短編小説「はなむけ」

 その村に祭が開かれたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
「わあ! いっぱいお店がある」
 生まれたばかりの妖精、ルシアは初めて経験する祭の盛り上がりに興奮していた。彼女は夜空を西に東に飛び回り、何を買うでもなく、ただ商品をよだれを垂らしてみている。すると、面倒見のいい露店商のおじさんなどは、彼女にただで食べ物を譲ってしまうのだった。
「お嬢ちゃん、プラの実がひとつ余ってるよ」
「プラ!? うれしい!」
 ルシアはプラの実を受け取るとがぶりと噛んだ。その実は、人属には物足りないほどの大きさしかなかったが、蓮の葉に乗るほどの彼女の身体には十分だった。丸っこい果実の中に、橙色の果肉が詰まっていて、みずみずしい。噛み砕くとじゅわりと口の中に幸せな果汁が溢れて、彼女の細いのどをするりと通っていく。彼女は興奮に身を震わせ、月の下に踊りだす。村の四方は森に囲まれていて、暗闇よりも暗い。ただ、村の光だけが亡霊のようにその場所で、宴の炎を揺らめかしているのだ。
「ああ、なんて楽しいの」
 ルチアは他にもいろいろなものを譲ってもらっていた。水の入ったゴム風船、キラキラと光る石、そして、七色が滲んだ花びら。彼女にとってそのすべてが「楽しいこと」であった。身寄りのない、彼女にとっての「楽しいこと」。
 ――遠くの空で、火薬の爆発する音が聞こえた。
「あれはなんでしょう」
 ルチアは音の方へ飛んでいった。フィンタン屋、クランチ屋の横を通って、焼き物屋の角を曲がり、人や動物や精霊の波のすき間を通り抜け、彼女はどんどん前に進んでいった。祭りの中心に向かっていたのか、露店の感覚は狭くなり、人の波が溢れかえり、光はどんどん大きくなっていった。後少し、というところで彼女はぺルクラ屋という露店で魚の塩焼きを売っていた女性に声をかけられた。
「お嬢ちゃん、そんなに急いでどうしたんだい?」
「大きな音が聞こえたのよ。お姉さん、何の音か知ってる?」
「あれは――そうねえ。夜空に大きな花が咲く音」女性は、なにか物思いにふける様子で答えた。「久しぶりの祭りだからね、きっとたくさん咲くと思うよ」
 するとまた、先ほどと同じ方角から大きな音が聞こえた。彼女はその音に見向きもせず、深いため息をついた。
「なんて名前のお花なの?」
「――ないね。名前のない花なんだ」
 女性はそう言って、焼けていく魚の塩焼きを見つめていた。ルシアも同じように塩焼きを見つめる。目の飛び出した部分の隙間から、香ばしい白い湯気が立ち昇っていた。女性は、ルシアの顔を見て、
「お嬢さん、一つ持っていきな」と言った。ルシアは慌てて顔を触ると、口の周りがよだれでいっぱいになっていることに気がついた。彼女は顔を赤らめながらも、「ありがとうございます」と言って、差し出されたそれを受け取った。彼女はもう一つお礼を言ってから、右手に魚の塩焼きをもって、再び音のする方を向かって飛んだ。
 しばらくすると、村の広場になっているところに、客が大勢集まっているのが見えた。客は皆、夜空を見上げていた。その方角には、夥しい数の星が赤や青や緑色に輝いていた。彼女の村では、それをフィービング・ロスフレーブと呼んでいた。それは彼女たちの言葉で、夜空のサンゴ礁の産卵という意味だった。人々は、豊かに光る卵のような星を、ただ茫然と見上げているのであった。
「――続いては、サンチョ様――」
 人だかりの中心から拡声器を通したアナウンスが聞こえた。ルシアが首をかしげていると、広場のその奥から大きな音が鳴って、夜空に光の筋が伸びた。ルシアは驚いてその筋を追うと、一瞬光がフッ――と消えた後、その真空から炎の花が大きく咲いたのだった。彼女はその光景にいたく感動し、その花をもっと近くで見たいと思った。
 彼女は空を飛び、広場の中心へと更に近づいた。音が鳴った道具は、きっとあの奥にあるのだと思った。しかし、だいぶ中心へ近づくと、彼女は男性の大きな声に呼び止められた。
「ルシア!」
 彼女があたりを見回すと、人だかりに一つ、大きく手を振っている影を見つけることができた。彼女はその方へすっ飛び、その手にギュッとしがみついた。「ルシアじゃないか」と彼は言った。「そう、私はルシアよ。おじさん、久しぶり」と答えた。彼は「そうだな、久しぶりだな――」と、意味深長な間をとってふたたび夜空を見上げる。彼女もつられて夜空を見上げたが、大きな花はまだ咲いてはいなかった。
「名前のない花なんですってね」とルシアはぼつりと呟いた。それを聞いた彼は、
「えっ、誰がそんなことを言ったんだい?」と驚いた様子で答えた。
「ベルクラ屋のお姉さん」
「ベルクラ屋――あぁ――そうか。そうかもな」
 彼はどこか納得した雰囲気で言った。なにがなんだか分からなかったルシアは、彼にもっと話を聞こうと頬に手をのばしかけた、そのとき――
「――続いては、ルシア様――」
 と名前が呼ばれた。
「えっ」
 心当たりのない彼女は、驚いて首を左右に振った。「どういうこと?」彼女は男性の頬をつついて聞いた。しかし、彼は何も答えなかった。代わりに、彼女の小さな頭を人差し指で撫でた。なんだかよく分からなかったが、彼女はその人差し指のぬくもりに、少しだけざわついた心が落ち着いたような気がした。
 そのとき、大きな音が鳴った。先ほどと違って、今度は二回――
 ルシアは立ち昇る二本の光の筋を追っていった。一本の太い光の筋を追うようにもう一本、細い紫がかった筋が昇っていった。仲良く昇っていく二つの光に、ルシアは胸の奥がじんわりするような気持ちを覚えた。――私は生まれた頃からひとりぼっちだった。お父さんも、お母さんも、既に戦争で死んでいた。
 二つの光が同時にフッ――と消えた。花の咲く予感に、彼女は固唾を飲んだ。そして、開かれた。大きな大輪に重なって、小さな紫色の花。ルシアは歓声をあげていた。「きれいだ!」彼女の無礼な叫びに、周囲の客はじろりと睨んだが、歓声を上げたのが妖精の外見をした彼女だと知ると、フッと顔をほころばせて、一緒になって「きれいだ!」と叫んだ。いつしかその波が広がって、消えゆく二つの花びらに、広場にいたすべての人や動物や精霊が「きれいだ!」と叫んでいた。
 その声が落ち着くと、彼女は男性に「きれいだったね」と言おうと、頬をつつこうとした。――が、その頬は涙で濡れていた。彼女は、目じりから流れるしずくを両手で優しく掬って、「どうしたの?」と聞いた。
「戦争は長かったなあ――ルシア――」
 と、男性は涙ぐんで答えた。その意味は分からなかったが、彼女は「そうね」と呟いて、花が消えた空を再び眺めていた。

テーマ「はなむけ」
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