『角川俳句』令和7年2月号より俳句鑑賞 塩谷人秀

剥製は狼の覇気留めざる 髙柳克弘

『道の果』十六句より

 先達の狼の俳句を見ると例えば幻を詠んでみたり、狼の気配の錯覚を詠んでみたりと、曖昧さや幻想性が魅力的な作品が多いと思う。そうでもしないと絶滅した(諸説あるが)狼を題材として扱うのが難しいのかもしれない。
 しかし掲句は前述の趣向とは大分異なる。現存する剥製を詠んでおり、幻想はなく世俗。しかし世俗的になり過ぎていない。「覇気を留めざる」と敢えて主観的な表現にすることで映像の解像度が下がり、一句の中に先達の狼の句によく見られるような曖昧さが僅かに加わる。狼の句らしからぬ世俗さと狼の句らしい曖昧さの配合の仕方が斬新で面白い。

凩を来る思春期の子の匂ひ 田口茉於

『空の色』十二句より

 季語は「凩」を採用。春風では凡。東風は悪くないが何か違う。秋風は対比を狙いが透けて見えるかもしれない。他ならぬ「凩」の採用。
 恋を楽しむ思春期もあれば、苦悩や葛藤に満ちた思春期もあるだろう。全部ひっくるめてしばしば「甘酸っぱい」などと形容されるが、ここでの思春期は「酸」の成分が強い。この描かれ方に惹かれる。また、最後「匂い」で着地するのも面白い。身体に変化のある時期に現実に匂いを放っているかもしれない。あるいは錯覚かもしれない。また、先達が開発した「風の匂ひ」などキラーフレーズのイメージも加わる。「風の匂ひ」「凩の匂ひ」といった述べ方でなくとも、何か空気そのものにも匂いを感じる。複数の効果が干渉し合い、一気にコク深くなる。

湯気あげて神代の餅の白さかな 長谷川櫂

『花』巻頭作品五十句より

「神代餅」という商品の菓子もあるようだが、筆者としては「神代(神武天皇即位より前の、神の治めた時代。)の餅の白さ」と解釈する。
 とにかく白い。徹底的に白い。執拗なまでに白い。その執拗さを以て漸く表現できる「白」が輝かしく魅力的だ。「白」に何の説明を加えなくとも、この色は最高の明度を持つ。そこから更に白を深めるのは容易でないが、「神代」という強力な言葉の力を借りて実現している。筆者の場合は俳句の中に安易に「神」などという言葉を使い、他の言葉がすべて「神」に呑みこまれ、よく失敗するが、この句のような「神」の使い方を是非見習いたい。「白」の定義を破綻させ明度の限界突破を試みるには、神様ほどの力が丁度良い。

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