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シングル"On the road"のこと。

※ご注意ください
この記事には、「毒親」「DV」あるいはそれに類する表現や言葉が含まれています
。不快に思う方は読むのをご遠慮ください。
また、この記事には特定の個人を貶めたり、糾弾する意図は一切ありません。もし記事の内容から特定の個人が思い当たったとしても、どうか追及などはお控えください。


ぼくはあるときふと、
自分が旅路の途中にいることに気付いた。

人生は、いろいろなものに例えられる。川の流れ、映画、小説、そして旅にも。
でも、そうやって例えられるのは小説に出てくる文句や、名曲の歌詞や、えらい人の格言のなかであって、ぼくにはそんな洒落た生き方なんて無縁だと思っていた。

ほかの記事にも少しずつ書いているが、ぼくは大学を卒業後、北海道の小さな町で中学校の教師として働き始めた。
公務員、こと田舎町での勤務になると、周りの同業者では「定年まで教師として生き、退職した後も再任用などで教育に携わる」というスタイルが一般的であった。もちろんみなさん教師を目指し、その夢を叶えているわけなのだから当然と言えば当然なのだが、ぼくの場合にその生き方のロールモデルが同様に適用されるかというと、そうではなかった。

誓って、教師として仕事は一生懸命にやっていた。というか、むしろ自分には仕事しかないと信じ切って、休日も祝日もなく心身を燃やしながら仕事に打ち込んでいた。それでも、「自分の居場所は、ここではない」「自分の音楽を形にして、人に届けたい」という仄かな思いがずっと胸の奥底にあった。踏みつけても踏みつけても消えない、ずっと燻り続ける火種をつまみあげ、ゴミ箱に押し込んで、ぎゅっときつくフタを閉め、知らんふりをしてその上に座り仕事をするような日々だった。

ところで、「音楽をやりたい」という思いを素直に追求できなかったのには、大きな理由があった。
他の記事を読んでくださった方はうすうす感じたかもしれないが、ぼくの両親は俗にいう「毒親」である。ぼくが幼稚園に入る前に離婚した母は、数年実家で過ごし、小学校に入る頃に今の父と結婚した。再婚家庭、特に子連れの女性が再婚するケースでよく見られることだというが、父は強烈なワンマンであり、母は宗教的ともいえるほど絶対的に彼を崇拝し、また子どものぼくにもそうさせた。小さな子どもにとって、一番身近で愛する存在である母が絶対視する男である。「お父さんはすごい人なんだ」「お父さんの言うことを聞いていれば間違いないんだ」と身体にも心にも刷り込まれた。
言うことを聞かなければ、暴力を振るわれた。気に食わないことがあれば、人格を否定する言葉を使って追い込まれた。黙ると「なぜ黙るんだ」、話すと「口答えするな」である。そうして口を封じたところでぼくを抱きしめ「愛してるから厳しくしているんだよ」「世の中に出て厳しさに負けないように、あなたのためを思ってやっているんだよ」という殺し文句である。ある日意を決して思いを手紙に書き、震える手で父に渡したこともあった。「言いたいことがあるなら直接言え」と詰め寄られ、えんえんとなじられただけだった。
父との暮らしの中で、ぼくはすっかり従順で自己肯定感のまったくない、物言えぬカラッポ人間になってしまったのだ。

そんな親の元で育ち、自分の音楽に自信など持てるようになるはずがない
中学生になって手にしたギター。ギターが学生時代からの趣味であった父からすると、ぼくのギターは格好のマウンティングの材料だった。なにかにつけヘタクソと言われ、気持ちよく弾いている弾き姿すら貶された。「プロを目指したい」と勇気を振り絞ってうちあけたときには、「お前には無理」の一言で一蹴された(その一言は彼の必殺技のようなもので、口下手だった彼はうまく説明できないときによくそう口にした)。挙句ぼくのギターは彼に叩き折られてしまうのである。
どんなに一生懸命練習しても、どれだけ上達しても、「ぼくの音楽は趣味として腐っていくんだろうな」とぼんやり感じていた

そんな日々の中、妻と出会い、結婚した。
家族愛にあふれた両親のもとで育ち、常に笑顔を絶やさない妻は、ぼくにそれまでの人生で知る由もなかった大切なことをたくさん教えてくれた。
愛とは駆け引きの材料ではなく、好きな人を思いやることだということ。自分の人生は親ではなく、自分のためのものであるということ。自分に自信を持ち、自分と他人を同様に認めてあげること。
妻と暮らしながら、30年近くずっと氷漬けだったぼくの自己肯定感が溶けだした。ぼくが葛藤しながらも音楽を続けていることを知って、妻はぼくを大いに励まし、勇気づけてくれた。「一度きりの人生、本当に自分がやりたいことに全力を尽くすべきだ」と、音楽のために上京する決断に足踏みをしていたぼくの背中を押してくれたのも妻だった。

そうして妻と暮らす生活で、ある日ふっとできた曲があった。

ぼくが見ていた公務員としての人生は、飛行機での移動のようだった。搭乗してしまえば、よほどのことがない限り、だまっていても目的地に着くことができる。空港へのアクセスの方法も、チケットの買い方も、乗り方も、すべて決まっている。窓際の席を選ばなければ、外の景色を見ることもない。ただぼんやりと着陸を待つような生活だった。

「音楽とともに生きる」、そう思うようになったぼくの目前の景色は変わっていった。靴紐を締め、上着の襟を立て、空港のゲートではなく、土埃が風に舞う道に向かう。行き先は、どこでもいい。別に着かなくてもいいし、目に入るどのドアをノックしてもいい。路上に寝たって構う人はいないし、夢ばかり見てもいい。胸を張って、誇りをもって、行きたい方角に進めばいいのだ。
自分が歩く道のために、そして同じように道を探している人々のために。そんな思いやこれまでの経験が積層してできたのが、On the roadという楽曲だった。

'On the road'

Living on a highway, lying on the ground
Seem to find a place to rest for a while
Said goodbye to my girl, grabbed a little bucks
Then my life has started on a long, long road

“It’s gonna take a long time to your destination, right?”
“I don’t care if I can’t get there.”
“Why do you wanna go, for a place to hide?”
“I think I left it on the road.”

On the road…

Knock, knock, the door but no one to be found
I could only find a notice ”NO DREAM INSIDE”

“How many times have you done like this before?”
One guy asked me with a glance
“I know I’ve been doing just like you.”
“But I left the key on the road.”

On the road…

Kenny Stone - On the road

嚙み合わない会話と意味不明なやり取り、ぼんやりとした場面、"the door"、"NO DREAM INSIDE"の張り紙、"the key"…散見される単語や表現には一貫性がないようでいて、すべてに意味がある。
自信と誇りを持ってお届けする、ぼくなりのアメリカーナ。

この曲を必要とする人に、届きますように。

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