憲法審査会 2023年4月27日 議事録


◆各会派代表の発言

新藤義孝(自由民主党・無所属の会)
自由民主党の進藤義孝です。4月より9条に関する討議を行って参りました。今国会における審査会の討議は、いくつかの論点について委員から問題提起があり、これに対する見解がきちんと準備された形で、各会派の委員より示され、建設的かつ実態的な議論が積み重ねられています。議論が噛み合い、内容が審査会の毎週の討議において、深められているという状況は誠に喜ばしく、国民の皆様に憲法改正の必要性や、様々な論点を明らかにできるよう、今後も努力してまいりたいと思います。
本日は9条改正につきまして、これまでの積み重ねで明らかとなってきた、意見の方向性や相違点を私なりの観点から整理をしたいと思っております。まず配布資料の「1.現行の9条解釈の基本姿勢」をご覧ください。
憲法9条は1項で「戦争放棄」2項で「戦力不保持」と「交戦権否認」を定め、日本国憲法の3大原理である平和主義の理念を宣言したものであります。
この平和主義の理念においても、わが国が主権国として持つ「固有の自衛権」は否定されておらず、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められています。またその担い手である自衛隊が9条2項によって禁止される「戦力」に当たらないことについても、長年にわたる国会審議を通じ確立してるところであります。このような現行の9条解釈については、1の(1)にあるように、「現行解釈を維持するべきか否か」という論点があり、「(a)今後ともこれを維持するべき」とする意見と、「(b)9条2項を削除したり解釈変更するなどして他国と同様に戦力としての軍隊を保持できるように変更すべき」との意見が出されております。私は9条1項の侵略戦争放棄のみならず、2項の戦力不保持までも定める、わが国独自の平和主義については、二度と不幸な戦争を行わないという誓いは国家運営の礎である。そして戦後77年が経過してもなお戦争による深い悲しみと傷は決して癒えることなく、私たちの心の中に刻まれていること、これを重く受け止めて平和主義の取り扱いについては慎重な議論が必要と考えております。
多くの意見は、現行の9条の「必要最小限度」「専守防衛」といった解釈は維持すべきとの意見だったと考えますが、引き続き議論を続けて参りたいと思います。これと関連して、今述べました9条解釈について、1の(2)として憲法に明文化することの是非についての意見も出されています。この論点については、「(a)長年積み重ねられてきたものでありこれまで通り解釈に委ねるのが適当」とする意見と、「(b)曖昧な解釈に委ねることなく明文で規定すべき」とする意見がありました。仮に現行の「必要最小限度」や「専守防衛」の解釈を明文で規定したとしても、結局は我が国に対する脅威の内容や程度によって相対的に判断しなければならず、その時点での解釈に委ねられることなどを理由に多くの意見はこれまで通り解釈に委ねるのが適当ではないかということだったと思いますが、この点につきましても引き続き議論させていただきたいと思います。
次に配布資料の「2.国防規定・自衛隊明記」をご覧ください。
まず(1)として、憲法に明記することの要否に関する論点があります。これについては「(a)国家の根幹である国防規定やその担い手である自衛隊に関する規定は基本法である憲法に位置づけることが必要」との意見が出されております。他方、「(b)現状の自衛隊は合憲でありその役割と必要性については国民に十分に理解されておりわざわざ憲法に明記する必要は無い。憲法改正は不要だ」との意見もありました。
9条は日本国憲法で唯一の安全保障に関する規定です。しかしそれは、平和主義の原理と自衛権行使のあり方に関する規定であって、現行9条には安全保障の根幹である「誰がどのように国を守るか」という国防規定が欠落しております。私とすれば国防規定とそれを担う実力組織である自衛隊を憲法に明記し、憲法を頂点とする法体系を完成させる事は、国の根幹を整えることであり、多くの委員の賛同を得られるのではないかと考えております。
次に2の(2)として、この国防規定とその担い手である自衛隊を憲法に明記する理由、いわゆる立法事実については、(b)にある自衛隊違憲論を解消するためという意見もありましたが、(a)にある、私が一貫して説明しております、日本国憲法制定以来の欠落部分である国防規定とその担い手である自衛隊を憲法に明記し、憲法を頂点とするわが国の法体系を完成させるということが立法事実としてふさわしいのではと考えています。
自民党たたき台素案の資料にある自衛隊違憲論の解消という説明は、その思いと効果を、国民にわかりやすく伝えるためのものであることを申し上げております。この点も基本的な論点であり、引き続きしっかりと議論を深めてまいりたいと思います。
次に「3.シビリアンコントロール規定の要否」といった論点があります。1つは内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする政府部内による統制、もう一つは国会承認や国会報告といった、国会による民主的統制に関する規定を憲法に明記することの要否に関する論点です。
まずシビリアンコントロール規定の必要性については、共通理解が得られており、不要とする意見はなかったと思います。そもそも軍隊や実力組織に対するシビリアンコントロール規定は、各国憲法でも一般的に定められている当然の規定だと思います。
