こっちがあっちであっちがこっちで
自分の記事やそれに付随するコメント=自分が書いてる記事とそのコメント=自分のものっていうテリトリー感みたいなものって絶対あると思うが、
記事がある
noteの人がおすすめする
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って流れは絶対あっって、人によるとは思うが、おすすめする事でこっちのコントロールが相手に移ったり、相手のコントロールが僕に移ったり、気分的に ホームだかアウェイだかで、特にコメントが誰のものかはわからないが、僕はダルビッシュのアカウントにあるコメントを見て、そのコメントされてるワードはコメントしてる本人のものだが、記事に対するコメントなら、記事を読んでの感想だと思うが、結果的にはダルビッシュの記事のコメントってなってる風ではあって、ポアンカレ予想とかでもペレルマンが証明したのにな とか思うところはあって、もちろんペレルマンも学問に寄与するっていう謎の風潮に対して、反対にポアンカレの名前を除く事もおかしいと考えるとは思うけど。だけど、声明(ステートメント)が優先されて証明(プルーフ)が優先されない理由もわからないが。っていうかそもそも論としてはポアンカレ予想に取り組んでいたがうまくいってなかった通称パパさんはそもそも数学の定理に名前がつくのが意味不明って言ってて、それも実際そうだけど。やりにくいよな。変なところに自分の名前使われたらさ。他人に対してもそうだし。ってか結局、数学の風習は僕に馴染まなかったが。