虹でうまれたひな鳥は夢に向かって羽ばたき伝播する
前回、でんぱ組.incとの出会いから人生初の推しができた瞬間のことを長々と綴った。そしてそのでんぱ組がエンディングをむかえるという事で別途書き記したい事がある。
約10年振りに心から応援したいと思った存在、高咲陽菜ちゃんについてである。
ひなちゃんとの出会いは新メンバー加入の時だった。でんぱ組以外のアイドルは詳しくなく、恥ずかしながら勉強不足だった為ひなちゃんのことは知らなかった。
新メンバー加入時色々な意見が見られたが、私はひなちゃんを含め新メンバーが加入することには前向きだった。
それは一度メンバー加入の時を経験していたというのもあるかもしれない。だが一番は「でんぱ組が新メンバーを加入する」というのは転機だと知っていたというのもある。
実際、正直言うとねもぺろ加入の城ホライブを見に行った時複雑な気持ちになった。好きだったものの形が変わるというのは負の感情を抱くことがある。しかし後のインタビューでこの時解散するかもしれなかった事をしった。言い訳するとまだ高校生だったので視野が狭かった。目の前の事しか見れていない自分の幼さと愚かさを祟った。
つまり今回もきっとそういった事なのだろう。しかも一気に5人だ。もふくちゃんもこれが最後と思っての事だろうと勝手に解釈していた。実際、後のインタビューでもふくちゃんが遠からず近からずのことを言っていたのでヲタク特有の深読みも侮れないものである。
次にひなちゃんを意識したのは加入2ヶ月後のでんぱchである。
この時はまだでんぱchは未鈴ちゃんとピンちゃんの2人だが、後に産休に入る未鈴ちゃんと入れ替わる形でこずえちゃんとピンチヒッターとして出演。産休後も2人とも続投となり正式にパーソナリティに就任する。
加入後まだ日が浅いということもありSNSでしかひなちゃんを知ることが出来ず、あのいたいけな少女がクソガキだということに驚いた。
そして数ヶ月後、前述した通りでんぱchに出演する。
初出演ながら要所要所に今でも見られる悪ノリや先輩に踏み込む片鱗が見られてとても良い。そして当時聴いていてもおもしろい子だなと思っていた。
そしてそこから3回目のひなちゃんの週の配信でより興味を持つことになる。
最初から最後までずっとうっすら先輩を舐めているひなちゃん。2人のやり取りがトムとジェリーのようだというお便りに対してどちらがトムかと言い合いになり、トムとトムでオチをつけたのは秀逸であった。
そしてこの辺りから明るく元気でおもしろい子という印象に加えてもっとひなちゃんのことを知りたいと思っていた。そんな矢先、ピンちゃんの口笛をきいてやかんと例えた回があった。
これで完全に心を捕まれた。その後の発展も踏まえて天才だと思った。元々人の話を聴くのが好きなのでラジオが好きだった。色んなラジオや雑談をきいていても、ひなちゃんの例えとボケツッコミの反射速度、話の展開やテンポ感、空気づくりは随一である。
そしてDEMPARKツアーだ。その小さな身体にどれほど大きな決意と期待を抱えていたのだろう。でんぱ組のことを知っている、そのでんぱ組に入れてラッキー。そんな軽い決意ではなかったはずだ。家族ぐるみで好きなでんぱ組を自分が変えてしまうかもしれない。その他にも色んな不安を抱えてでんぱ組への加入を決断しただろう。そんなひなちゃんの、抱いた大きな不安と心境の中でんぱ組に加入すると選んだことに敬意を払いたい。でんぱ組に入ってくれて本当にありがとう。
ひなちゃんたちが入ってくれたから大好きなでんぱ組が今の今まで続いているし、でんぱ組に入ってくれたからひなちゃんに出会うことが出来た。
自分はこのツアーの大阪公演を見に行っていたので、ひなちゃんの「夢」を実際にその場で聴くことが出来た。その後歌唱されたドキ+ワク=パレードで心が引き締まるような感覚になった。心が揺さぶられるとはこういうことを言うのだろう。
その後Twitterのタイムラインで自身の生誕祭の映像を編集してあげていたのが流れてきた。