最後に今後より深掘りをした議論をする際の論点となる「4.その他の条文表現・構成」について、これまで出されている意見を申し上げます。
まず(1)として現行の9条との関係を整理する文言、すなわち冒頭で述べた現行の9条解釈を維持することをどのように表現するかといった論点があります。1つは私たちのたたき台素案のように、「(a)必要な自衛の措置をとることを妨げず」と表記し、第9条1項2項の解釈を確認する規定とする意見がございます。
これに対して「妨げず」は例外規定を表す場合もあり、適当では無いのではとのご指摘もいただいております。他方この「妨げず」と同じ趣旨を(b)のように「9条の範囲内」という表現で示す意見もあります。これらの規定文につきましてはさらに議論をつめて参りたいと思います。
次に4の(2)として、この国防規定、自衛隊明記を憲法のどこに規定するかといった、条文の置き場所に関する論点があります。私たちとすれば「(a)9条の2として第二章 『戦争の放棄』の章に規定するのが自然ではないかと考えております。すなわち国防規定とそれを担う実力組織である自衛隊という国家の根幹的な規定と、その実力行使の限界を定める現行9条の平和主義の規定、そしてその活動に対するシビリアンコントロール規定は、密接不可分であり同一の章に規定してはどうかと考えるからであります。これに対して(b)のように、もっぱらシビリアンコントロール規定に着目して、第5章『内閣』の章に定めることも考えられるのでは、との意見もいただいております。これらの点につきましては、今後の討議の中でさらに議論を詰めて参りたいと思います。
今朝の幹事会におきましては、次の定例日である5月の11日にも審査会を開催し討議を継続することを提案いたしました。今後も憲法審査会が安定的に開催され充実かつ深い議論が行われるよう委員各位のご理解とご協力をお願いいたしまして私の発言といたします。



階猛(立憲民主党・無所属)
立憲民主党の階猛です。先週の当審査会終了後の筆頭間協議により、今週の当審査会においては、私の方から国民投票法の論点を説明してほしいと、中川筆頭から指示がありましたので、以下述べさせていただきます。
なお本日は、国民投票法に関して、これまでどのような議論がなされてきたのか、第208回国会すなわち昨年の通常国会以降の各会派の主な発言をまとめた資料を用意し、配布する準備をしておりました。これは前国会における自民党の新藤幹事の緊急事態に関する論点の例に倣い、私から衆議院法制局に対して事務的に整理するよう依頼したものです。そしてこれも、新藤幹事の例と同様、今回取りまとめる内容は、各会派においてオーソライズされたものではありません。基本的に各会派の意見を私なりに取りまとめて法制局に整理をしてもらう趣旨で作ったものであります。今後の建設的な議論に資するものであり、新藤・中川両筆頭の合意内容にも反しないと考えておりましたが、先ほどの幹事会の協議の結果、提出が認められず極めて遺憾です。会長におかれましては、早期提出に向けてお取り計らいをいただきますよう切にお願いを申し上げます。
さて、国民投票法に関する論点について、意見が隔たりが大きいものを中心にご説明します。まず現行法の附則4条の位置づけです。我が党からは同条1号に掲げる、投票人の投票環境の整備に関する事項と、同条2号に掲げる国民投票の公平公正の確保に関し、何らかの法制上の措置等が講じられるまで、憲法改正発議はできない趣旨であるということをこの条文の起草に携わった奥野委員が説明しているところです。しかし条文上はこの点は明確でなく、他の会派からは反対意見が出ています。ただいずれの見解をとるにせよ、両事項については、施行後3年をめどに必要な法制上の措置等を講ずるものとされており、まもなく施行後2年を経過します。両事項について、必要な法制上の措置等の検討を急がなくてはなりません。この課題を放置したまま、憲法改正の中身の議論だけを続ける事は附則4条が予定するものではないということをこの際申し上げます。
第二に投票環境整備です。すでに公職選挙法で、手当てがなされた3項目の改正について、我が党も改正することには異存ありません。ただし、憲法改正の国民投票は、通常の選挙と異なり、主権者である国民が直接国のあり方を決める重要な機会です。通常の選挙以上に投票環境の整備を求められる中、高齢化やグローバル化への対応の必要性も増しています。こうした認識の下3項目以外についても、必要な事項がないか検討すべきというのがわが党の考え方です。また先ほど申し上げた附則4条に掲げるもう一方のテーマである国民投票の公平公正の確保に関する改正も、
先程申し上げた通り、検討を急ぐべき時期に来ています。両事項を盛り込んだ改正案の成立を図るほうが、効率的であり、憲法改正の是非に関する国民の関心を高めることにつながると考えます。
第三に、CM規制等です。まず、放送CMについては、民放連のガイドラインによる自主規制への評価の違いが法律による規制の要否に関する見解の違いにつながっていることを確認したいと思います。
