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父がフィリピンに作った貯水池 〜青年海外協力隊から50年〜

You can read the English translated version of this article here.


はじめに

突然ですが、先月11月に仕事の休みを取って、父(佐野幸規)と二人でフィリピンへ行ってきました。仕事関係の皆様、休暇のご理解ありがとうございました。
父は20代の頃、海外青年協力隊の一員としてフィリピンに2年間派遣されていました。地元の北海道大学で農業土木を学び、その後東京で働いた父は、農業土木の知識を実践するべく、協力隊に応募し、フィリピンに派遣されました。
今年2024年の年初に、母が病気で他界し、父は「もう一度フィリピンに行きたい」と考えていました。でも、78歳の父には一人旅は少し厳しいだろうということで、私が同行することになりました。せっかくなので、この旅の記録と感じたことをnoteに残します。もしよかったら、お付き合いください。

50年ぶりのイロイロ市へ

訪れたのはフィリピン第3の都市、イロイロ市です。イロイロは国際空港があるものの日本からの直行便はなく、マニラを経由して到着しました。
空港で迎えてくれたのは、父が協力隊員時代にお世話になったスエヒロさんのお孫さん。彼のおかげで旅はスムーズに進み、観光地ではない場所にも案内してもらえました。スエヒロ家のご自宅にもお邪魔し、お昼ごはんをご馳走になりました。50年経ってもこうして繋がっていること、父も私も心から感謝しています。

イロイロ空港に到着した父

50年前の貯水池は今も現役

今回の旅の最大の目的は、父が50年前にフィリピン・ギマラス島で設計し、建設したマンゴー苗床のための貯水池を見に行くことでした。
「今でも残っているのかな?」と期待半分、不安半分で向かったギマラス島。結論から言うと、貯水池は見事に現役でした!
貯水池の周囲では、当時苗だったマンゴーの木々がすっかり巨木になっており、その側では今も新しいマンゴーの苗が育てられていました。
50年前に父が作った貯水池が、地元の人々の生活に根付いている——その光景を見て、父も大変感動していました。
さらに、マンゴー苗床の施設の所長さん自ら現場を案内してくださり、「ここが日本の援助で作られた貯水池だ」と歴史がしっかり伝えられていることにも驚きました。

樹齢50年のマンゴーの木と父

父が感じた“報われた苦労”

今回、父とフィリピンを訪れて思ったのは、父のような過去の海外青年協力隊員や現在も世界中の様々な地域で活動されている隊員の皆さんのことです。
当時の父もいろいろと苦労があったようですが、土の道路しかなかったような、ギマラス島が当時とは比べ物にならないぐらいに豊かに、そして生活も便利になっていて、苦労が報われたような気がすると言っていました。
おそらくそれは「貯水池」が今も活用されていたからだけではなく、父が作った貯水池を活用したマンゴー栽培が現地の生活向上に大きく貢献したと思えたからではないかと思います。
父の「貯水池」のような過去の海外青年協力隊員がもたらした有形無形の功績は世界中にたくさんあると思います。そしてこれからもたくさん生まれていくと思うと日本人として大変誇らしいですし、現在活動中の協力隊員の皆さんに心からエールを送りたい気持ちになりました。

貯水池の水を使って作られているマンゴーの苗

海外青年協力隊を応援したい方へ

海外青年協力隊の活動は、寄付という形で下記サイトから支援できるそうです。私も微力ながら協力したいと思っています。もし関心があれば、ぜひ調べてみてください。

次はスリランカへ?

最後に少しだけ予告です。
来年2025年には、父が協力隊の後にODA(政府開発援助)の仕事で活動していたスリランカを父と訪れたいと思っています。スリランカは、私自身が幼少期を過ごした場所でもあります。この旅についても、もし「読んでみたい!」と思った方は、励みになるので、ぜひ「いいね」で教えてください。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

父と私


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