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カナダで空を飛ぶ

梅雨の雲はどんよりして分厚い。あの雲すごく重そうだな、とつぶやく。時折、黒い雲が空に立ち込める。家の窓から見る分には、雲がどうであろうが関係ない。でも、雲の中を飛ぶ際は、できれば雲とは友達になれたら最高だ。

見た目ほどフワフワで優しくはない。パンみたいに柔らかでもない。羽毛布団みたいに包み込んでもくれない。彼らとはすこぶる仲が悪かった。僕は、空を飛ぶのには向いていない。

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カナダで林業学校の寮から引っ越して、空港近くのアパートに住んだおかげで、事務所への出勤が楽だ。事務所は空港の敷地の端にある。家から徒歩5分。採用されてから数日は、寮からタクシーや同僚に乗せてもらっていたから、今は気楽だ。
空港内の事務所には、飛行機に搭載されているレーザーのオペレーター達が出勤してくる。僕が勤める会社は、LiDAR(Light Detection and Ranging、光での検出と測距)を使って、測量データを集める会社だ。簡単に説明すると、小型飛行機からレーザーを照射し、そのレーザーの跳ね返りを測定し、集めたデータを用いて、例えば森の樹高等を含めた3Dマップにする。
僕が採用された仕事は、飛行機内でレーザーを操作し、データを集めるオペレーターになる。事務所では、面接をしてくれたダニエルとグレッグが待っている。今日は、グレッグと一緒に隣りのノバスコシア州のトルローまで出張するのだ。

実は、かなりナーバスになっていた。昨日実際に小型飛行機に乗り、オペレーター業務の研修を受けた。業務内容は、何とか理解でき、大丈夫そうだった。ただ、飛行機酔いがひどく、途中からずっと吐き気を我慢していた。セスナタイプの小型飛行機は、想像以上に揺れた。ううっと声を漏らし続け、下を向き耐えた。一時間飛んだ後、グレッグが心配して乗り物酔い防止に、耳の裏につけるパッチがあることを教えてくれた。
「俺も飛行機で酔うから、乗る一時間前に耳の裏に貼ると効果あるぜ」
(先日グレッグはパッチを貼り忘れて、着陸後にゲロゲロしていた)
パイロットからも、ジンジャエールと酔い止めの飲み薬もけっこう効くよとアドバイスをもらった。それでも、不安は拭えなかった。

晴れ間がのぞき始める。今日はトルローまで移動の予定だけど、行きにデータ収集もする。事務所についた時、まだ空が曇っていたので、天候の回復を待っていたのだ。
天候が悪いと飛行機が飛べない。レーザーも雲にさえぎられて、機能せずに調査ができない。出張が中止にならないかな、という思いが胸の中で膨らむ。しかし、思いとは裏腹に空に青さが戻る。視界の隅でパイロットが小型機にガソリンを入れている。
「荷物を積み込め!」
ダニエルが指示を出す。4人乗りの小型飛行機だが、後ろにレーザーの機材が積んであり狭い。僕とグレッグ、パイロットの私物も入れたらパンパンだ。数日間は現地に滞在する予定なので、着替えを詰めたらバックパックはかなり大きい。
荷物を積み込んだら、すぐに機内に滑り込む。頭の中でレーザーを起動させる作業を復習する。小型飛行機の離陸は、あっという間だ。もちろん離陸のアナウンスはない。一気に雲の上まで飛んでいく。レーザーが照射できるのは、地上1000メートルはいかないといけない。
雲間から見える地上の景色は美しい。動きが止まっているようだ。森が多い。カナダは本当に自然に囲まれている。いい国だな、とあらためて思う。車が時々動いている。まるでミニチュアみたい。

グレッグがレーザーの作動タイミングをヘッドフォンごしに教えてくれる。ゴォゴォという風の音で、機内はヘッドフォンなしでは会話ができない。研修で習った通り作業はできている。
一旦、調査エリアを抜けたのでレーザーを切る。しばらくは、移動だけになる。ほっとしたのは束の間、旅は楽しめない。この空は、見渡す限り分厚い雲、雲、雲。フワフワした雲。飛ぶ前の牧歌的なイメージは一瞬にして崩れ去る。
雲の中に入った瞬間、飛行機が上下に揺れる。小型機は、大型の飛行機よりも影響が大きいのだろう。激しい揺れが続く。心臓が飛び出そうだ、というのは大げさな表現ではないらしい。雲にぶつかる度、機体がきしむ。ギシギシと自分の座席の横壁が音を立てる。大丈夫なのか?本当に、生きて帰れるのか。大丈夫なのか?どうにかしてくれと思いながら、向かいのグレッグを見る。彼も心配そうにこちらを見ている。お前もか。空を飛びたいなんて言うやつの気が知れない。僕は、僕はそんなこと言ったっけ?地上1000メートルの世界は、こんなにも違うのか。揺れはまだ続く。勘弁してほしい。

3時間ほど飛行したのだろうか。トルロー近くの空港に到着する。一般的な空港ではなく、僕らのようなプライベートの会社が使用する小さな空港だ。
「飛行機が発着すると、暇を持て余した町の人が時々車で見に来るんだよ」
パイロットが笑いながら教えてくれる。飛行機から降り、水分を取る。ゲロってしまうかもしれないから、チョコレートバーを口に入れて誤魔化す。熱くなったアスファルトに座り込みながら、天気が悪くならないかなと思う。空は、快晴。こんな時に晴れやがって。

午後に、本日二回目のフライト。早く終わってほしいが、これから三時間たっぷりある。海岸沿いのデータを取るため、海の方角へ向かう。空からみると、海がまるで止まっているようだ。白い線がいくつも見える。あれは波だろうか。海面はネイビーで油絵のように艶艶だ。あの白く長細いのは船だろうか。
そんなことを思いながら、レーザーを作動させる。前方に見える孤島の周辺データが必要だから、数十回、同じ場所を八の字でグルグル飛行する。4、5回グルグルしたところで、頭が鉛のように重くなる。勘弁してくれ。僕には、空を飛ぶのは性に合わないのではないだろうか。それでも、タブレットでレーザーを操作する。ヘッドフォン越しにパイロットが話してくるが、耳に入らない。まだか?まだグルグルするのか。耳パッチは機能しているのだろうか。ジンジャエールだってたっぷり飲んだはずだぜ。

フライトが終わり、飛行場に戻ったが、疲労で口がきけない。
「この間出張で来た時行ったレストランのカラマリ(calamari、イカのフライ)が美味しかったから、今晩食べにいこうぜ」
グレッグがにこやかに話しかけてくる。今は揚げ物については考えたくない。フラフラした足取りで飛行場の出口に向かう。一秒でも早くベッドに倒れこみたい。明日の天気はどうかな?曇り空を願ってしまう。とりあえず、今日はぐっすり寝よう。まずは、それからだ。


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