谷佳紀の遺したもの 黒岩徳将
「海原」誌2019年9月号で、シリーズ「海程の作家たち」の連載が終了した。執筆者は谷佳紀であり、もともとは谷が2004〜2013年に刊行していた個人俳句誌「しろ」に掲載されていた俳句作家論を転載したものである。谷が2018年末に逝去したことから今回の掲載となった。
(補足:現在、「海原」WEBにて「シリーズ・海程の作家たち」は閲覧できます。)
連載は6回に分かれ、対象となる作家は林田紀音夫・阿部完市・堀葦男・北原志満子・八木三日女(2回に分けて掲載)であった。海原編集部の注記にもあるように、「歯切れのいい率直な批評と鑑賞」で論がすすみ、前衛俳句(谷が論の中で使用している語であり、その定義の範囲については本論では触れない)に普段多く触れていない筆者からすると、読みのヒントと論点を多く得られた。谷の評論スタイルが垣間見えるように紹介していきたい。5人のうちの林田紀音夫と堀葦男の評に注目する。
乳房嵩なし死者の形に落着けば 林田紀音夫
黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ 同
掲句に対し、谷は「事物を正確に観察して正確に書き取ろうとする冷静な目が働いている」と述べる。確かに「嵩なし」の直後の「死者の形に〜」に飛躍はない。傘の句は映像的に考えると視点の動きはない。谷は、「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」に代表されるような散文的・説明的な筆致で書かれる林田句を、「言葉の飛躍を極度に排した」ととらえる。林田は、定型の「切れ」や季語の予想外の力が発揮された句を書こうとしなかった。句において設計図を持っており、その設計図からはみ出した読みを読者が行うことを嫌ったのだろう。「言葉を自己の管理下におき、勝手な働きを許さない表現者」とも評されている。
林田句にはもともと季語の使用が少なく、戦後の結核療養所生活を終えたあとにほとんど季語を使わなくなった。林田が緊密な設計図を常に携えていた内容のうちの”季語・季題の積極的不使用”について、谷が自説を展開する。要約すると次の2点である。①筑紫磐井によると、季語という言葉は明治末年に荻原井泉水と大須賀乙字が使い始めて、新傾向俳句運動の広がりとともに一般化した言葉である。②一方、季題は季節感・美意識を根底に敷いた語であるはずなのに、季題が季語と言い換えられたことによって混乱が生じた。観念(本稿では美意識と言い換えている)の季節と自然の季節が混ざってしまっている。写生は自然現象を扱うので季語を無化できない。季語が持ってしまった美意識を表現者は季語を入れてしまった時点で使ってしまうことになる。堀葦男論でも、季語を「原罪のようなもの」としている。無季俳句を考える際に、この2点は一度立ち止まって考える必要がある。”写生 (この語の定義の曖昧さについて考えると検討事項が拡散してしまうので本論では触れない) ”で無季句を書く場合は、自然から逃れて書けばよいのでは、と思ってしまいそうだが、それを難しいと感じてしまう実作者は一定数いるのではないだろうか。実作者の立場で季節感と写生の関連を持ち出したことが興味深い。美意識の排除が目的だったのだとしたら、読み手が持つ季語以外の共有財産・蓄積については林田・谷はどう考えていたのだろう。無季の場合に何をもってして一句を成立させるのかは、谷論からは、例えば「キーワード」のような短いフレーズで抜き出せない。そういう話ではない。林田句は季節感を持たないキーワードに頼っているわけではないのである。鉛筆の句を「情そのものが表現動機であり、観念が存在しない」ために「抵抗なく情にしみこみ違和感がない」と評価しているが、死を語るための観念と情を定型(しかも無季)に濾過していく手法というべきか、このあたりにヒントがありそうだと筆者は考える。
続いて堀葦男評である。
ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒 堀葦男
「顧客選択権保留し」厚いテキ焼く店 同
天澄むと野猿禿鷹沼ふちどる 同
黒の句と残り二句の差異について、黒の句は「とことん抽象」だがテキと沼の句は景が具体的である。堀句について、谷は「彫刻のような立体感」「言葉に言葉が重なってゆく重層感は、対象にのめりこんだ無意識を引き出すかのように働く韻律を得て、大きな彫刻作品が完成したような力強さがある」と肯定するが、「問題はこの韻律が表現に伴って派生する自然発生の韻律、俳句経験の韻律のように感じられる」「短詩形における韻律の役割にはさほど注意を向けていないように思われる」と厳しい。筆者にとっては堀の畳み掛けて弾ませる韻律は眩しく、腹に重たいものを残すのだが、ある時代の一類型に過ぎないということなのかもしれないとうかつに評価できないと悩まされる。金子兜太をはじめとした他作家、同時代作家との比較が必要である。
谷は林田・堀の句の変遷を見さだめて、そのスタイルをあぶり出そうとしているのだが、それらの記述はあまり紹介できず、無季や情、韻律といった大テーマについての谷の意見に対する考察の方に流れてしまったかもしれない。谷は一句の一単語・文節を抜き出して表現特徴を指摘するような、重箱の隅を突つくようなことをしない。一句丸ごとを射程にしてから句の特徴を掴みにいく。各句群の特徴を整理した後に、総体として作家が目指している道を探り、その道に光があったのかどうかを確かめている。道の途中に、大テーマという岐路がある場合は必ず立ち止まる。なぜならば、その岐路で作家も熟考したに違いないからである。
筆者としては、「海程」という結社の外という立場から、前衛俳句が紡いで来た主題および主題と社会の関わり、抽象化や韻律といった表現について検証を続けてゆきたい。若手には広くは読まれていないのでは、ということも少し気にかかる。それらの手触りを残した句群を、令和現在の俳句総合誌ではあまり多くを見かけることはできないことは個人的に残念である。
(本記事は、俳句結社誌「藍」2019年12月号寄稿内容を一部改稿のうえ掲載しております)