表現の自由の重要性は言うまでもないことであります。しかしながら、アテンションエコノミーが発達した現在、憲法改正への賛否を勧誘するCMが、賛否一方向に偏ることにより、主権者の判断が歪められ、国民投票の公平公正が害される事態を防ぐ必要があります。そこで、わが党としては、意見CMによる意見表明の自由については、国民投票広報協議会を通じたた発信の機会が与えられる政党等は除いて保証することとします。他方、勧誘CMについては、これを禁止することで、表現の自由と国民投票の公平公正とのバランスを図ろうとしているということをご理解いただければと思います。次にネットCM、ネット等の適正利用です。この点については、ネット規制は困難である、ネットの問題は国民投票に限られないといった意見が各党から出ていますが、国民投票についてのネット規制の海外事例等について、国会図書館の調査報告書が最近公表されました。後ほど我が党の城井議員から、もこれに関する発言があると思いますが、こうした海外事例も参考にしながら、建設的な議論をするべきです。
次に資金規制です。憲法改正の賛否が、改正案の良し悪しではなく、資金投入の多い少ないによって左右されることがあってはなりません。まして外国勢力の資金によって、憲法改正の賛否が決められる事は、主権侵害であり、安全保障の観点からも断じてあってはなりません。そのような観点から、立憲民主党は英国の例等を参考にしながら、支出限度額の設定、外国人等からの寄付の受領禁止等を主張しており、一部の会派も同様の見解を示しています。与党の委員からは言及がない状況ですが、保守派を自認する委員の方々には、ぜひ関心を持っていただいて、前向きな議論をお願いしたいと思います。
第4に国民投票広報協議会の活動です。この点については、共産党を除いて充実強化を図ることで一致しています。ぜひ具体的な充実強化策について今後つめさせていただければと思います。偽情報や誤情報により、国民が判断を誤る事の無いよう、民間のファクトチェック機関と連携を図る必要性も、複数の会派が指摘しております。今後議論を進めていくべきと考えます。最後に、その他ということで、特に選挙運動と国民投票運動の期間重複をどうするべきかという事は重要な論点だと思います。今後議論を深める必要があります。以上で私からの発言を終わります。

三木圭恵(日本維新の会)
日本維新の会の三木圭恵です。今日は憲法9条について我が党の考え方と、各党・各会派の意見の相違について、まとめてみたいと思います。
まず「9条1項・2項は維持する」という考え方は、自民党・公明党・立憲民主党は同じであります。
しかしながら、立憲民主党は「自衛隊は合憲であり、その役割必要性は国民が理解しているところであり、自衛隊の明記は不要」とのお立場なので、各党の比較の対象からはここで外れてしまうことになります。
国民民主党は本質的な議論、つまり9条2項の存続や、自衛隊の軍としての位置づけををすべきとなっており、有志の会も国際法を踏まえて、フルスペックの集団的自衛権を認め、2項を削除し、自衛隊を軍として位置づけるべき、とのご意見です。この9条2項を削除するべしという論は、先週に我が党の小野委員から、政治的ハードルはかなり高いが議論はすべきとの旨の発言がございました。9条をどのように捉え、そして自衛隊を憲法にどのように位置づけるのか、また「必要最小限度」の概念や、自衛権について、まさに9条2項はその議論の入り口にあり、大きな大きな争点であります。
例えば、芦田修正論が出された時期や経緯を見ても、9条2項は、その時代時代の背景に左右されながら、様々な議論を巻き起こし、今日まで来たのではないか、とそう感じるものであります。それゆえに、私も個人的にこの9条2項について議論する事はとても大切なプロセスであると考えています。また「交戦権 right of belligerency」という言葉は、日本国憲法を除き、公式用語として存在しない、よって削除すべし、という意見もあることを付け加えさせていただきます。
次に「必要最小限度」ですが、これは相対的概念であることを維新、自民、国民民主党がそれぞれ述べています。
また自衛権行使の範囲を、国民民主党は具体的に「憲法に書き込むべき」とのご意見ですが、自民党・公明党・維新は、「それぞれ余すことなく書き込むことは困難。過不足なく明文化することは困難。日本国憲法は硬性憲法であることを考えると解釈で行うのが適当」との意見でありました。
私は、書き込むことによってポジティブリスト化してしまい、不測の事態にかえって自衛隊の手足を縛り危険を招くことになるではないかと考えます。国防規定については、自民党・国民民主党が「必要」とのお立場ですが、維新の会は、「憲法に自衛のためと明記すれば良い」との考えかたです。また自衛隊違憲論ですが、公明党・国民民主党は「自衛隊違憲論の解消が自衛隊明記の目的であることは疑問」としているのに対し、自民党は「自衛隊違憲論の解消は目的ではなく効果である」としており、維新は「自衛隊違憲論を解消するべき」としています。
自衛隊は現行憲法下では、学者の間では通説的には違憲とされることが多いことを鑑みれば、自衛隊を憲法に明記することによって違憲論が排除されるのであれば、それは大きな意義を持つ事は間違いないと考えます。もちろん、違憲論を解消することだけが目的と化しているのであれば疑問が残るでしょうが、9条に自衛隊を明記することによって、わが国のスタンスを世界に明確に示し、またわが国が平和主義を保ちつつ、自衛隊の存在を憲法に書き込むことで、自衛隊が法律上の存在から、憲法上の存在に格上げされること、つまり自衛隊が憲法によって根拠付けられ、法的安定性が高められること、国民投票を行うことによって自衛隊の民主的正当性がいっそう高められることなどが挙げられます。もう一点、実は自衛隊の将官クラスが一番嫌なのが、「自衛隊Self-Defense Forces」という呼称です。国防軍、あるいは防衛軍にしてほしいと、だから自衛隊を明記する事は避けて、せめて実力組織という表現にしてほしいというご意見があると伺っています。
