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親友が、自殺しました。

7月の24日。
親友が自ら命を絶ちました。

その日の午前中。人から、彼と連絡が取れないけど何か知らないかと聞かれ、スマホでも換えたのかなと考える一方で、嫌な予感が頭をよぎったのを憶えています。

そして夕方、中学の同級生から急に連絡が。
こんなドラマみたいな流れで伝えられるんだなと心の何処かで思いながら、その報せを聞いていました。

実は何度か、彼の口から"長く生きなくていいかな"と聞いていた僕は、他のみんなよりはもしかしたら、驚きが少なかったかもしれません。
それでもやっぱり口から出た最初の言葉は「なんで」でした。

実感が湧かず(今でも湧いているとは言い切れませんが)、ショックは受けているけど、涙が出ない。そんな夜を迎え、意外にも普段通りに眠りにつきました。
それでも、ふと目覚めた午前3時。
自分で気付くよりも先に涙が溢れました。

その週末には福岡に戻り、葬儀に出席。
周りが心配するぐらいには泣きました。

それでも、例え突然親友がこの世を去っても、日々は流れていくし、生活はしないといけません。
葬儀の翌日には長野に戻り、それまでと変わらず仕事をする日々。

こんなもんでいいのかと自分で心配になるぐらいに元気で、たまに思い出して悲しくなる。大丈夫かと問われれば大丈夫ではないけど、生活がままならない程ではない。
そんな1ヶ月を過ごしてきました。
多分それは福岡と長野という物理的な距離のおかげだと思います。

ただ、その距離は同時に、悲しみたいのに悲しめない状況も生み出してもいます。
福岡に帰ってきたくなった?と繰り返し聞く彼の言葉に違和感を感じていたのに。
命を絶つ数日前に珍しく彼から連絡が来て、電話をしたのに。
そして、長く生きなくていいと考えていたことも知っていたのに。
僕が人生で一番ツラかった時期も、生き方に悩んでいた時も、ずっと友達でいてくれた彼に、もっとできたことがあったんじゃないか。死にたがり屋だったくせに、彼の気持ちが限界に来ていたことも、その気持ちの切実さにも気付けなかった自分の不甲斐なさを呪うことしかできない。その上、悲しみの海に溺れられない。そんな苦しさがあるように感じます。

ふと誰かと遊びたい時に急に誘っても、快く誘いに乗ってくれる彼は、数少ない僕の貴重な男友達でした。
普段ガチャガチャと頭で考えている僕の、小難しい話を聞いて、自分なりに考えていることを話してくれることにも、僕の悩みに真っ直ぐな意見をくれることにも、そして何より彼が身にまとう穏やかなで静けさのある空気感にも、助けられていました。

「親友が二人いるんです。男の子と女の子の。」
そんな話を幾度となくしてきました。
でも、もう同じ言葉を繰り返す、繰り返せる日々は来ません。

人生を振り返ると、楽しかった日も嬉しかった日もたくさんありますが、嬉しかった日で真っ先に頭に浮かぶのは、二人の親友と山口に旅行に行った一泊二日のことです。
一日目の夜、酔っ払った僕は二人に「二人のおかげで生きてこられた。本当にありがとう」と感謝の言葉を、二人が呆れ返る程述べたことを今でも憶えていますし、よくネタにされていました。
それ程までに、僕の人生において大切だった存在に、自分は何かできていたんだろうか。楽しかったのは、有難いと思っていたのは自分だけなんじゃないか。そんなことも考えていました。

でも、葬儀の時に中学の同級生たちから、「いつも会うと、兼進が、兼進が、って話すんよ」と言われ、あぁ、そんなに好いてくれていたんだな。と
少しは彼の短い人生の役に立てていたのかなと思うことができました。

あまりにも短い人生で、その整った顔も、光るセンスも活かし切らずにこの世を去ったことは、まだ正直許してあげられませんが、彼の人生の最後の選択を尊重してあげられる日が来たらいいなと思っています。

最後に。
10数年という、長いようであっという間に過ぎ去った短い付き合いではあったけれど、君の友達でいられたこと、そしてこれからも僕の心の中で生き続ける親友がいることを、心から幸せに思います。
本当にありがとう。

また、いつか。

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