祭りが消えた町
コロナ禍での約2年半。
日光の門前町がペッそりとしてしまった。
観光で訪れる人の姿が減ったのもあるが、季節ごとの祭がなくなったことも大きいと思う。
日光門前町では、「祭(いのり)のまち」というテーマのもとに(整備事業を含む)まちづくりを進めている。
年間通して、祭が多い。
社寺のもの、町衆が関わるもの、町内の小さな祭禮など大小をカレンダーにしてみると、門前の小さな範囲で、ほぼ毎月どこかで祭をやっていることになる。
それが、コロナ禍でどうなったか。
祭禮だけを残し、神輿や家体(※1)の渡御や巡行が無くなった。
季節の節目、行事が無くなるという心情・情緒的な部分ももちろんある。
しかし、祭は小さな地域の経済を回す。
季節ごとに、例えその一時でも活発化させる。
※1:やたい:日光門前では(主に)このような表記をする。
例えば、4月に行われる弥生祭では、頭役と呼ばれる祭りの執行役の会議や、囃子の練習などの準備期間を含めて、「酒」が付き物だ。
本番ももちろん。
厳しい冬を乗り越えた門前の春と、山の神々への感謝を捧げるのには、酒は付き物だろう。
皆、朝からほぼ酔っている。(いや、関係者全員ではない)
この期間、栃木県内の他の市町村の総量以上に日光が酒を消費しているかもしれない。
確証はないが、そんな気がする。
これは、酒の一例にすぎないが、コロナ禍でこういう機会が無くなると、町並みをパッと見渡しただけでは目に見えないようなところが痛む。
災害や流行病を乗り越える、(あるいは戦禍も)とは、こういうことなのか、と薄ぼんやり考えている。
ますます地域の中での小さな経済循環が乱れ壊れてしまいそうでならない。
そして、それぞれの祭りも少し変わるかもしれない。
こんな事態に、できることをするしかない、という真理はあるのだが。
春はまだか。
NPO法人日光門前まちづくりnote部 | 岡井 健(世話人)