就活弱者の内定物語
12年前の11月。
野球部を引退した僕は、寮を出て一人暮らしを始めた。
家賃は4万。
六畳一間、浴槽なしシャワーのみ。
駅から徒歩30分以上で日当たり最悪、
そんな場所から、2度目の「シューカツ」が始まった。
ここで1度目の失敗に目を向けてみる。
①「この会社に入りたい」以前に、
「地元に帰るか東京で働くか」を決めきれなかった。
②「シューカツ」そのものへの嫌悪感がすごかった。
①・・・この決断こそ入口にして最大の分かれ道だったのだが
自分の生い立ちと性格上、ここを決めるのが難しかった…
悩んでいるうちにあっという間に取り残された。
②・・・前の記事でも書いたが、
僕は自己をPRすることが全くできなかった。
野球では(というかスポーツ全般)数字を残すことが
レギュラーへの唯一のアピールだと思っていたから数字以外で
自分を評価されたいと思ったことがなかった。
「僕はこんな人間です」「私の強みは…」「御社の理念に共感し…」
こんな言葉で話をしている自分が心底嫌いになった。
この頃、同期の「就活2年目軍団」数人でよく集まって飲んでいた。
どこを受けるか確認しあったり、模擬面接をしたり、夢を語ったり、、、
最初は青春の一コマとして楽しかった。
野球部での寮生活が続いてるような…
だけど次第にただの慣れあいだということに気づいた。
一度経験したからこそ、僕たちは孤独が怖い。
一度経験したからこそ、僕たちは社会に必要とされないのが怖い。
一度経験したからこそ、僕たちは「お祈りメール」が人一倍怖いのだ。
自分が置いていかれてないか確認するため、
僕らは夜な夜な集まっていたのだった。
では僕は2年目にどう変われたのか?
序盤はむしろ1年目よりひどかった。
・一度落ちた企業に受かることはほぼない
・一年経ったくらいで自分の本質は変わらない
・2回目もダメだったらガチで人生終わる
・結局自分ひとりで戦うしか道はない
次々と不安が押し寄せ、僕の脳は思考停止となった。
朝方まで頭が割れそうになるほど悩んで、いつのまにか寝る。
起きたら夕方で、、、自己嫌悪しているとあっという間に深夜になった。
何も考えられない…何も手につかない…
駅前のミスタードーナツで、7時間座っていただけの日もあった。
気づけば2月。
〇エントリーシートを締め切りまでに書き終われない、
〇説明会や面接をドタキャン、
〇バッグを持たず手ぶらで面接(結構怒られた)、
2回目にも関わらず、信じられないミスを連発していた。
そんなことやってるうちに、手持ちの7割ぐらいの企業は玉砕した。
この頃には夜中にひとりでブツブツ言いながら外へ出て、
タバコを吸って、急に泣き出すという「変質者」になっていた。
常識から外れた自分、何もしない自分に次第に酔うような感覚も
少しだけ覚えた。
心はボロボロだった。極限だった。
果たしてそんな自分がなぜ、内定までたどり着けたのか。
きっかけは両親の電話だった。
父も母も、息子の状況を察したのだろう、
「こっちに帰ってこい」という内容の電話だった。
反抗期の僕なら、こんなことを言われたら死んでも帰らない。
だけどこの時は素直に受け入れた。
ここまでだいぶ迷惑をかけたのだ。
どこで働くにせよ、親の死に目には立ち会わねばと心の底から思ったのだ。
この時点で「失敗①」の悩みは消えた。
すると「失敗②」に関しても少しだけ変化が出た。
「シューカツ」への嫌悪感は残りつつも、
それを嫌がっている自分自身を許せなくなった。逃げる理由を探すなと。
やらなきゃいけないならやる。
こんなに苦しい思いをしなくて済むのならやる。
これ以上、親に(天国のばあちゃんに)迷惑かけないためにやる。
結局すべては「覚悟」の問題だったのだ。
僕はただ「人にこう思われたらどうしよう」と、思っていただけなのだ。
1年以上かかってようやく、視界が開けた。
以降、面接で意識したのは2点だけ。
①僕はこれまで苦しみましたし、今も苦しんでますと言う。
そして苦しみぬいたことだけは誰にも負けませんと言う。
②目線はまっすぐ、姿勢はきりっと、そして有名な戦場カメラマンの方
みたいにゆっくり伝える。
なぜなら①はオリジナルの真実だから、言葉に重みが出る。
そして②は、話の中身以前に印象で評価を下げられるのを防ぐためにやった。
何を話したかなどは細かくは覚えていない。多分面接官も覚えていない。
ということは実は重要じゃない。
結果的に僕は上記の2つを変えたことで、人生で初めて内定が出た。
ローソンで立ち読み中だった僕はその場でシューカツの終了を宣言した。
喜びなど無い。解放感、ただそれだけ。
社会人になってから何度も怒鳴られたし、
陰湿ないじめも受けたし、惨めな思いもたくさんしてきた。
だけどこの経験を超える苦しみを僕は知らない。
世の中を嫌いになって、自分が嫌いになって、時々逃げて…
孤独になって苦しみ抜いたこの寒い冬が、
間違いなく、僕の原点だ。
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