その前から彼女の編集力は天才的であった。思わず見入ってしまうテンポ感は彼女の才能だし武器であろう。しかし現在YouTubeチャンネルを所持していないなど、この才能が発揮される場が少ないのが誠に悔やまれる。
すっかり彼女の動画のファンになっていた私は例外なくその生誕の映像を最後まで見ていた。見終わった感想は「この場にいたい」だった。彼女は編集力だけではなく、企画構成力もあったのだ。裏も表も高水準で出来るというのはかなり珍しい。
そして少し時系列が前後するが、生誕映像を診る前に何の気なしにひなちゃんのyell liveを覗いたことがあった。普段あまり見に行くことのなかったyell liveだったが、たまたまTwitterで告知をしていたのが目に止まったのだ。
その時の配信の内容は確かでんぱ組加入までの経緯についてだったのだが、内容もさることながら一人喋りがとても上手だということに気づいた。ラジオでは他のパーソナリティの話に合わせて合いの手やツッコミやボケ、話題の転換などが上手だと思っていたが、1人になるとそもそも他人にモノを伝えるということの上手さが際立っていた。
身近な例えでその時の感情の臨場感を出したり、コメントを受けて相手の興味に合わせて適度に深掘りをして話をまとめていた。もしかすると前述した企画構成力が話の組み立てにも関係しているのかもしれない。
そしてその配信で言っていたことで印象に残っているのは「私なんかは絶対言わない」「ごめんなさいよりありがとう」である。自分がひなちゃんくらいの歳の頃に同じことは言えなかっただろう。何の気なしに見ていたはずなのに完全に喰らってしまった。抱いた感情に名前をつけるなら尊敬である。そこから私は全く見てこなかったyell liveを再びみるきっかけとなった。片時も目が離せなくなった。
そして翌年、私は生誕祭に実際に足を運ぶこととなる。1年経ってもあの頃の気持ちを失うことがなかったからだ。
実際に生誕祭に参戦して本当に楽しかったし、もっとひなちゃんのことが好きになれた。準備期間の案出しから景品の制作まで一緒に作り上げていく様子は他にない一体感もあり彼女ならではだと感じることもあった。
これまで行った生誕祭は主催者の方の積み上げてきたものを体感するお披露目の場である印象だった。それが悪いとは思わないが、彼女はそこに+αでレクリエーションを盛り込み彼女にしか出来ないみんなが楽しめる場を作り上げた。これは誰もが出来ることではない。
そして2023年11月末、でんぱ組が新アーティスト写真を公開する。愛☆まどんなさんが描いたメンバーの似顔絵の紺セーラーだった。これを見た時とても嬉しかった。ひなちゃんがでんぱ組になった気がした。いや、加入してから今の今まででんぱ組じゃないと思ったことはないのだが。いわゆるキラチュンセーラーの形のセーラーに袖を通す姿が正当進化のような、「でんぱ組といえば」をやって誰も違和感を感じていないという状況に感動した。うまく言語化できないがマイナスな意味合いは微塵もないことだけ言っておく。
また、アイドルとしても彼女の声質は類稀なるものがある。ラジオなど声だけに集中できるコンテンツだとより顕著にわかるが、低すぎず高すぎないすこしまろやかな声質は聴き馴染みがよくずっと聴いていても疲れない。そしてその声質からの歌声もひなちゃんが歌っているところがすぐにわかるほど独立している。誰が歌っているかわかる歌声というのは、簡単に変えること出来ないアイドルや表現者として最大の武器であり才能である。
それと彼女は「もって」いる。ちょっぴり不憫になるところもエピソードトークなどを披露する場にある表にたつ者として、手札の多さは大切だ。
クッキーを5時間やいて失敗したり、お風呂で物を食べるのにハマリ、カップラーメンを持ち込んだら途中まで食べてそのまま忘れてしまいデロンデロンに伸びたカップラーメンがお風呂場で出来上がってしまっていたり、お弁当を作る企画でめちゃくちゃ美味しそうに出来たのに味付けが薄くて素材の味と言われたり、笑ってネタにできる度合いの不憫さは愛しくかわいくおもってしまう。
