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「ヤケクソくじ」の文章はなぜイライラするのか

 笑えないなと思って。
 世間では、DHCの会長の「差別」が問題になっている。「ヤケクソくじについて」という題で公表された文章の後半で、「コリアン系の日本人」を揶揄したことを受けてだろう。
 間違いなく問題だと思う。もうね、本当ひどい。日頃思ってんのが、明るみに出ちゃったんだろうなって思う。猛省してほしい。

 ――でも、この文章が笑えないのはそこだけじゃない。正直に言えば、全体的にやばい。
 なにがやばいって、一言で言えば傲慢な印象がすごくするところ。なんかめっちゃ偉そうだなあ、みたいな。自社の宣伝で、こんなことある? って感じ。

 で、何で笑えないかって、結構身近にこういう傲慢な文章を書く人ってよく見かけるんだよね。多分私もそう書いてしまうことがあると思う。
 人間には――少なくとも私には――傲慢な部分が必ずある。他人よりも幸福になりたいとか、偉いことをしたときに、どうだ褒めろ! とか。
 他人を下げて、自分を上げることを平気でできちゃうとか。――そういう側面が少なからずあると思う。じゃなきゃ、競争原理なんて成り立たないよね。

 自分もこういう文章を書いちゃうかもしれないなって点で笑えない。他人ごとではない。
 だから、今回はこの文章を反面教師にして、なにがやばいのかをもっと具体的に分析したいと思う。添削は傲慢だからやらない。見るだけ、見て気を付けたい。

 結構しょっぱなからヤバい。

 浅薄な学識をもって「ヤケクソとはいかにも汚らわしい」と短絡的に思う人は多いようです。やけくそは「焼け糞」ではなく「自棄くそ」であり、「下手くそ」というように自暴自棄を強めて言うと「やけくそ」になるのです。(「ヤケクソくじについて」)

 引用元が画像なんで、手打ちで入力したんだけれど、打ってみるとマジでやばさが分かる(笑)

 まず「浅薄な知識」と言う言葉がでてきます。まあいいでしょう。
「「ヤケクソとはいかにも汚らわしい」と短絡的に思う人は多いようです。」これもまだ大丈夫かな。
 若干偉そうですが、確かに「ヤケクソ」を「汚らわしい」と断定してしまうのは「短絡的」な考えだと言えます。

 ここで会長の「浅薄」ではない知識が挿入されます。「やけくそは「焼け糞」ではなく「自棄くそ」であ」るそうですね。

 なるほど! これは勉強になった。――んなわけあるか(笑)

「ヤケ」と言う言葉から「焼けている」を連想する人は少ないんじゃないかなあ。「もうヤケだ!」って言えば、自暴自棄になることで間違いないですよね。
 まあでもこれもまだ我慢できます。「焼ける」ことだと思っていた人は、調べてみましょう。でも――じゃあ「くそ」って何? 「糞」じゃない「くそ」っていったい何なんだ?(笑)

 一応、会長の「浅薄」でない答えが用意されています。

「下手くそ」というように自暴自棄を強めて言うと「やけくそ」になるのです。

 ――?
 どういうことだろう……。
「くそ」が何かを強める言葉なのか……? 確かに「あいつ強いな」っていうより、「あいつクソ強いな」って言った方が強調されるけれど……。

 でもだからと言って、「くそ」が「糞」ではない理由にはならないんじゃないか。
「下手くそ」を「下手糞」と理解したって別に大丈夫そうだし、同じ理由で「自棄糞」も大丈夫そうだ。
 何が言いたいって、説明になってないんだよね。この際「くそ」はなんだっていい。「糞」じゃない「くそ」があっても別にいいんだけれど、でも、それをもっときちんと教えてほしいってことなんだよね。

 だからこの文章は、全然論理的じゃない。つまり、論理に穴がある。
 これで説明した気になっているんだとしたら、相当浅薄だと思う。それこそ「浅薄な学識」しか持ってないと言われても仕方ないんじゃないか。

 なんでこの説明にここまでこだわるかって、「ヤケクソくじの由来」という題名がこの文章にくっついているからだ。
 由来を聞こうと思って、こっちはページを覗きに来たのに、「くそは下手くそのくそと同じで、強調の意味しかありません!」と言われたのでは全く納得できないよね。

 しかも「浅薄な」とか「短絡的」とかって悪口を言われるんでしょ? 短絡的なのはどっちだ。「下手くそ」という語の成り立ちも調べないで勝手に結びつけて――そっちの方がよっぽど短絡的でしょ!

 こういう点が傲慢と言うか、文章の中身の質と態度がちぐはぐだからすごく偉そうに見える。
 会話をちゃんとしたことがないんだろうなあって訝しむレベル。間違ったことを言っても、誰にも指摘させなかったんだろうなあ、とか。これじゃあ、部下がかわいそうだ。

 と、開始三行でここまで悪口が書けてしまう……。
 口は災いの門というけれどまさに――。

 せっかくなんでもう一つ段落を引用してみましょう。

 DHCのサプリは国産の原料を使用し、どこよりも配合量が多く、どこよりも廉価であることから日本で最も愛用されている実質NO.1のサプリです。サプリの売上動向を専門に調査する矢野経済研究所では、その商品が何人の人に買われているかの調査は一切行わず、売上金額の多寡でのみ優劣を決めているため、売上金額ではDHCはサントリーに負けていることになっています。しかし、どれだけ消費者に愛用されているかの調査ではDHCはダントツNO.1の結果を残しています。

 読んでて、本当傲慢さが透けて見えますね……なんだこれは……(絶句)

