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手-te-

寒くなってきた。
朝晩の寝起きの際や外に出た時に感じることが多いわけだが、
ほぼ毎日のようにカフェの厨房にいると、洗い物の際の水の冷たさでもそれをつぶさに感じる。

今から20数年前。
現在、日光の門前(東町地区)で進む街路整備の大プロジェクトのための検討会議が進められていた。
行政が事務局になって、当該地区の住民が召集された。「ワーキンググループ」と呼ばれたものだ。
これに、私の母もメンバーとして参加していた。
私は大学生〜就職したての時分。母から色々と進捗状況などの情報は得ていたけれど、私自身が本格的にこのプロジェクトに関わることになるのはそれよりも7〜8年後のことになる。

そのワーキンググループに参加していた母が「印象的だった」と度々話すうちの一つに「手」の話がある。
ワーキンググループの会議に集まってくる住民は、地元の商店主や関係者。
会議は主に平日の夜に行われるわけだが、そこに集まってくる人の「手」が時に(特に冬場に)赤ばんでいたというのだ。
大豆や小豆を煮る作業からか、野菜や魚を捌いていたのか、荷捌きをしていたからなのか、わからない。
わからないが、なんとなく想像はできる。

職業は違えど、同じエリアに住む縁。
「自分のまち」のために、仕事後あるいは仕事の合間の時間を捻出して、みんな集まってくる。
見方によってはそれも自治活動の一つ、と片づけられてしまいそうだけど、この話から私はそれ以上のものを感じたのだった。

日本の市民活動と呼ばれるものは成熟し、NPOという仕組みと制度も熟してきた。
今では、「まちづくり会社」のような形は当たり前になり、マネジメントの視点で組織運営していくことも当たり前のようになってきている。
そういう意味で「まちづくり」というものは総じて熟しつつあるのだろうが、基本には「思い」がある。
熱意が根底になければ、持続はできない。マネジメントや手法以前の問題だろう。
そういうシンプルで月並みな“解”に至るのだ。

私は所謂“ボランタリー精神”の信奉者ではない。
今はどちらかというと、手法やマネジメントがフィーチャーされがちだし、その重要性が多く説かれる。そうだろう。そこだろう。
しかし、「モチベーションとその持続」は、それと同じかそれ以上には尊いことなのだ。本当に。

会合に集まる人の“赤ばんだ手”の話を度々思い出し、そのたびに「思い」や「熱」について自問自答すると共に、あたりを見回してみる。
そして、時には、手伝い役で関わったまちのことなども思い出してみる。

多くの心ある人にとっての「初心」に含まれるものなのかもしれない。

この初心、何度も思い出し、今後も大切にしていきたいと思う。

行楽シーズン“たけなわ”な今日この頃。
もう、冬の気配もする。

NPO法人日光門前まちづくりnote部 | 岡井 健(世話人)

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