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瞬間的覚悟

受かるかわからない推薦入試。1次は書類審査だった。

学業やスポーツ、文化的活動で自信があるものをアピールする。
方法はいたってシンプル。
自分が載っている野球雑誌や新聞記事を片っ端から集める。
そして自分の名前やコメントを蛍光ペンでなぞっていく。
枚数が多ければ多い方がいい。

どうやってそんなものを集めたのか?
きっと親が知り合いに頼んでくれたのだろう。

そう思っていたが、実は両親はこっそり集めていたみたいだった。

自宅で記事のわずかな一文、スタメン一覧、
2塁打を打った選手などの欄など少しでも自分の名前があればこれでもかとマーカーで書きなぐった。どんな小さな大会でも構わない。必死だった。

個別の特集が組まれるほどの選手ではなかったが、上記のものを
かき集めればそれなりに見れる資料ができた。

ここで頼れるものは過去の実績だけなので、特にプレッシャーはない。
落ちれば自分の野球の能力が足りなかっただけだ。あきらめもつく。

何故この資料が必要かというと、スポーツの顧問じゃない先生も
入試に加わるので、野球の素人から見ても「本物」か「偽物」かを
判断することができるように、とのことだった。

結果は無事パス。関東行きの切符を得た。

2次審査(最終)はグループディスカッション、
これが今思えば恐ろしいほど難易度が高い。

その高校の校舎(当時は知らなかった)で行われたこの試験、
5~6人でひとつのグループを作り「テーマ」に沿って議論する。

事前に知っていた情報は2つだけ。

「自分の意見を言うのは大事だが協調性がないのはNG。
   言い負かせばいいというものではない」

「役割を持つ。司会進行役、A案の支持者、B案の支持者、
違った角度から切り込む役、最終的にまとめる役。色を出せ。」


いやいや難易度高くない???


これまでの自分はもちろん議論なんかやったことない。
当然だ。
田舎で育ち、本能のまま生きて、ヤンキーに憧れて、親に反発して
家を出たいと思ったただの思春期の15歳に、そんな思考回路はない。

グラウンドでは「ハイ」とか「お前が打て~」とか「ナイスピッチ」
とかしか声を発してない。単語でしか会話していない。
そして自宅では会話そのものがない。

無理じゃん。準備なんてできないよ。
東京ってそういうの普通なの?

「出たとこ勝負でやったらぁ」

つまようじで一突きしたら
全てが崩れ落ちるような脆い覚悟だけが、僕の唯一の武器だった。

2次試験当日、静まり返った教室に小さな紙が置いてある。

「議論のテーマは机の紙の裏に書いてあります。それでは始めてください。」

制限時間は20~30分くらいだったと思う。
当時の僕でも、その時間はあっという間だということはわかっていた。

つばを飲み込んで、スマホくらいの紙をめくる。
僕は愕然とした。

【あなたは物事の多様性を重視しますか?
 それとも画一性を重視しますか?】


        ※一字一句正確には覚えていませんが概ねこんな感じ。


当時の僕は、ママチャリに乗ってアイス食ってたような15歳である。
加えて会話が苦手である。答えられるはずがない。
頭が真っ白になった。

しかし同時に、もうひとつの衝動にも駆られた。

「わからないからこそ、最初に発言すべきなんじゃないか?」

僕は「画一性」という言葉の意味が解らず、そっちは捨てることにした。
だって2択っしょ?
多様性はなんとなく「みんなちがってみんないい」的なことでしょ?
ゆとり教育だから知ってるぜ。こっちでいいじゃん。

すぐさま挙手した。内容なんか定まっていない。もはや本能である。

「あのすみませんぼくは~多様性の方がだいじだな~とおもいます。
 僕は野球をやっていて~△×@#(自分でも何言ってるか意味不明笑)」

強烈に訛った言葉で、先陣を切ったのである。

すると奇跡が起きた。

「私も彼の意見に賛成です。僕も野球をやっていて~
 (理論整然と標準語で話す後のチームメイト・後に大企業へ)」

なんと僕の拙い意見に同調する人が現れたのである。

その後は場の雰囲気を壊さないようほぼ頷いていただけだったと思う。
たったそれだけで、グループディスカッションは終わった。

続いて行われた個別面接では、
「休日は何してますか?」に対して「メダカとってます」と答えた。

後に部長から聞いた話だが、

①無理に標準語に直そうとせず、訛りを貫いたこと
②メダカ

この2点で僕の入学は決まったと教えてくれた。

20年前の話である。ホントかどうかはわからない。
ただ一つ、まぎれもない真実は、
このグループディスカッションこそ、僕の人生の分岐点だったということだ。

つまり、脳がフリーズするような困難に直面した時に、
「本能的」に、または「論理的」に、最後は「根拠のない覚悟」で
「瞬間的」に一歩を踏み出せるか?

これが明暗を分けたのだと今はわかる。

きっと僕のグループの他の5人も、一瞬震えたのだ。僕と同じく「覚悟」を問われたのだ。


15歳の1月、僕はこの瞬間的覚悟によって
運命の扉をこじあけた。


試験の翌日、母親と2人で合否の掲示板を見に行った。

母親は不安で見に行けないと、
途中から僕一人で掲示板まで歩みを進めた。
なぜか自分の番号はあると予感していた。


僕の番号は、「6053」


てっきり目の前で番号を探すものだと思っていたが、
掲示板から30メートルほどの手前で「6053」が目に入った。


「あった」


母親に伝えると「あっ」と言ってその場で泣き崩れた。


僕は何年経ってもその姿だけは、
忘れることができないのである。




















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