ICON ‐ 3Dプリンターによる建設プロセスの革新に挑む
建築業界において3Dプリンターの技術が急速に注目され始めています。以前、建設DX研究所で筆者が執筆した記事「建設業界における3Dプリンターの可能性」では建物を建設する際に3Dプリンターを利用する際のメリットや今後の課題を取り上げました。無人で効率的な施工が可能となり、かつ、自由なデザインを実現しやすいというメリットがある一方、技術者の不足や法的制約が課題となっているのが現状です。
世界では建設3Dプリンター技術革新の競争が激しくなっていますが、その中でもアメリカのICONは技術力や施工実績、資金調達の規模などで一際目立った存在です。ICONの創業の経緯、保有する技術、代表的なプロジェクト、そして未来への展望について、本記事で詳しく探ります。
創業から資金調達の流れ
ICONは、2017年にJason Ballard、Evan Loomis、Alexander Le Rouxの三人により設立されました。BallardとLoomisは、元々Texas A&M大学で知り合い、2008年に住宅のリノベーションに焦点を当てた企業、TreeHouseを共同で立ち上げました。この会社が提供する改修サービスでは、サステナビリティ、デザイン、耐久性が重視されていました。彼らは、建築業界の理解を深める中で、高品質な家をよりコスト効率良く提供できる方法があると確信し、3Dプリンティング技術に目をつけるようになりましたが、当時はそのアイデアを実現する技術を持っていませんでした。
この課題を解決するキーとなったのは、2017年のHoustonで3Dプリンティング技術の研究を進めていたLe Rouxとの出会いでした。続く2018年、ICONはSXSWで「アメリカ初、3Dプリンターで建設された建築許認可を得た家 Chicon House」を発表。この家はわずか48時間で完成し、SXSWのピッチコンペティションでSocial & Cultureカテゴリーで優勝を果たすなど、初めて世界的に建設3Dプリンティング分野に注目を集めたプロジェクトとなりました。
住宅不足が深刻な社会問題として浮上しているアメリカにおいて、ICONのビジョンは多くの投資家から支持を受けており、その成長は独自の技術開発によって後押しされています。2021年8月には2億7000万米ドルのシリーズB資金調達を実施した後、2022年2月にはそのエクステンションラウンドとして1億8500万米ドルの追加調達を成功させました。アメリカだけでなく、全世界の建設業界が直面している資材の価格高騰、生産性の低下、熟練労働者の不足といった課題を解決する企業として、ICONは持続的に高い注目を集めています。
ICONの3Dプリンター Vulcan - 独自の混合セメント技術の活用
ICONが有する3Dプリント技術の最大の特長は、高品質かつ耐久性に優れた住宅を短期間かつ低コストで建築可能であるという点です。この技術体系は「Vulcan建設システム」と名付けられ、ICON独自の3Dプリンター「Vulcan」、専用のプリント素材「Lavacrete」、そしてこれらの材料をプリント適性に調整する「Magma」というポータブルミキシングユニットによって構築されています。これらのハードウェアは統合ソフトウェア「BuildOS」によって制御され、デジタルの3D設計データを物理的な住宅に変換します。
「Vulcan」は、ICONが独自に開発した大規模3Dプリンターであり、現在はその第三世代のモデルが運用されています。一度設置されると、その設置地点から300㎡近くにわたる構造物を建築可能です。加えて、このプリンターは移動性にも優れており、一つのプロジェクトが完了した後、次の建設現場へと容易に移動することができます。
さらに、ICONが開発した特別なコンクリート素材「Lavacrete」は、強度と耐久性を高次元で両立しています。この素材を積層することにより、壁状の構造体が形成され、その耐力はアメリカの建築規格に定められた建物強度の要求値を3倍以上に上回ることが確認されています。この卓越した強度を有する一方で、Lavacreteはプリント過程において優れた流動性を示すとともに、施工中の形状安定性も保持しています。これらの特性により、より効率的かつ迅速な建設が可能となっています。
コンクリートの流動性や強度は、材料の組成や混合方法が同一であっても、気象条件(特に温度や湿度)によって大きく変動する可能性があります。このような変動を自動的に調整可能なのが、ポータブルミキシングユニット「Magma」です。従来、現場での3Dプリンターを用いた建築施工において、安定した材料供給が一つの課題とされていました。通常の建設過程におけるミキサー車およびポンプ車のそれぞれの機能を一体化したこのユニットを独自に開発することで、前述の課題を克服しています。
代表的なプロジェクトの紹介
冒頭で触れたアメリカで初めて建築許認可を取得した「Chicon House」に続き、ICONは獲得した資金と開発した技術を活用して、多数の代表的なプロジェクトを成功裏に遂行してきました。
まず特筆すべきは、2019年にICONが非営利団体New Storyと協力し、メキシコで実施したプロジェクトです。このプロジェクトにおいては、50戸の3Dプリント住宅(各50㎡、2LDKの間取り)が貧困層の家族に提供されました。各住戸はわずか24時間以内に建設が完了し、ICONの技術がアメリカ国内だけでなく、途上国における住宅不足問題の解決策としても有効であることを実証しました。
さらに、高品質かつデザイン性に優れた住宅の建築事例も存在しています。2022年に完成した「House Zero」は、湾曲した壁が特徴的な構造体と、屋根を支える鉄骨フレームを組み合わせたハイブリッド構造の住宅です。通常、壁部分の施工には数ヶ月を要しますが、このプロジェクトではわずか約2週間で完成しました。この複雑な湾曲構造がリビングや個室を独自のデザインで区切り、3Dプリンターによる住宅特有の快適な居住環境を提供しています。事実、この住宅は「The 2022 Builder's Choice Design Awards」や「Architizer A+ Awards」など、デザイン性を評価する複数の賞を受賞しています。これにより、3Dプリンターによる建築が「低コストで迅速な建設」以外にも多面的な価値を有することが証明されました。
最後に、現在進行形で展開されているホテルおよび一部住宅に関するプロジェクトを取り上げます。このプロジェクトは、世界的に著名な建築設計事務所BIG(Bjarke Ingels Group)によって設計され、新しい形態のホスピタリティを実現することを目指しています。BIGは、トヨタが開発する「Woven City」の設計者として、日本国内でもその認知度が急速に高まっています。本プロジェクトはテキサス州に位置するキャンプ場において、三次元的かつ有機的な形状で構築された客室やレストランが配置されています。これらの空間は、原始的な洞窟を彷彿とさせるデザインが、最先端の建築技術によって実現されています。その結果、従来のホテル滞在とは一線を画する、新しい体験が提供されています。
今後の展望
ICONの3Dプリンティング技術は、労働力不足や建設費の急激な上昇といった社会的課題に対する解決策を提供する一方で、従来の建築技術では実現不可能であった新たな空間や体験を創出しています。特に注目すべき点として、この無人建設技術の応用範囲が地球上に限定されていないことが挙げられます。NASAとICONが共同で推進しているプロジェクト「Olympus」は、月面において居住可能な住宅ユニットの建設を目的としています。地球から重い建設資材をロケットで運ぶのは非現実的であるため、月面の資材を用いて建造物を形成する必要があります。ICONの先進的な材料配合技術が、これらの課題の解決に使われているのです。
ICONの軌跡をみると、アメリカ初の建築許認可を取得した住宅の実現から月面コミュニティの建設まで、建設3Dプリンティング技術の新たな可能性を追求してきたことが分かります。調達した巨額の資金を元に、いかに革新的な開発を進めながら、価値あるプロジェクトを推進していくか、今後も目が離せません。