一足飛びには難しいかもしれませんが、わが国を守るという命をかけた任務に就いている自衛隊員の心情を考慮することも非常に大切な観点かと考えます。
次に、シビリアンコントロールについては、各党が「明確化が必要」との認識で一致しています。その際、自民党の新藤幹事からは、「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とするとの内閣の統制と、国会の承認その他の統制に服するとの国会による民主的統制に関する規定を設けている」とのご発言がありました。
我が党は自衛隊を「行政各部の一として」と書くことによって、内閣の統制、そして「法律の定めるところにより」とすることで、国会の民主的統制を図っています。この点、自民党案と維新案は似ていますが、維新案の方が、自衛隊そのものを「行政各部の一とする」と明確に示しているので、防衛省と自衛隊の関係が今と変わらないことを示しており、シンプルかつわかりやすい表現になっています。また自民党案の「妨げず」という文言ですが、「妨げず」には確認規定の意味の他に例外規定の意味を持つ時があるため、9条に穴を空けるつもりかと疑念を抱かれることになりかねません。これは公明党も同じく「例外規定と解される余地がある」と懸念を示されました。
我々の案では、「前条すなわち9条の範囲内で」という表現を用いることを提案しています。そうすれば新設する9条の2がどのような規定であれ、現行9条の枠を飛び出る事はあり得なくなり、現行9条の重要規範である「必要最小限度」や「専守防衛」が疑念を持たれることなく、より明確に維持されることになります。そして最後に、規定する場所でございますが、自民党・維新案では9条に新たに2を創設しようとするものですが、公明党は第5章『内閣』に、そして国民民主党も自衛隊違憲論の解消とシビリアンコントロールの明確化のみを、改憲の目的とするならば、第5章『内閣』に、というご意見でした。
私は、『内閣』の章に、自衛隊を明記することはいささか無理があると感じます。なぜなら自衛隊が実力組織だという理由だけで、他の行政機関と著しく違う扱いで憲法に書き込むことに疑問が生じるからです。
以上が、ここ最近の各党・各会派のご意見の一致する所、違うところです。
今後は相違点についてどのように意見をすり合わせていくのか、今日私なりに整理をしました論点もぜひご一考いただき、活発な議論の上に、合意を見いだせる作業を進めていただければと考えますので、どうぞよろしくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました。

北側一雄(公明党)
公明党の北側一雄です。緊急事態条項の創設、特に緊急事態における国会議員の任期の延長について、昨年来、当審査会で活発に論議されて参りました。衆議院解散後もしくは議員任期満了前に、緊急事態が発生し国政選挙の適正な実施が長期間困難と認められる時に、国会の機能を維持するため、憲法を改正し、国会議員の任期の延長ができるようにすべきであること、そしてその要件・手続き・効果等についても、具体的な内容についての論議が進められ、5会派ではすでに、共通の理解ができつつあると思います。憲法41条は、「国会は国権の最高機関であり国の唯一の立法機関」としています。国会はいかなる緊急事態が発生しても、必要な法律と予算を審査成立させ、また政府を監視・助言をしていくという重要な役割、機能を担っていかねばなりません。緊急事態における国会議員の任期延長論はまさしく、どんな場合でも国会機能を維持していかねばならない。そのために憲法の改正が必要との議論です。
また国会機能の維持という観点から、当審査会では、緊急事態が発生し、議場に国会議員が参集するのが困難となった場合にどうするのか、が議論され、憲法56条1項の「出席の概念」は例外的にオンラインによる出席も含まれるとの意見が大勢となり、その結果を昨年3月、衆議院議長に報告したところです。それからすでに1年以上計経過しており、衆議院の議員運営委員会での速やかな検討をお願いしなければなりません。国会法等の改正や、システムの整備などが当然必要となって参ります。会長におかれましては現在の議運での検討状況について、幹事会にご報告をお願いしたいと思います。次に緊急事態によっては国会での法律の制定や、予算の成立を待つ暇がない場合があるのではないか、そのような場合には国民の生命財産を守るために、内閣に緊急政令制定権や緊急財政処分を行う権限を付与すべきとの意見があります。これは緊急事態における国会機能の維持という目的とは、次元が異なる論点であることをまず確認しておきたいと思います。緊急事態における国会機能の維持という観点からは、先に述べました通り、まず緊急時にオンライン国会が開催できるよう、その手続きと条件を早急に整備すべきと思われます。
また緊急事態だからと言って、憲法で内閣に白紙委任的な緊急政令制定権を認める事は、国の唯一の立法機関としての国会の責任を放棄することにつながります。わが国の機器管理法制は相当程度整備されています。例えば現行の災害対策基本法第109条では、「生活必需品の譲渡制限」「価格統制」「金銭債務の支払い・延期」等の具体的項目を明示して、内閣に緊急政令制定の権限を与えています。また国民の権利自由と関わりでは、災害救助法7条・8条で、医療、土木建築工事、又は移送関係者や、近隣住民等の一般国民に対しての従事命令の規定もあります。
