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「いただきます」を言うようになった話 塩谷人秀
大学4年生の頃、学部研究でブリを扱っていた。中ボス(准教授。学生は親しみを込めてそう呼んでいた。)はブリの脳天から針金を差し込み、脊髄を破壊する。すると検体は小刻みに痙攣し、薄緑の糞を垂れ流し、間もなく動かなくなる。薄緑と言えば
暁や生まれて蝉のうすみどり 篠田悌二郎
をはじめ、俳壇においては情感を出すためのキラーワードとして使われがちだが、こんなダーティーな薄緑もあるのかと思い耽った。このように神経締めされた「即殺魚」から魚肉をサンプリングし実験に用いるわけだが、なかなか締まらず、検体がいつまでも暴れていることもしばしばだった。最終的にはいつもの痙攣に至るが中ボス曰く、こうした個体は良いデータは得られないとの事だった。しかしそうは言っても、ブリは研究費で購入しているし、何より命をいただいているわけだから無駄にはできず、「苦悶死魚」としてデータ採取することにしていた。
中ボスの言うことは正しかった。データを取ると決まって苦悶死魚の血合筋は即殺魚に比べ色変わりが早く、pHは小さく、乳酸値は高く、グリコーゲン量は小さかった。実験の話はこのぐらいにしておく
サンプリングされる魚肉以外の大部分は研究室メンバーの胃袋に収まる。ある日、苦悶死魚はボス(教授)によって刺身にされた。これを食べた学生の一人が「酸っぱい」と一言。ボスは「これは乳酸の味と考えられるな。」と返した。私は「なるほど、これは乳酸の味ですか。」と仮説と真理を混同したかのような発言をし、中ボスに苦笑いされた。
どうやら鰤に苦悶死されると我々人間にとっても都合が悪いようだ。鰤の即殺は味や見た目の向上とその持続をもたらし、またそれらは消費者、仲卸、卸のニーズに適合するため経済効をももたらす。だから一般に流通している鰤のいくらかはなるべく苦しまないように神経締めされている。私がもやもやするのはこの動機の不純さにある。鰤がどれだけ高度な知的な生命体か分からないが、私が鰤なら「別にいいんだけど、でもそういう事じゃないんだよな」と思い、そして次の一瞬即殺されるかもしれない。
いつしかそのもやもやが私の日々の行動に変化をもたらした。食事の前に「いただきます」を言うようになった。
蛍光灯ぎらり冷たし鰤を買ふ 人秀