偉人たちの精神を引き継ぐことだけは、なんとかできるんじゃないか。
一年前のFBの投稿が上がってくる機能で、この写真が上がってきました。
そこには、こうあった。
2021年6月2日
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世の中を作って来た偉人の精神だけは、なんとか引き継ごうとの覚悟だけは出来たなら、あなたに今日起きるあらゆる意思決定に関しどのように対峙するか。その積み重ねが、私たちを思いもしなかった所に運ぶでしょう。
人は1年で出来ることを過分に見積もり、10年で出来ることを過小に見積もることで、意思決定を誤る。
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WaLaの哲学の講座の中で、Who=Where が一体となるような意識の場から立ち上がってくる想いに、命を乗せていくことが大事だというようなお話をさせていただくことがあります。
たとえそれが難しく見えたとしても、生命の使い方はそれしかないじゃないか。
たとえ、自分から始めて三世代およそ100年かかったとしてもなお、知ってしまったのなら、それに着手しないという選択肢はあり得ないのじゃないか?と。
そんな話をすることがあります。
以前、私が社長を勤めていた時代
"私たちは、今日1日、明るく元気に笑顔で仕事に取り組みます”
"私たちは、今日1日、誇りと責任を持って行動します”
”私たちは、今日1日、新しい価値を創造します”
という朝礼を皆で毎日唱えておりました。
しかし、企業という営利集団では異なる目的を持って入ってくる人もいるからそういう精神的なのは・・・みたいに気に入らない人も当然出てきます。
でも、私がやりたかったことは当時から、
"今日1日、明るく元気に笑顔で周りをエナジャイズしながら、誇りと責任を持って、新しい時代を作っていく本当のリーダー"
が育つ環境を作り、その先に古き世界と新しき世界の調和をもたらすことでした。それしかないと思っていました。
ファッションEコマース事業の社長としてそれを実現するには力不足でしたし、朝礼を読みあげることは、そうあることと一体でもありません。やり方は色々あるでしょう。
だけど、再度真っ直ぐにこのミッションに向き合うことで、このミッションを受けとめる器は会社ではなく自分自身になり、仲間の力を借りながらならなんとか一身に受け止められるようになってきたのかもしれない。少しずつ。まだ、少しずつつですが。
そんなことを、WaLa族の仲間が気づかせてくれ、BACの皆にも少し話した翌朝、この吉田松陰の言葉にはっとしました。
多くの場面で新しいリーダーが必要だと言われます。
内閣府で行われている「新しい資本主義会議」「デジタル田園都市構想」「産業財政諮問会議」などでも創造性を発揮するリーダーが必要だという結論になると伺いました。昨今の人的投資が必要という文脈も同じでしょう。
しかし、目的と手段が逆ではないだろうか?と最近思い始めています。
古いパラダイムに過適応した組織をなんとか存続させるためにリーダーが必要なのではなく、新しいリーダーのもと、あらゆるものが再構築されることが必要なのであり、そのために古い組織でなされることがリーダーを輩出することだとしたら、その苗床となれば十分なのではないでしょうか。
カマキリのオスが、交尾のあと食べられると言います。次世代の命を残すために命をかけるというのは、自然界では普通のことです。
目的:組織の存続 手段:そのためのリーダー
から
目的:新しいリーダーの輩出 手段:その目的のために組織は再構築される
くらいの視点の転換が必要ではないでしょうか。
つまり新しいリーダーというのは一旦その母体を解体することも含むということです。
昨今言われている人材投資も、それくらいの覚悟でやらなければ、これまでとの差異を作れないのではないでしょうか。
本質的な問いであり、受け入れ難いかもしれませんが、部分最適を続けるのか、全体最適に向けて一歩踏み出すか。
みなさんはどうお考えになりますか?
では、今日も素晴らしい1日を!
*申込にあるオリエン動画が8期スタートした際の新しいものとなりました。よろしければご覧ください