こうした災害対処法制のほか、感染症の全国的かつ急速な蔓延への対処としての新型インフルエンザ等対策特別措置法、有事の際の武力攻撃事態等対処法、国民保護法などの有事法制、治安上の事態対処のための自衛隊法、警察法等でも政令人規定があります。このように法律事項として個別に政令委任ができる範囲を規定し、危機管理法制をさらに整備、充実していくべきでないかと考えます。
仮に緊急事態時における内閣の政令制定権等を憲法に規定するとしても、憲法41条の例外規定としての位置づけではなくて、例えば「内閣はあらかじめ法律の定めるところにより法律で定める所の事項を定める政令を制定し、又は財政上の支出その他の処分を行うことができる」との確認規定となるのではないのかと考えられます。
憲法41条の「国権の最高機関」「国の唯一の立法機関」との規定、また同83条以下の「財政民主主義」の規定は、日本国憲法の基本原理である国民主権の理念を体現したもので、この例外規定を設けることには慎重でなければならないと考えます。1962年5月今から60年以上前になりますが、先に述べましたように、災害対策基本法を改正し、内閣に一定の緊急政令が制定できる権限が与えられました。この改正法案審議の際、衆議院地方行政委員会では参考人質疑が実施され、東大の小林直樹先生や一橋大の田上穰治先生など、当時の著名な憲法学者が出席されました。
法律で緊急政令制定権を内閣に表記することが憲法41条に反しないのかが、まさしく争点となりました。
私もこのときの議事録を改めて読ませていただきました。参考人からは、次の理由から国会の唯一の立法機関性に反せず、違憲ではないとされました。第一に、要件が災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合として限定されていること。第二に、政令に委任する事項が限定されていて特に経済活動に関することになっていること。第三に、直ちに国会の承認を得なければならないという暫定的な措置であること、などを理由にして憲法41条に反しないというふうにおっしゃっておられます。また小林参考人からは、このような災害、緊急事態時の緊急政令を認めるからといって、一般的にそういう法形式が合憲であるという事ではない、そうした趣旨のご発言もございました。以上の参考人の意見は、災害対策基本法の改正条項が、憲法41条に反しないかという憲法解釈のレベルのものですが、憲法政策としても、憲法で内閣に白紙委任的な緊急政令制定権、緊急財政処分権を認める事は憲法41条また同83条などの理念、憲法の価値体系との整合性が取れないのではないかと考えます。
また、災害、感染症蔓延、戦争、テロなど緊急事態の要因が異なる中で、政令に委任する事項を憲法で限定して書き込む事は困難と思われます。
次に国会法68条の3では、「憲法改正原案の発議にあたっては、内容において関連する事項ごとに区分して行う」また憲法改正国民投票法47条では、「投票は国民投票に係る憲法改正案ごとに1人1票に限る」とあります。
これは、憲法改正国民投票において、国民の賛成もしくは反対の選択の意思表示が的確にできるようにするためのものです。同じ緊急事態に係る条項といっても、国会議員の任期延長と内閣の緊急政令制定権等とは、改正目的の次元が異なるもので、区分されて発議・投票が行われなければならないと考えます。
日本の国会にあたるウクライナの最高会議では、ウクライナ国民と国際社会にその活動を連日発信しています。
議会のホームページは日々更新されていますが、これによるとロシアがウクライナを侵略した2022年2月24日から今日に至るまで計912件の法律の制定や改正、また議会決議がなされています。ウクライナの国会は1年以上にわたる戦時下でもその責任と役割を厳然と果たしております。以上、本日の私の意見表明といたします。

玉木雄一郎(国民民主党・無所属クラブ)
国民民主党の玉木雄一郎です。まず緊急事態における議員任期の延長について述べたいと思います。
先週も立憲民主党の篠原委員に対して、任期満了を迎えた前議員に議員並みの特別身分を付与する「特別立法」は可能なのか、ということを伺いました。なぜ私がこのような質問を繰り返してるかと言えば、憲法に書いてある議員任期の延長や、前議員の身分復活延長には、やはり憲法改正が必要であって、立法措置で行う場合は、違憲立法にならざるを得ないと考えるからです。しかし、もし立法や解釈で一時的・臨時的・限定的とされている緊急集会の射程を、伸ばしたり拡大できるのであれば、具体的にどのような立法や解釈で行うのか、その対案をぜひ、立憲民主党の考えを伺いたいからであります。また期間や対象について限定なく緊急集会で対応できると主張する憲法学者などがいらっしゃればぜひ参考人として来ていただきたいと思います。これは森会長にぜひお取り計らいをお願いしたいと思います。その上で、やっぱり立法や解釈では対応が難しいということになれば、中川先生も前回おっしゃったと思いますが、その時は立憲民主党さんにもぜひ憲法改正の議論に入っていただきたい。そうすれば非常に幅広い正案を得ることができると期待いたしております。