ただ失敗ばかりではなく、成功した時の彼女の器用さが光る場面は幾つもある。デコシューズの配置場所やアドリブなど美的センスを感じざるをえない。
ファンとの距離感やラインなどをおそらく自分なりにかなり意識しているのだろうと感じる。先輩が踏み込んだアクションをして、周りもそれに乗っかる形になっても自分のラインに越えていると乗っからずにその流れの妨げにならないところにいる気がしている。そういった自分の哲学をもっているのは彼女がしっかりと一本の信念を持ってアイドルをやっているからだろう。これは自分の価値をいたずらに下げない為にも必要なことだと思う。
最後に、彼女達が加入して初めてのシングル「プリンセスでんぱパワー!シャインオン!」の歌詞に
夢の先には何があるの
夢の先には夢しかないの
という箇所がある。この曲を作詞作曲をしたヒャダインさんの曲に23時40分という曲がある。この曲は夢について歌った曲で、23時40分という時間の意味は初めてニコニコ動画に動画を投稿した時間、つまりこの世界に「ヒャダイン」が生まれた時間である。
当時長年の夢を叶えたものの、何がやりたかったのかわからなく燃え尽き症候群になっており、なんの気力も湧かなかったという。そんな葛藤のなか見つけた結論、サビの最後の箇所にある「夢の先には夢しかない」に繋がる。
両方に共通する歌詞として夢の先には夢しかないという部分がある。
これはヒャダインさんからの自身の経験を踏まえてメンバーに向けての夢を叶えて燃え尽き症候群にならないようにという親心であり、そんな事している暇なんてないぞというメッセージだと受け取った。
そんな23時40分をわたしなりに解釈すると、
【燃え尽きている暇なんかない。何も決断も挑戦もせずに「ただ生きているだけ」の現状維持に何も意味なんてない。
迷って後ろを見て立ち止まるくらいならば前に向かって歩きだした方がいい。
「まだ伝えたいことがある」それが無くならない限りやり残していることだらけだ】
夢を叶えても、目標をやり遂げても、追いかけるものがなくなっても「まだ伝えたいことがある」のならば表現を続けるべきだ。
ただ、次の1歩を踏み出すためには休息も必要である。人間ずっと走り続けることは不可能だ。そして後悔しない選択をするのも大切だが、自分がした選択を後悔しないように全うするのも大切だと思う。
同じくヒャダインさんが制作した曲ちゅるりちゅるりらの歌詞で
ほむらはいつか消える
消えるために赤く燃え盛る
限られた時間で何を遺せるだろう
という歌詞がある。形あるものはいつか壊れる。それは運命である。どうせ「いつか無くなるから」「いつか死ぬから」だからてきとうに生きるのではなく、「無くなったあと」「死んだあと」に遺されたものに何を遺せるか、思い出してもらった時に悲しい想い出ではなく楽しかった想い出をおもいだしてほしい。
ひなちゃんは現在、ほぼ毎日配信や自撮りや近況の報告をしてくれている。
でんぱ組がエンディングをむかえる前に我々に「なにか」を残そうとしてくれているのだ。私はそれに全力で答えたい。
自分は古の価値観がアップデートできていないやっかいなヲタクなので、魂を込めて応援するというニュアンスの含む「推し」がヲタク文化が根付くにつれて「すき」と同じように使われるように変化した「推し」という言葉に少々抵抗があり気軽に使えずにいた。おそらく自分自身、心から好きな人や作品を表面しか知らない人が「推し」という言葉をつかって語ったり的外れな批判をしていたら良い顔はしないと思うので、そういった「居るかもしれないイマジナリーな存在」に勝手に配慮した結果だと思う。
しかし、改めて何千字書いてるんだよという文量をひとりの人間について書けるのは「推し」だからと言ってもいいのではないかと思う。いいよね。いい、ですか…?
だが、親鳥はひなちゃんや他の親鳥さんに認められてなれるような空気感を勝手に感じているのでそこまでは調子にならないでおこうと思う。そしてこれからもひなちゃんに余すことなく感謝と好きを伝えたい。
当たり前が当たり前ではなくなる前に。