俺の死因
人の死に方が7種類に分類できると言った校長の話をitumiさんが書いてて、色々考えたけど、俺の死因は生まれた事にあるな。時間ってのが恐ろしく効いて、とにかくわからないくらいの時間があるが、これが止まらないのなんので、もう36になるが、僕は人生半(なか)ば過ぎてるんじゃないかと思うけど、とにかくこれが効いて、人生は30000時間しかないと一般には言われてるが、30000時間が82年で、40000時間が109年で、いずれにせよ、50000時間はないだろう。良い事も悪い事も時間のせいだと皆気付くとは思うが、ただageなのか、timeなのかわからないところがあるけれど。昼が来て夜が来て昼が来て夜が来て、食って寝て食って寝て、how old are you? (どれだけ古い?何歳?)って聞かれりゃあいい歳(very old)だの天才だの答えたってそりゃあまあなあ。old enoughって事はないけど、成熟だの老衰だの言いたい放題だが、すべて時間のせいだとしたら恐ろしい事だ。時間が毒だなんて。それでも人類は生き長らえてきたわけで、そこまで不思議な話でもないけど。進化論を認めるなら。だけど。生存と繁殖だけが取り得でもないと思うが、進化論はそれしか認めないが、その事に気付くのに随分時間がかかったが、僕のイメージだと時間はこんこんと脈々と泉のように生み出されていて、僕はその分年老いていて、ひょっとすると反対って事もあるかもしれないが、無防備で、無謀でもあって、こう、ただ生きる事さえままならんとは思ってもみなかったが、つまり、生まれた事そのもの、老いる事、それから病(やまい)が決定打や主要な因果を決める可能性は高くて、死そのものを擬人化するなら、死因は死ぬ事そのものが僕に至る死に至る病か。そういう病にあるが。山中(やまなか)ってのが病(やまい)って字に入ってる偶然に僕は驚いてるが、なんて医学向きな名前なんだ!あたかも!たまたま!sickやillってまあそもそも病名をわざわざつけて問題視する人間を僕は好まないが、時間の研究をするために時間を使う事はわからないが、病気なら、ないし、患者なら或いは、しかし、社会的な責任や道義まで踏まえれば、塞翁が馬とまでは読みきれず、塞翁が馬に施術すれば、幸不幸は逆転したかもしれないが、そんなのはかなりの偶然で、本当にどうしようもないから、話題になるだけの話で、本来なら有用な馬はいた方がいいし、沢山いれば有益というのが自然な流れで、兵役は難しいが、免れうるとも限らないし、単純に見れば骨折はマイナスで、そこまでじゃないが、馬がいなくなる事もショックだっただろうになあ。