加えて申し上げたいのは、議論を拡散することなく、まずは一致点の多い議員任期の延長について、正案を得ることに集中して議論してはどうかということであります。せっかく議員任期の延長については意見がまとまりつつあるのに、まとまる前に次のテーマに行く事は避けるべきではないかと思います。はっきり申し上げて、現実的に憲法改正を実現したいのであれば、まずは議員任期の延長規定に絞って議論を深めるべきだと考えます。この9条改正については、前回の議論を聞いていても、とてもすぐにはまとまりそうにないと感じます。あまり欲張りすぎないほうがいいと思います。特に自民党の9条改憲案では「自衛隊ができる事は変わらない」と主張されています。一方、議員任期の特例延長は、これは憲法改正しないとできないので、必要性の度合いが全く異なると考えています。
また自民党の国防規定・自衛隊明記論は、改憲理由が抽象的でわかりにくい印象を受けます。改めてこの具体的な課題について意見を申したあげたいと思います。
まず最大の問題は、憲法改正して国防規定を設けたとしても、違憲論が解消されないことです。自民党の言う国防規定を設けた場合、自衛隊の組織としての違憲論は解消されても、自衛権の行使という行為についての違憲論は解消されません。前回も申し上げましたが、例えて言えば、お父さんの勤め先についての違憲論は消えても、お父さんが行っていることの違憲論は依然として消えません。行為についての法的安定性が担保されないからです。新藤幹事は前回、「誰がどのように国を守るのか、これが国防規定だ」と述べられましたけれども、自民党案では「誰が」は明確になっても、「どのように」の部分についての違憲論が消えないわけです。その結果、新設される国防規定は違憲論がつきまとう不安定な国防規定にならざるを得ず、命をかけて国を守る自衛隊の皆さんに対して、誠に申し訳ない内容となる可能性があります。これではまさに労多くして益なしの改憲となる可能性があります。
9条改正を検討するのであれば、やはり情緒論ではなく論理的帰着として「戦力不保持」を定めた9条2項を削除するか、あるいは残す場合であっても、少なくとも9条2項の範囲内ではなく、例外として戦力の保持を正面から認める書き方にしないと違憲論は消えません。さらに国防規定が必要というのであれば、自衛隊を戦力として位置づけなくていいのかと、この本質的な議論を避けるべきではないと考えます。なお本日示された新藤幹事の資料で、1番上ですが、「9条の現行解釈を維持すべき」そして「解釈の明文化は不要」という記述は、これは改憲に向けた大きな矛盾を明らかにしていると感じます。つまり「現行の解釈は維持します、そしてその解釈は書かなくて良い」ということであれば、まさにそのままでは良いのではないかということで、まさにこの整理は自衛権の行使に関して言えば、憲法改正を不要だと言っているように見えます。
それと、「法体系の完成」という言い方も気になります。逆に言うと、現行憲法の規定は未完成ということになりますが、先ほどの説明では現行の解釈のもとで整合性の取れた法体系が完成しているからこそ解釈を維持した上で、その解釈の明文化は不要としているのではないでしょうか。未完成と言うなら、組織に対する違憲論のみならず行為に対する違憲論にも終止符を打つ改憲とする必要があるのではないでしょうか。そもそも違憲論の残る国防規定はとても法体系の整備完成とは呼べないと考えます。
最後にチャットGPTについて申し上げます。私は実際、チャットGPTに「憲法9条は改正したほうがいいですか」と聞いてみました。そしたら聞いてください、以下の通りです。
「憲法9条を改正する必要性については意見が分かれています。一方で、国際情勢やテロリストの脅威が増大する中、自国の防衛力を強化する必要性があると主張する人もいます。またこうした立場の人々は、9条を残したままでは自国の防衛ができないとして、改正を求めています。一方で、9条を改正することが平和主義に反するとして、改正に反対する人々がいます。個人的な意見としては、憲法9条は大切な価値観を体現していると思いますが、時代の変化に合わせて議論し、必要に応じて適切な改正が行われることも必要かと思います。ただしその際には、多様な意見が尊重され丁寧な議論が行われることが重要です」との答えが返ってきました。30秒後に返ってきました。正直、バランスが取れていて驚きました。ただ1つ問題だと思ったのは、改憲論者が9条を残したままでは自国の防衛ができないとして改憲を求めているという部分です。
今の議論は、自民党の改憲案は自国防衛の強化を目的としていませんね、つまり国防規定を設ける、解釈はそのまま、書く事は必要ない、という事は、できないことを追加的にできることをする、つまり防衛力を強化することを目的としていないんですが、少なくともチャットGPTさんは、この自民党の改憲案の本質を理解してない。何が言いたいかと言うと、尤もらしい答えが返ってくるんですが、このチャットGPTを含むこの生成AIの答えの正確性・公平性・中立性をどう担保していくかという事は、極めて重要だと思います。前回、これ階先生にも申し上げましたが、階先生が提起された情報環境権、これは大事だと思うんですが、人間のみならずAI自身がどれだけバランスのとれた情報を食べることができるか、入手することができるか、という環境整備をどのような規制のもとで実現していくかという事は非常に重要だというふうに思います。
