知識と知恵は異なる
春分をすぎ、新しい季節が巡ってきました。
今日は、「知識と智慧は異なる」というお話しです。
今日のような情報過多の時代に生きていると、常に多くの情報を処理せねばなりません。ゆえに何かを知ると、つい「知った」=「できる・わかる」と思い込みがちです。また、知ったら、「自分はもうそれを知ってる」と言いたくなるやもしれません。しかし、知ってるとできるは大きく異なります。
考えて見ると当たり前です。
イチローってこんな風に打つよねって見ていることと、バッターボックスで、150kmのボールにあのように対応してバックスクリーンにホームランを打つことが同じなわけがありません。その実現には、絶え間ない修練が必要です。
やったことがあるというのと、自らが困惑するような状態に直面してなお、それが実現できることもまた、大きく異なります。
ゆえに、その困惑の体験には知識では補い得ない価値があります。こうした、ともすると当たり前のことが、忘れられがちです。
先日、WaLaの哲学のアドバンスを初めて実施しました。
受講後、1年~2年たった方々です。この間、内省の型を学び、真摯に自分でも考えてこられ、挑戦もされてこられた。しかし、それでもなお、ご自身で自分の限界を突破できないという思いから受講されました。
私も、その方々がもどかしさを感じられていることを強く感じ、突破のお手伝いにと、このクラスをクローズドな形で実施することとしました。
仮に内省の型を学んだとしても、
自己に適用し、
新たな方向性を見出し、
大きなエネルギーを導き出す
というのは難しいことです。
自己の客観視とは、それほど難しい作業です。
簡単にできるなら、人は、その生涯に何度も自ら生まれ変われるでしょう。
環境は変われど、自らを生み直せる人は驚くほど少ない。どうしても、一つの役割を演じ続けてしまう。その理由は、やはり現状維持が最高な生存戦略だと考えてしまう脳の傾向と、自分の存在と脳を一体化させてしまうからです。言うまでもありませんが、自分=脳 ではありません。
例えば、自分を芋虫と定義してしまっては(芋虫としてだけの考えでは)人は、一生蝶になれない。それほど意識は強烈です。サーカスの象が子供の時に小さな杭を抜けなかったゆえに、大人になってゆうにそこから脱走できる力があるにもかかわらず、できないと考えてしまうという話がありますが、それも同じことでしょう。
軽やかな変態とは難しいものです。しかし、現状に満足しないなら変わり続けなければならない。しかし、そうした作業に長時間付き合ってくれる人というのがなかなか出会えないもの。信頼できなければならないし、相手に相応な経験も必要でしょう。なんとしてもそうなりたくなるような魅力ある、自分の知らない自分を引き出してもらうには、やはり愛を持って自身の可能性を信じてくれる人でないと難しいでしょう。
しかし、ここにこそ「人間の無限の可能性」があるように思います。
私たちは、意識により自らの存在を再定義し直せるのです。意識の抽象レベルを自在に変化させることによって、ポテンシャルエネルギーの照射がもっとも大きくなる点を探り、よりパワフルな自分に変化する。非言語領域において特徴量を見つけ自らの意志で変容できる。
今回、それぞれお一人では見つけけきれなかったコンセプトをともに見つけることができた方々の、これからの人生の変化が楽しみです。
時には人の手を借り、新しい自分をどんどん生み直していく。
ポストマテリアルの人生100年時代。
新しい自分を産んでいくことほど楽しいことはなく、そうした技術は皆が習得していく技術になるでしょう。
「情熱や使命感は一定の時間をすぎると使い終わってしまうけれど、楽しさを原動力にすればずっと続けることができる。まずは楽しむこと。」
これは、台湾のオードリー・タンの言葉
春分がすぎ、また季節が移りゆきます。
芋虫が蛹になり、蛹が蝶になる。
こんな風に、私たちも日々成長して行きたいものです。
季節の転換に合わせて、脱皮を試みたい方。
まずは、内省をどのように進め、そこから自身の内側にある無限のエネルギーにアクセスするのか。まずは、その入り口を学んでみましょう!
WaLaの哲学の無料説明会をやってます。よろしければご参加ください。
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直近は以下の日程となります。(あと2回です)
3月24日(水)19:30~21:30
3月31日(水)19:30~21:30
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最後までお読み頂きありがとうございます。
属 健太郎