狂気=狂った世界で自分を信じる力
狂った世界
もし、自分が狂ってるのではなく、「この世界が狂ってるのではないだろうか?」「おかしいのは自分じゃなくて、世界の方だ!」と真剣に考えたことがある人がいたらあなたはまともだ!あなた同様、世界も十分に狂っていると言えます。笑。
もちろんどちらにもとても素晴らしい面があります。世界とは複雑な存在であり、たった一人の一つの視点で断罪できるものではないですが、完璧でない以上、正すべき点はたくさんある。
・人の命よりお金が大事(兵器産業だけだろうか?)
・人を不健康にしても利益が大事(健康と未病をどのレベルから考えれば良いだろうか?口に入れるもの全てが含まれるのでは?)
・地球環境を破壊しても利益が大事(あらゆる製造業が省みなければならないのではないだろうか)
・従業員の豊かな生活より、株主からの圧力が気になる経営者(こうなると、ほぼ全ての企業が対象になる可能性がある)
これらの問題が、ギリギリに追い込まれるまで顕在化しないとしたら、やはり、少々狂った世界と言えるでしょう。問題は、私たちの全人格と全肉体が、この狂った世界に完全に従属しているためそれ以外の世界を想定することが難しいことだ。
「地球平面説」の世界に生きていたら、海の向こうに行くのは恐怖でしかなく狂った人間しか行こうと思わないかもしれない。
狂った人間が、世界が平面でないと発見する。
そう、狂った人間こそが、新しい世界を切り開くのだ。だから、あなたの中に宿る狂気を大事にしてください。その世間の常識を、「ちょっとおかしいんじゃないか?と感じる感性にもっと、勇気とエネルギーを!」
狂気とは、「狂った考えではなく、狂った世界で自分を信じる力」だからです。
自分を信じる者
挑戦するかしないか、それが問題だ。
そんなふうに、悩まれる人も多いと思う。かく言う私も、都度そうした局面はあります。その場合、どう考えるのか。可能性を検討する?可能性を検討して、うまくいきそう「だからやる」と言うのは、挑戦ではなくリスクマネジメントです。挑戦は不可能と思えることにまず挑むこと。(その後、当然リスクマネジメント含む、計画は重要なことは言うまでもない。)
その際、万人にとって不可能なことでも、自分の見る世界で可能であると信じれるか。せめて、やってみる価値があると思えるか。エジゾンではないが、そのうまく行かない方法を見つける程度にやる価値はあるのか。
この世界とはどう言った世界で、私とは何者か、ここに対する信念がなければ、世界に挑戦などできない。それは、「成功するか、成功しないか」の問題ではない。「自分を信じるか、自分を信じないか」の問題だ。
挑戦したいテーマが見つかったのにそれを躊躇している方が問うべきことは
・それは本当に大切なことか
・あなたは自分を信じているか
この2点だろう。そして、人生は、この二つを見つける旅のように思う。
最後に、先日、満月の夜にビーチを歩いていた際に口頭録音したポエムを
ポエム
マーケットで受けるとか、金が儲かるとか、そういったことではなく本当に心のそこから自分にとって大切だと思うものに向き合うこと。そういったものを見つけることが人生においては1番大切だ。
20代30代の努力、それは成功も失敗もあったでしょう。それらの経験はそうした大切なものを見つけるためにある。
もし君が、40代50代にもかかわらず、そうしたものを見つけていなければ、今からでも遅くは無い。死ぬ前に見つけられるように努力した方がいいんじゃないだろうか。今際の際に、「あぁ。。。どうして、挑戦する程度の勇気もなかったんだろうか。。。」と思わないために。
もし君が、20代30代でまだそうしたものを見つけていなければ、それはある面当然でしょう。自分の心に従いこれが本当に大切なものだろうかと思うものを思い切りやってみるほかないだろう。
人生は、短い。
どれほどの才能、能力を持って生まれても、自分の打ち立てた人生の主題となるテーマに取り組まなければ一体、何のために生まれてきたのだろう。
「億万長者であること」も「演説で100%人を説得できる力」も、「ものすごく美しい容姿もそれが、自分のエゴのタメだけなら、ましてや他人からの称賛のためのものなら、なんと小さなものだろう。他人の基準で生きたら、生まれてきた意味がない。この世に生を受けるのは、自分自身を打ち立てるためだ。
昨日見たのだけど、ちょうどいい映画もやってるから見た方がいい。AかBか?と問われたら、いや、どっちでもない、Cだな、と言えるくらいは、自分の頭で考えるべきだ。
「WaLaの哲学」における"anywhere"とは、あらゆる現象の背景にある意識の場のことだ。通常は、長い修行を経て会得するこうした感覚を、短期間でまずは「理入」その後「行入」を通じ、人生から会得する。世界を動かすパワフルな潜在的な力(潜勢力、龍脈、BPF<Background Potential Force)に気づき、それと共に生きるを学ぶのが、WaLaの哲学。よろしければ、サイトを覗いてみてください。こちらも、何かヒントがあるかも。
表面で起きて言語化可能なことの背景にあるのは別の力なのだ。
万物の背景にある力を、捉えよう!
もう、人類は、そうした時代に突入しています!