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和解 

就職活動1年目、夏採用もほぼほぼ終わり、
「就職留年」が確定していた頃。

そんなとき、母親から電話があった。

「おばあちゃん亡くなったよ」

僕はかなりのおばあちゃん子だった。
幼い時から育てられ、お小遣いをもらい、
テレビのチャンネルの取り合いでいっぱい喧嘩もした。
僕がジャイアン的に癇癪を起こして怒鳴っても、全く引けをとらない
強心臓ばあちゃんだった。

そんなおばあちゃんが亡くなった。

最後に病院で会ってか細い声を聞いたとき、
祖母の死期が近いことはなんとなくわかったていたが、

地元に帰る機内で、僕は未だに仕事が決まっていない自分を責め続けた。
「ばあちゃん、ごめん。」

葬式、父があいさつで号泣した。
ものすごい嗚咽だった。
初めて見る姿、、、

いや、初めてではない、

僕の不祥事で、怒りのままに蹴り倒した時以来の
「感情のまま」の姿だった。

父との会話がなくなって、9年が経った。

ぼろぼろに泣き崩れる父の姿を見たとき、
僕はふと思った。

黙って高い学費を払ってくれているのはなぜだろう?
就活で自分にあーしろこーしろと一言も言ってこないのはなぜだろう?
中学時代のあの事件を、一言も掘り返さないのはなぜだろう?

意地を張っていた自分が急にダサく思えた。


「仕事が決まらないので留年します」

父と面と向かって話した。
久々にまともにした会話がこれだ。とんでもない。

「どうするかー?・・・・・・しっかり悩め」


それしか言われなかった。

留年分の学費は自分で払いますと言った。
奨学金とバイトで、、、なんとかなる。


こうして僕は父と和解した。

いまでは普通に話せる関係になった。
「関係が戻った」のではなく、まぎれもなく新しい「関係」となった。

長い長い反抗期に終止符を打って、
後がない「2年目の就活」へと向かうのである。




























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