その意味で、私たちが適切に思想良心の自由を形成できるよう、チャットGPTと憲法19条との関係についても当審査会で幅広く議論していきたいと思います。以上です。

赤嶺政賢(日本共産党)
日本共産党の赤嶺政賢です。今日は、沖縄と憲法について意見を述べたいと思います。71年前の1952年4月28日サンフランシスコ講話条約が発行しました。このサ条約の第3条によって、沖縄県は日本から切り離されました。
沖縄は米軍の施政権下に置かれ、県民は耐え難い苦しみを押し付けられました。私たちはこの日を怒りを込めて「屈辱の日」と呼んでいます。米軍は銃拳とブルトーザーによって住民の土地を暴力的に奪い取り、基地を拡大しました。県民の人権は全く無視されました。私が小学校に入学した年に、6歳の少女、長山由美子ちゃんが、米兵に拉致され強姦された挙句、惨殺され、米軍のゴミ捨て場に捨てられました。そして私が小学校6年生の時に、当時の石川市の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落をしました。パイロットは脱出しましたが、児童11名を含む18人が一瞬のうちに命を奪われました。高校1年生の時、那覇市で米軍トラックが信号を無視して、集団下校中の中学生の中に突っ込み、少年をはねて即死させました。国場くん事件と言われています。ところが犯人の米兵は軍法会議で無罪になり、何の咎めも受けませんでした。高校の3年生のときには、読谷村で米軍ヘリがトレーラーを民家に落下させ、小学校6年生だった棚原隆子ちゃんが下敷きとなりました。大学生の時にも、糸満市で米兵が飲酒運転で金城トヨさんという女性をひき殺しましたが無罪放免となりました。あまりにも屈辱的でありました。アメリカの軍政下で、沖縄県民の命は虫ケラ同然に扱われたのです。沖縄県民の粘り強い運動により、1972年に沖縄は本土に復帰しました。その時、県民が願ったのは何であったか。当時の琉球政府の屋良朝苗出席が策定した「復帰特別措置に関する建議書」は次のように述べています。県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を要望したからに他なりません。基地あるがゆえに起こる様々な被害・公害や取り返しのつかない多くの悲劇を経験している県民は、復帰にあたっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります。県民が求めたのは、平和憲法の下に復帰することであり、基地のない平和の島として復帰することでした。
ところが、日米両政府が締結した返還協定の中身は、日米安保条約に基づき、アメリカの沖縄で軍事基地を保持し、占領下で構築した基地をほとんどそのまま存続させるものでした。この返還協定は沖縄県選出の瀬長亀次郎議員、安里積千代議員、この2人の質問が予定されていた前日の特別委員会で、強行採決されました。
屋良主席が建議書を政府に提出するため、東京におり立とうとする直前の事でした。屋良主席は、その時の思いを、「沖縄県民の気持ちというのは全く弊履のように踏みにじられた」と日記で述べています。
復帰後も米軍が優先され、県民の命は脅かされ続けております。1995年には小学校の女の子が3人の米軍に拉致されレイプされました。2016年にも、米軍族が女性を暴行し殺害しました。2004年には沖縄国際大学に米軍ヘリが、2016年にはオスプレイが名護市の海岸に墜落しました。2017年にも米軍ヘリが高江の民有地に墜落し、その同じ年、保育園や小学校に部品を落下させました。米軍には航空法が適用されず、無法な低空飛行を繰り返しています。コロナ禍の下でも、米軍基地に直接入ってくる米軍関係者を日本側は検疫することができず、沖縄でのパンデミックを引き起こしました。今、有機フッ素化合物PFASが、県内各地から高濃度で検出され問題となっていますが、日本側は汚染源である米軍基地の立ち入りを調査することができません。さらに日米両政府は、強権的に辺野古の新基地建設を推し進めております。県民は県知事選挙や国政選挙、県民投票によって反対の意思を示し続けておりますが、政府は全く省みていません。これが民主主義国家と言えるでしょうか。法の憲法の上に日米安保があり国会の上に日米地位協定があるもとで、県民の人権は今も蹂躙され続けております。ここに憲法と現実の深刻な乖離があります。
この沖縄の実態を放置したまま、憲法改憲議論を進めるなど許されるはずがありません。私たちは、政治家がやるべきは、憲法を変えることではなく、憲法の原則とかけ離れた沖縄の現実、すなわち地位協定等を変えることを強く申し上げておきたいと思います。


北神圭朗(有志の会)
有志の会の北神圭朗です。先週、自衛隊の権限の制約のあり方についてお話ししました。警察法的なポジティブリストとなっていて、とりわけ憲法解釈等、法律によって、この自衛権を制約していることが特色だということを申し上げました。先ほど三木委員から、憲法解釈をそのまま9条に明文化すると、ポジティブリスト化するとおっしゃいましたけども、そもそもわが国はポジティブリスト的になっているということを前回申し上げました。
これは通常の定義と異なりますけれど、わが国の文民統制の範囲が憲法解釈と法律による規制をも含めていると、表現することもできるというふうに思います。そこで今回は文民統制すなわち政府と軍、政軍関係について考えてみたいと思います。
サミュエル・ハンティントンという方がいます。これは『文明の衝突』で有名な政治学者であります。
