食べる。生きている。
そろそろ油が熱くなったんじゃないか?鶏肉を一つ掴み、油に投入する。ジュワッ。パチ、パチパチ。油がコンロの周りまで跳ねた。フライパンの中で、衣が早くもキツネ色に変わっていく。少し火が強かったのだろうか?フライパンの下をのぞき込むと、小さな火が揺らめいている。上手く揚げるのは難しいなと思いながら、火を弱めた。
パチパチ、パチパチ。油の跳ねる音。九月に入ってから急に気温が下がったせいなのか、喉の調子がすこぶる悪い。ンン、あぁーあぁー、と声を出す。あの夏の暑さは一体どこに行ってしまったのだろうか?油の音だけ聞いていると何だか居心地が悪い。ショートパンツのポケットからスマホを取り出し、Spotifyで音楽を探す。画面には、以前に作った音楽プレイリスト。もう何度も聴いているので、このリストに飽きがきていた。ふうむ、こんな時はPODCASTをながらで聞くのが良いかもしれない。お気に入りに登録している海外のホラーストーリーを再生する。音量を大きくして、キッチンの食器棚の上にスマホを置いた。パチッパチッと油が跳ねる音の後ろで、落ち着いた英語のナレーションが聞こえ始める。油の臭いと恐怖に慄く人々。ありえない組み合わせが、空気の中で混じり合う。
ストーリーに聞き入っていたら、少し揚げすぎてしまった。慌てて鶏肉を油の中から取り出す。キッチンペーパーに油がゆっくり染みわたっていく。冷めるまで少し待ち、口の中にからあげを放り込む。噛む度に肉汁が溢れ出す。漬け込んでおいたおかげか、ニンニクの風味がほんのり口の中に広がる。出来立てのからあげに勝るものなし。おいしいものを食べる時、ちゃんと地に足をつけて生きている気がする。気のせいだろうか?
そう言えば、カナダの林業学校に通っていた頃、町の片隅にあったフライドチキン店の味にやみつきなった。サクッと揚がった衣。塩胡椒が効いて、噛めば噛むほど溢れ出す肉汁。毎回舌鼓を打ち、友人たちと一緒に何遍通ったことか。あの味は今も健在だろうか?この極東の地からカナダまでは遠く離れているが、あのフライドチキンを食べたいという衝動がグワッと湧き上がってきた。
週末の昼下がり、ベッドの上でゴロゴロしていると無性にフライドチキンが食べたくなった。近くのモールにフランチャイズのフライドチキンは売っているが、今食べたいのは、いつものやみつきチキンだ。ベッドから跳ね起き、クローゼットから新しいTシャツを取り出して身支度を整える。この気持ちが冷めてしまわない内に部屋の外に出よう。バックパックを掴み、部屋を飛び出す。夏休みなので、寮の廊下には誰もいない。階段を一歩抜かしで駆け下り、外に出た。熱気が身体を包み込む。カナダでも夏は暑い。校舎に隣接する施設の正面入り口からバスに乗れるはずだ。
手が汚れることなんて気にはしない。フライドチキンをつかみ、がぶり、とかぶりつきたい。
カナダの東端のこの小さな町で、今、こんなにもフライドチキンのことを考えている。バス停のベンチに腰を下ろす。目の端でバスがこちらに向かってくるが見えた。
町の中心のバスロータリーで降車した。目指すフライドチキンのお店は、町の中心から川を橋を挟んだところに位置する。まずは、橋に向かって遊歩道沿いを歩く。午後の暑い日差しの中、散歩やランニングしている人たちとすれ違う。僕の歩くスピードは彼らと比べるとだいぶ遅いようだ。歩幅が違うのだろうか?Tシャツが汗ばむ。道の端で立ち止まり、バックパックに入れてきたペットボトルを取り出す。日差しは、今日も強い。喉を潤す。再び遊歩道を歩き、橋のたもとに到着した。
恥ずかしい話だが、この橋を渡るには勇気がいる。橋の上では風が強く、運が悪ければ、川に投げ出されるんじゃないだろうかなんて心配になるからだ。しかし、いくら心配してもしょうがない。意を決して橋を渡り始める。ひたすら前を向いて、脇見せずにどこかぎこちなく歩く。早く橋の向こう側に辿り着きたい。ランナーや自転車に乗った人たちとすれ違う度、ぶつからないように端の方でジッと佇む。ひたすら歩き、橋の向こう側についた時は、心底ほっとした。
寂れたダイナーのような店内に入ると同時に、先ほどまで晴れていたのが噓のように雨が降り始めた。雨宿りも兼ねて店内で食べていくことにする。お店にお客は僕だけのようだ。数分待つと、番号を呼ばれた。揚げたてのチキンから香ばしい匂いが漂う。いそいそと店の奥にあるテーブルに移動する。手が汚れるのは気にせず、チキンをつかむ。かぶりつく。サクッサクッ。香ばしい衣。溢れだす肉汁。夢中で肉を食べ、軟骨も噛み砕く。1ピース食べ終わり、ソーダで流し込み一息つく。ふと、大きな窓の外を横目で見るが、雨の止む気配はない。
30分ほど経っても雨はまだ降り続いていた。トレイの上には、肉のなくなったチキンの骨。空になったバケット。お腹が満たされ、このまま昼寝してしまいたい気分。ぼうっとしながら、窓の外を眺める。雨が少し弱くなったんじゃないかしら?バスの時間も気になるから、もうちょっとしたら店を出よう。
雨は止んだが、空のほとんどはまだ黒い雲に覆われている。膨れたお腹をさすり、川沿いをのんびりと歩く。アスファルトの隅っこにはまだできたばかりの水溜り。雨上がりで少し暑さが和らいだ。おいしいものを食べて、生活して、生きている。ちょうど風が吹き、雲の切れ間からだんだんと光が射し込み始めた。
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