くくらいバレーボールしてました。それくらいガチだったんです

誰かにバカにされようが、笑われようが、無理だろとか言われようが、全くバレーボールが上手くない自分でしたが、目標だけは見失わずにひたすらバレーボールしていました。


この気持ちはこれから先、自分がどんな壁にぶち当たろうとこの頃から学んだ馬鹿にされても突き進む気持ちは生きてくるなと思います。
なので大きな夢を持って叶わなかったとしても、それに向かって取り組んできた事は今後の自分の人生に生きてくると思うし、自分はその頃に学んだ事が今に生かされているなと思います。

そんな夢を叶える為に母親の教えは偉大でした。
読まれてる方もいるとは思いますが、
バレーボール選手として全力で育ててくれた母親についても書いてます。
是非良かったら読んでみてください。↓



鎮西高校を選んだ理由

最後まで読んで頂きありがとうございます。

自分に夢を持たせてくれた高校
自分の人生を変えてくれた高校
自分を成長させてくれた高校


本当に自信を持って自慢できる母校です。

次は

「鎮西高校で学んだ事」


鎮西高校で優勝する為に、24年間生きてきた人生で1番しんどい道のりを経験してきました。
でもこの道を選んだ事が今の自分に生かされています。

どんな事を学んだのか、ありのままに書きます。

是非鎮西高校で優勝するまでの自分の道のりについて読んでみて下さい。

⚠️いつ投稿するかは決めていないので
NOTEをフォローしてお持ちください…


それではまた次回もお楽しみに!

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