その著書で、『軍人と国家』という古典的著作がございます。その中でハンチントン氏は、いかなる国の軍事制度も2つの要因によって形成されると分析しています。1つは、その国に対する軍事的脅威を防ぐために、必要な機能的要因、どうやって国を守っていくのか、効果的に守っていくのかという要因。2つ目の要因は、国内の支配的な社会的勢力とかイデオロギーとか諸制度から生まれる社会的価値観であります。言い換えれば一国の文民統制のあり方は、その国を取り巻く地政学的環境と同時に、国民の支配的な価値観によって形成されるということだと思います。
これ自体そんなに珍しいことを言ってるとは思いませんが、問題は社会的価値観を満足させる文民統制のあり方が、必ずしも機能面で効率的・効果的であるとは限らないと、他方で、機能にのみ特化した軍隊では、国民から受け入れられないと言うことです。したがって文民統制を考える上で、この2つの要求をいかに満たしていくか、ということを検討することが重要だと思います。ハンチントンの考えをわが国に当てはめると、自衛隊の機能をかなり制限しつつ日本独自の、先程新藤委員がおっしゃったように、日本独自の平和主義の価値観を満足させてきたといえます。
しかし逆に言えば、自衛隊の機能・権限を抑えることができたのは、1つには冷戦の主戦場と言うものが欧州などにあり、ソ連からの直接の侵略の可能性は低かったこと。2つ目には、日米安保条約により米国の圧倒的な軍事力の庇護の下に入っていたことが大きいのではないかと思います。こうした条件のもとで、当初は自衛権すら否定していた憲法解釈は、冷戦を背景に必要最小限度という解釈に変更され、自衛隊が創設されました。米国の強力な抑止力がある中で、専守防衛で事なきを得たというふうに思います。そして冷戦崩壊直後には、いわゆる「平和の配当の時代」というものが謳われて、これは覚えてらっしゃる方は少ないと思いますが、冷戦が崩壊して戦争がない時代に入ったと、みんな国境越えて、人種を超えてみんなで手をつないで、裸でアコギをかき鳴らしながら歌を歌って、そういう牧歌的な甘美な夢が、ほんの一瞬見ることができましたが、これも9.11を起因に、テロに対する戦いによって無惨にもこの夢は破られた訳でございます。
といっても、わが国に対する本格的な脅威は、その時点ではまだ存在しなかったので、中東等への海外派遣のほうに、みんなは目を向けていたわけであります。そして米国に過度に頼らないような、自主防衛の努力をサボってきたということです。しかし15年前位から、中国の軍事力・経済力がめざましく成長するとともに、彼らの戦略的思惑が必ずしも友好的ではないということが判明してきました。尖閣諸島、東シナ海、南太平洋の海と空に向けて、彼らのお家芸でもある忍び足侵略主義が着々と進められてきました。つまりハンチントンの言う地政学的環境というものが大きく変わってきているのです。テロとの戦いの時代、平和の配当の時代、いや、冷戦の時代にも増して我が国が直接脅威に晒されています。また、頼みの綱にしてきた米国も、その国力が相対的に低下し、国論も二分化しています。こうした中で自衛隊の権限・機能が、これまで通りでいいのか、少なくとも議論はしましょうというのが、そんなに非常識なことではないかと思います。常識的かどうかというのは、ハンチントンの言う社会的価値観が、今どう変化しているのかということによるのでしょうが、それを明らかにすることこそが、憲法改正の国民投票の役割の1つではないでしょうか。一部で中国問題は米中対立という文脈で語られます。日本が別に脅かされているわけではない、米中の対立に巻き込まれるべきではない、と。しかし歴史的に見ますと、オバマ政権とトランプ政権の初期の頃までは、事情は逆でした。米国の建国精神である孤立主義、そしてそのグロテスクな表れである米国第一主義は、中国脅威論に対してほとんど関心を示していませんでした。むしろ日本の安倍政権が一生懸命QUADを創設したり、集団的自衛権を一部認めたりして、米国に何とかこっちの方を見てくれと、中国が怖いということを訴えることで、必死でありました。しかしこれも2020年7月に、中国が香港を弾圧した際、やっと米国や英国などが対中非難をし始めたら、わが国は急に一歩引き下がって、歩調を一にしませんでした。当時のフィナンシャル・タイムズでは、日本は20年かけて中国にもっと厳しく対応すべきだと世界に訴えてきたと、しかし香港に国家安全安定法が制定されたことに対し、米国やその同盟国がより中国に対して敵対的な反応を示すようになり、日本の訴えが通じたと思った途端、日本は後部座席に座ってしまったというふうに報道しています。つまり、もともと中国抑止論を唱えていたのは日本です。物理的にも中国の拡張主義を恐れなければいけないのは、米国よりもわが国だと思います。
こうした中で自衛隊の権限が今まで通りでいいのかということを再検討する事は、極めて自然なことだと私は思います。もう1人台詞は終わりますけれども、私の孤立した議論よりも、もっと共通の理解がある議員任期の延長とか、こういった具体案がございます。特に、参議院の緊急集会については、まだ私はそう思いませんけども、まだ詰めるべき論点があるそうなので、ぜひそういったところに審議を絞ることを求めて私のご意見と致します。ありがとうございました。

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