寮からの引っ越し
7月から働き始めた測量会社での研修が始まった。オペレーターの仕事は、飛行機内で空間情報を集めるためのレーザー機器の操作。初日の研修では、空港の片隅に停めらた飛行機の中で機器の操作方法を教わった。新しい情報ばかりであっぷあっぷだったが、忘れないように必死でメモをとった。異なる言語や文化の中で働く際、メモを取る習慣は非常に有効で自分の強みになっている。操作を教わりながらも、頭の片隅では「早くアパートを見つけないと」と考えていた。
この研修には、同じくオペレーターで採用されたローラというもう一人の参加者がいた。この町にある4年制大学で航空学の学位を取得したらしい。休憩中、なるべく早く寮を出るように学校に言われているので部屋を探していることを彼女に話すと、「知り合いのアパートのオーナーが住む人を募集しているから紹介してあげる」と有り難い申し出。詳細も聞かずにその申し出に飛びついた。寮に帰ってからしばらくすると、ローラからショートメッセージが届いた。記載されたオーナーのアドレスにメールを送ると、数分もたたない内に返信がきた。「明日アパートまで見に来る?アパートは空港からすぐ近くだ」とのメッセージとアパートの住所が書かれていた。とんとん拍子で部屋が見つかるかもしれない。嬉しくなってベッドに倒れ込む。数日前まで「ジムがいないとカナダでは何もできないな」と落ち込んでいたので、少し肩の荷が下りた気がした。
次の日、研修は午前中のみだったので、一旦、寮に戻る。寮の前でクラスメイトだったサラと鉢合わせして雑談。「引っ越しに手伝いが必要だったらメールしてね」と優しい言葉をかけてくれた。15時前にタクシーで空港まで移動し、住所を頼りに目的のアパートを探す。背の高い男性が道のわきに立っていて、こちらに手を振っている。あれがオーナーのジャンに違いない。「キミ?」と問いかけられたので、「うん」と答える。お互いに自己紹介をし、「こっちだ」と言うジャンの後ろについていく。白い木の壁。所々、壁がかけたり、ペンキが剥がれ落ちているが、清潔そうではある。「パイロットが2人住んでいる」と言う。このシェアアパートに3部屋あるが、その内の2部屋が埋まっていて、もう1部屋も来週入居予定らしい。「地下にもう1部屋あるが、作りかけなので、そこでも良かったら入居してくれ」と言われる。彼に続いて地下に降りる。確かに作りかけで備え付けのベッドが一つあるだけ。ドアの鍵すらついていない。どうしたものか?本格的に仕事で出張に出ることになったら、アパート探しも難航するだろう。ジャンが「鍵は後でつける」と言ったので、「入居する」と返事した。半分作りかけの部屋だから、水道と光熱費を含めて毎月400ドルにしてくれた。ジャンが寮まで送ってくれ、去り際に「いつでも引っ越してきていいよ」と手を振る。
部屋に戻る前に二階の自動販売機でソーダを買う。ガタンと缶が落ちる音が廊下に響く。卒業式が終わり、クラスメイト達はとっくに荷物をまとめてホームタウンや職場に移動したので寮には僕だけしかいない。自分の部屋に戻り、椅子に座って先ほど買ったソーダのプルタブをひく。乾いた喉に炭酸が流れ込む。一息つき、天井を眺める。来週か再来週には出張があるかもしれないとマネージャーが言っていたので、その前に引っ越しは済ませておいたほうがいいだろう。スマホを見ると、まだ17時前だったので学校の事務室にいるジェイソンに会いに行くことにした。寮から渡り廊下を歩いて校舎に入り、事務室に向かう。「引っ越し先が見つかった」と彼に伝えると、無機質な声で「良かったね」と返事される。入学前からこの対応だったが、面倒見の良い人ではあることを知っている。「引っ越す前に鍵を返しに来る」と伝える。二年間過ごした校舎を歩く。夏休みなので生徒も残っていない。ジムもいないし、仲の良かったクラスメイト達もいない。コンピューターラボを覗いてみる。電気が消され、PCの画面だけが青白く光っている。娯楽室の壁に卒業生の名前が入ったボードがかけられている。自分の名前はどこだろうか?ボードの左端に名前を見つけた。出身地は「ヨコハマ」となっているが、これはこちらに来る前に提出した申請書に書いた住所だ。ボードの横には額に入った卒業時のクラス写真がかけられていた。まだ二ヵ月も経っていないのに大昔のことのように感じる。車がないから学校に来れなくなるだろうなと思いながら部屋に戻る。寮に続く渡り廊下は、歩く度にギシギシときしむ音を立てた。
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