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地震・津波の史料を読む〜02関東大震災の災害範囲図
昨日のポストに関連して、手持ちの史料を。
関東大震災の被災範囲を示した地図。
翌月の頭に発行されたもののようだ。
おそらく、既存の地図に「大震災區域」として、被災範囲を入れた急拵えのものだろう。
タイトルが付いてないのがそう思える理由の一つだ。
しかし、あくまでも推測である。
江戸城(宮城)から東側の所謂下町で被害が広がったことが見てとれる。
上野・本郷のあたりは、地形も作用してか、くい止まっている印象。
本所・深川は一面赤くなっている。
悲劇として語り継がれている本所の「被服工廠跡」も、大きく記載されている。
圧死よりも火災による焼死の割合が圧倒的だったという。
昼時だったことが火災を広げた。
だが、前のポストでも書いた通り、江戸から明治に移り変わり、井戸を廃して水道にしていき、それらが消火に十分機能しなかったこともその要因とされている。
新しいインフラ。普段の利便性と共に、災害時のそれらの効用もイメージされるべきエピソードだと思う。
そんな事を考え、約100年前の焦土を思い浮かべながら地図を眺めた。