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グローバル人材育成の鍵となる異文化理解
テニスを通じて次世代を育成しているコーチです。
私の分野は主に、テニス選手の育成、強化、いわゆるトップアスリートを育てることが一番の目標にあります。
しかし、テニスコート上でテニスのノウハウを教えることだけがテニスコーチではなく、人格形成の部分に重きを置いて「教育」という領域を意識しながら選手育成に取り組んでいます。
どのスポーツでも同じだと思いますが、テニスの試合で起こることは普段の生活でも起こる事。大袈裟に言うと、テニスとは「人生の縮図」なのだと思っています。
成長していくためには、必ず Uncomfortable Zoneを経験しなければなりません。直訳すると「居心地の悪い場所」なのですが、私はそれを「挑戦ゾーン」と呼んでいます。
指導者も選手同様に「挑戦ゾーン」にいる必要があります。
前例に拘らず、試行錯誤しながら選手の成長のキッカケを作り、選手の挑戦をサポートしていくこと。
つまり指導者は常にアイデアが必要で、反復練習の時間を選手と一緒に取り組む指導力の「深さ」も大事ですが、新しいことを試みるという指導力の「幅」が今の時代は特に必要とも思います。
選手と指導者の成長に欠かせない要素として挙げられることがあります。それは異文化理解。ここで述べる異文化理解とは、言語、宗教、歴史、人種など、海外文化の違いを認める能力だけではありません。
異なることを認める能力
異なることを受け入れる能力
仮に同じ人種でも人生の背景が異なります。意見、考え方が違うのは当たり前。
日本人同士の場合、言語が同じだけに理解力がお互いあるからこそ、逆に分かり合えないことも多くあります。
話が脱線しますが、私が日本の社会を客観視すると、テニス界同様、排他的です。外のモノ、コト、ヒトを受け入れる環境ではないということ。似てるから、考え方が同じだから衝突が起きるのではないかと思うことがしばしばです。
更に、これも余談ですが時間かけて新しいことへの取り組みをいちいち議論している姿を見ると、なんだか失笑してしまうのは私だけでしょうか。
話を戻して、異なることを認め、受け入れる能力を養うには、自分のもつ意見、考えに対して、
「そのままで大丈夫なの?」という自分自身を疑う視点が重要だと感じています
自分自身を疑うということは悪いことでなく、好奇心をもつキッカケでもあると思っています。
もちろん簡単なことではないのでこれも立派な「挑戦ゾーン」でもあります。
つまり心が外に向いていることが重要で、このように好奇心の高い人々のことを「異文化理解がある人」と勝手に呼んでいます。
異文化理解がある人は理解力が早いです。多角的に物事を捉えることができるので、言葉を理解するだけでなく、表現の本質へ目を向けようとします。
テニスの指導でも、言われたことだけを実行するのは可能です。でもその先にある本質を追求していける選手なのか否かは異文化理解の高さ、いわゆる異なることを認める力、異なることを受け入れる力が能力の成長を左右するでしょう。
このように選手育成、強化にはこういった教育が多く含まれていること、その結果パフォーマンスに大きく影響していくというのは間違いありません。
従って、スポーツを通じて選手育成をしている指導者誰もが口にする「自分で考える選手」が育つのだと思います。