 DHCのサプリは国産の原料を使用し、どこよりも配合量が多く、どこよりも廉価であることから日本で最も愛用されている実質NO.1のサプリです。

 まず気になる点は、「どこよりも」の繰り返しでしょうか。
 まあでも、これは自社PRのための文章なので、ほかの会社との区別を図るためには必要なことかもしれません(私は嫌いですが)。

 でも、だったら「実質」はいらないんじゃないかと思う。この「実質」って言葉を不思議に思った方は少なくないんじゃないかと思います。
 なんでそのままNO.1と書かないんだろう――という。実際は、恐らくNO.1じゃないからだと思いますが。次に書いてありますね。

サプリの売上動向を専門に調査する矢野経済研究所では、その商品が何人の人に買われているかの調査は一切行わず、売上金額の多寡でのみ優劣を決めているため、売上金額ではDHCはサントリーに負けていることになっています。

 実際は「売上金額ではDHCはサントリーに負けている」ようです(笑)

 名指しなのもすごいですけれどね……最後まで読むとわかるように、この人は「サントリー」を目の敵にしているようです。普段からずっと「敵」と認識しているのでしょう。サントリーに対する揶揄があまりにひどいんですよね。

 名指しされている会社はサントリーだけのようです。こうなってくると、先ほどの「どこよりも」の「どこ」は、もしかしたらサントリーのことかもしれませんね。
 それが分かると、一気に「どこよりも」という言葉がいやらしく見えてくる。「俺はサントリーと違うんだぞ」ということを必死に主張するような感じ。「日本で最も愛されている実質NO.1」とは、「サントリーよりも私の方が愛されてる!!」って言いたいだけだったんじゃないか。

 その証拠に、この段落は次の言葉で締めくくられます。

しかし、どれだけ消費者に愛用されているかの調査ではDHCはダントツNO.1の結果を残しています。

 その「しかし」ってなんだよ。
「サントリーは最も売り上げている。しかし、私たちDHCは最も愛されている!」
「愛」っていう耳障りのいい言葉でごまかすのも、パワハラ上司の常套句ですよね。もちろん「売れている=愛されている」とは限りませんから、DHCがサントリーより「愛されている」可能性もあるでしょう。

 でもその根拠が、次の段落に乗っているグラフとはね……「現在利用している(利用したい)機能性食品メーカー名」のアンケートでサントリーの三倍の支持率を持っているようですが、それだけで「愛されている」と判断するんじゃ論理の飛躍ってものでしょう。
 グラフの妥当性は、この記事では文章にのみ焦点を当てているので確認しませんが、「矢野経済研究所」は、この会長の主張を「聞き入れて」いないようですね。
 この研究所も目の敵にされているわけですが(笑)

サプリの売上動向を専門に調査する矢野経済研究所では、その商品が何人の人に買われているかの調査は一切行わず、売上金額の多寡でのみ優劣を決めているため、

 この記述も大概怪しいですよね。
「売上金額の多寡でのみ優劣を決めているため」と書いていますが、グラフを取るときに余計な要素を取り除いて集計するのは当たり前なのでは。

 仮に、この研究所が「グラフはこう出ている。だから、サントリーの勝ち!」と主張しているのならまずいですがね。でも、基本的にグラフと言うのは、特定の条件で特定の結果を出す――という一連の作業を可視化するためだけに出されるものです。
 だから「どっちが勝ちか」は二の次。それこそ、そのデータをどう使うかは企業が専門のはずです。それを――「集計の仕方を変えろ!」というのはお門違いも甚だしい。
 いいじゃん、さっきのアンケートでサントリーにトリプルスコアをつけてんなら。それで大人しくしなよ――

 やばいですね、たった九行の文章で3000字を超えてしまいました。
 後半部分はもっとやばい――ああ、引用するだけでやばさが伝わるから、ちょっと書いておこうかな。

 すべての面でこれほど良心的に誠意をもって長年取り組んできたサプリ製造販売会社はDHC以外どこにも見当たりません。なぜ消費者はわかってくれないのかと言うのが私たちの切なる思いなのです。

 売れないユーチューバーみたいだ……(ブーメラン)

 今、雨後の筍のように出てきた幾多数多の同業者とも一線を画しています。まだまだ残っているはずの懸命な消費者に一縷の望みを託しているのです。

 同業者と消費者をダブルでバカにするというトリッキーな文章。

 いいけど、「雨後の筍」をここまで誤用する人も初めて見たわ。あ、いや誤用ではないか。この人の傲慢な態度なら、正しい使い方だ。
「まだまだ残っているはず」って人を一体何だと思っているんだ。金づるか? それこそ「クソ」だね。

 創業以来ずっと消費者の動向を見続けてきた私のやけくそな気持ちをわかっていただけたと思います。

 正直最後はまあ、ね。自白しているといいますか――(笑)
「やけくそ」じゃなきゃこんな文章書けないし、だれもGOサイン出さないわ。

 いやあ、ひどかった。
 こういうひどい態度の上に、あのサントリー、いや特定の人間に対する差別発言があるんだと思うと、考えるところがたくさんありますよね。

 もう一回言うと、正直笑えません。こういう人、結構見ます。
 私も最近ユーチューブに手を出し始めたんですが、なかなか伸びない動画を見てこういう思考に至りそうになるときもあります。
 だから他人のふり見て我がふり直せ。これは失礼なことわざの使い方ですが――ここまでひどいとね、ありがたく使わせていただきますよ。この人を踏み台にして、反面教師として見つめ直したい。

 やっぱ、差別は絶対にダメ。自分に――跳ね返ってくるよ。

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