饕餮

「犭貪」(とん)という怪物

孔子の教えの一説に「犭貪」(とん)という想像上の怪物が出てくる。その怪物の特徴は、まず、巨大であること、それに、とても欲深いことだ。
なんでも食ってしまうのだ。土塊(つちくれ)も鉱物も山も海も、もちろん人間も、人間の造形物もなんでもかんでもだ。…
しかも限りがない。自足するということを知らぬのだ。
(それは太陽をも飲み込み、最後には自分自身の体をも食べ尽くして)犭貪は闇だけを残す。そして、無……である。欲望のなれの果てだ。
(『蒼天航路』第一巻 冒頭部 )

こうした犭貪の怪物の別名であるとも考えられる饕餮(とうてつ)と呼ばれる存在についての記述は、 孔子の書である『春秋』の注釈書である『春秋左氏伝』(しゅんじゅうさしでん)においても言及がなされていて、その注解の部分においては、「財を貪るを饕といい、食を貪るを餮という」
という形で、饕餮についての言及がなされています。

ーTANTANの雑学と哲学の小部屋 より引用 ー


人間の自由と平等という普遍的な価値について、コラムを書くことで、自分の考えも整理できた。


資本主義とグローバリズムは、自由の名の下にスタートしたが、結果的により多くの人の自由と平等を阻害する要因になりつつある。そのことを指摘することは、まるで自由に反対しているようで居心地の悪さを感じる。もちろん社会主義が良いなどと言っているわけではない。

おそらく、資本主義は、節度を、孔子の言葉を借りるなら、五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を失い、「限度とバランス」を忘れてしまったのだ。つまり、何もかも貪(むさぼる)獣(けもの)となってしまったのだ。

自由は大切である。しかし、それは「自由」「平等」「博愛」というバランスのとれた価値の一つとしての重要性であり、一部のリバタリアンが主張するように他とのバランスを欠いた上でも最重要視すべきものではない。しかし、資本主義は「自由」という価値に立脚した、言わば「自由」の子供である。格差を拡大し、自らのよってたつ場所、「自由」さえも食ベてしまったことに気づかず膨張しているのかもしれない。

欲望のなれの果ては、無である。


正確には、「無」というより、エネルギーに満ちた「空」であろう。次の「有」の前の。

この資本主義が生んだ格差をどのように、乗り越えていくかで、人類は、やっと真の意味で自らの「蒙(もう)を啓(ひら)・く」の啓蒙時代を生きはじめることができるのかもしれない。

現在見られる全ての混乱は、古い構造を壊し、新しい時代が生まれる前兆であろう。

蒼天航路2



WaLaの哲学 屬 健太郎

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はたらく意味のアカデミア「WaLaの哲学」


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