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父の顔

身体の中に残っている眠気を追い出すように、冷たい水で顔を洗う。ザァァと蛇口から出る水がいつもよりも冷たく、気持ちが良い。タオルで顔を拭き、鏡の前に立つ。喉ぼとけの周りを何度か触る。髭の剃り残しがどうにも気になって仕方がない。チクチクとする短い髭をつまむ。どうせ、すぐに生えてくるからまあいいか。まだ剃ったばかりの髭が青々としているのを見ると、げんなりしてしまう。この髭の濃さは、父親譲りである。「お父さん、この前来てくれたけど、あの髭の濃い人だろ?」と小学校の頃に通っていた床屋で言われて以来、どうか父のように髭は濃くならないようにと願ったが、徒労に終わった。おまけに、ボサボサの太い眉。下がり気味の唇は、「怒っているの?」とよく勘違いされる。もう一度、ジッと鏡の中の自分を見つめる。最近、父に似てきたような気がする。

父は、頑固で絶対に人の意見には耳を貸さない。自分の意見だけが正しいと信じている。自分と同じように生きろ。それが幸せへの道だと疑わず、自分の考えをひたすらに押し付けた。
僕が高校2年の時、文系か理系のコースを選ぶ際に親の印鑑を押してもらう必要があった。冬のある日、夕食を食べ終わった後、何気なさを装って食卓に座る父の前に理系希望と記載した書類をスッと差し出した。その頃、担任の数学教師の教え方が厳しくも上手で、僕は今まで苦手だった数学を好きになりかけていた。将来学びたいことは決まっていなかったが、選択肢は幅広く持ちたかったので理系を選びたかった。父は一瞥すると、近くにあったボールペンを取り、自ら書類を文系に書き換えた。怒りをあらわにする僕に背を向け、父は無言で二階に上がっていった。時が経つにつれて、父との距離は開くばかりだった。

カナダに移住したかったのは、いくつか理由があるが、その中に父との関係を見直したい、父のようにはなりたくないという気持ちがあったのかもしれない。父との関係、家族としての縁は、ずっと続くだろう。何より怖いのは、その関係を通して、自分に受け継がれるだろう頑固さや自分の意見を押し通すという性格だ。
カナダで暮らし始め、物理的な距離ができると、今までと関係が変わった気がした。しんしんと庭に降り積もる雪を見ながら、この雪の中までは届くまいと呟く。いや、関係は変わってはいやしない。僕自身が距離を保ちながら、父の存在を見ているだけなのだ。それでも、父のことを考える時、前より少しだけ穏やかでいられた。

林業学校の卒業式の際、親友のジムが彼の両親を卒業式に招待した。式の前日、ホテルのレストランで、僕の奥さんも一緒に皆で食事をすることになった。ぎこちなく挨拶を交わした後、何だか居心地が悪く、注文したチキンソテーを意味もなく見つめた。奥さんやジムに助けを求めてアイコンタクトを送るが、誰もが精いっぱいのようだ。でも、ジムのお母さんが僕らに気を使ってくれたのか、優しくしゃべりかけてくれる。そのおかげで、だんだんと場の空気が和み、居心地の悪さはいつの間にかどこかに消えた。ジムのお父さんは、寡黙そうだが、悪い感じはしない。単にシャイなだけなのかもしれない。ジムは、よくしゃべるほうだし、きっと性格はお母さんに似たのだろう。そんな風に思いながら、付け合わせのポテトを口に運ぶ。「父は無口だけど、ずっと大工の仕事を立派にこなして俺は尊敬している」と横からジムが言う。ふと前を見ると、向かいに座るジムのお父さんが照れたように顔をほころばせる。羨ましい。父を受け入れ、家族で和やかに過ごせたらどんなによかっただろう。

リビングのテーブルに座り、ヨーグルトを一心不乱に口に運ぶ娘の顔を見つめる。この数か月でほんとに上手に食べれるようになった。小さな頬っぺたについたヨーグルトを拭う。こちらを大きな目で見つめて「もっともっと」とせがむ。わかったよ、と柔らかい髪の毛を撫でる。
昨日、言うことを聞かない娘に対してイラついて声が大きくなった。わんわん泣く姿を目にして、動揺した。僕は、これから僕の父に似ていくのだろうか?良い父親の定義はわからないが、家族を悲しくさせるような父親にはなりたくない。受け継ぎたくないものは、ここで捨てて行こう。きっと、少しずつ良い方向に流れを変えていくことができるんじゃないだろうか。

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